ちっちゃい頃ころ 僕ぼくはよく山登やまのぼりをした
登のぼってる時ときが 辛つらいほど 登のぼってる時間じかんが長ながいほど
頂上ちょうじょうはキレイだった。そんで そんな自分じぶんが好すきだった。
簡単かんたんな山やまでは 景色けしきは そんなに 変かわんなくて
だけど おっきな山やまからの
すっごい登のぼるのが きつかった山やまからの
景色けしきは最高さいこうだった。
多分たぶん、「人生じんせい」っていうのも それと同おなじだと思おもう。
そんな がんばれ ぼくへの歌うた。
言葉ことばに表あらわせない気持きもちを歌うたってみるよ。
いつかたどりつくだろう
ぼくなりの頂上ちょうじょう。
ちっちゃいchitchai頃koro 僕bokuはよくhayoku山登yamanoboりをしたriwoshita
登noboってるtteru時tokiがga 辛tsuraいほどihodo 登noboってるtteru時間jikanがga長nagaいほどihodo
頂上choujouはhaキレイkireiだったdatta。そんでsonde そんなsonna自分jibunがga好suきだったkidatta。
簡単kantanなna山yamaではdeha 景色keshikiはha そんなにsonnani 変kaわんなくてwannakute
だけどdakedo おっきなokkina山yamaからのkarano
すっごいsuggoi登noboるのがrunoga きつかったkitsukatta山yamaからのkarano
景色keshikiはha最高saikouだったdatta。
多分tabun、「人生jinsei」っていうのもtteiunomo それとsoreto同onaじだとjidato思omoうu。
そんなsonna がんばれganbare ぼくへのbokuheno歌uta。
言葉kotobaにni表arawaせないsenai気持kimoちをchiwo歌utaってみるよttemiruyo。
いつかたどりつくだろうitsukatadoritsukudarou
ぼくなりのbokunarino頂上choujou。