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尾崎豊は『愛の消えた街』で探している儚い愛とは!?

尾崎豊は「愛」をテーマとしている。ひとたび彼に触れてみると「愛」というものを求めて歌っているのだ。驚くかもしれないが、尾崎豊のイメージを形成している反社会的な楽曲は意外と少ない。今回は、その「愛」というものが曖昧だった10代にリリースされたデビューアルバム「17歳の地図」より「愛の消えた街」を取り上げる。


尾崎豊は「愛」をテーマとしている。ひとたび彼に触れてみると「愛」というものを求めて歌っているのだ。驚くかもしれないが、尾崎豊のイメージを形成している反社会的な楽曲は意外と少ない。今回は、その「愛」というものが曖昧だった10代にリリースされたデビューアルバム「17歳の地図」より「愛の消えた街」を取り上げる。


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道端に倒れたように眠る人がいるよ
一度は目にするがすぐに目をそらして通り過ぎる
誰もが不幸になるかもしれない自分を守り
自分の愛を向けることも馬鹿らしくてできない
まぬけな人ごみ
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最初のこの歌詞、物事を客観的に見ている尾崎豊らしい。「道端に倒れたように眠る人」とは酔い潰れたサラリーマンのことでしょう。街では夜、街を歩けば酔ったサラリーマンで溢れかえっている。酒を飲んで愚痴を言い合うサラリーマンの図は、過去も現在も変わりませんね。彼は、さらにこう続ける。

「誰もが不幸になるかもしれない自分を守り 自分の愛を向けることもできない まぬけな人ごみ」と。サラリーマンを含めた周りの人々は、自分のことばかりで他人に愛を向けることをしない存在としてみています。愛は他者に向けてこそ意味のあるものであると尾崎豊は直感的に分かっています。だからこそ、サラリーマンのような愛を向けない存在は「まぬけ」に映ったのです。

このように尾崎豊にとってサラリーマンの存在は社会の縮図を見ているかのようだったのです。自分のことをに精一杯で愛すらも伝えられないような社会。尾崎豊は、この状況に対して「愛の消えた街」と表現しているのではないでしょうか。学生ながら「俺はこんな大人にならない」なんて思っていたのかもしれません。尾崎豊は愛の消えたこの街で「愛」を向ける存在としての自分とサラリーマンを対比させています。

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愛という言葉をたやすく口にするの嫌うのも
一体何が愛なのかそれは誰にも解らないから
男と女心より躰で慰めあい
心を探して迷い道迷い込んで倒れるのが
見えるだろう
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最初の歌詞でサラリーマンに対して愛を向けない存在としていましたが、実際尾崎豊は「愛」というものが分かっていません。この時点ではまだ曖昧な存在としての「愛」なのです。そこで「男と女心より躰で慰め合い」というフレーズ。いかにも尾崎豊というようなフレーズです。10代の尾崎は、愛の本質を探すよりも分かりやすい愛の形として「躰で慰めあう」ことを選んだのでしょう。心を探すことが大切だとは分かっていながらも踏み込めないことが読み取れますね。

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見つけたい 見つけたい 愛の光を
信じたい 信じたい 愛の光を
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「見つけたい」「信じたい」というフレーズが繰り返されています。10代の尾崎はこういう歌詞が多いですね。自由や愛を求めることは彼にとって重要な事柄でした。普通の愛ではなく「愛の光」と表現しているところから、実体のない幻のような「愛」を表現している。

愛の消えた街で探していたものは光のようなあやふやな愛。彼のアルバムを前作通して聴いてみると愛が明確なものになっていきます。この曲はまだ愛を探している途中の曲なのです。

TEXT:川崎龍也

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