『戦う君を肯定する大いなる愛の歌。Mrs. GREEN APPLE『愛情と矛先』』



人生は戦いの連続だ

幼稚園や小学校での徒競走から受験戦争、就活戦争、出世争い。私達は人生の様々なステージで様々な戦争に追われながら生きている。夕食のおかずにお惣菜を買おうと閉店間際のスーパーに入った時だって、割引シールの貼られた商品は早い者勝ちだ。美味しいご飯を家族に食べさせるためには、自分より遅い者を蹴散らして自力で勝利を勝ち取るほかに手段は無い。

しかし、この事は同時に、大切なものや自分自身を守るためには他人を傷つけ、加害者にならなければならないと言う事を指す。普通に考えて、正当な理由のもと戦いに臨む者は応援されるべきだ。スポーツであれ、勉強であれ、一生懸命目標に向かって戦う人は当然カッコいいし、歌の世界にだって戦う者を褒め称え、応援する曲は山程ある。中島みゆきの『ファイト!』やゆずの『栄光の架橋』など、そこからヒット曲も沢山生まれている。

でも、そんな戦う者の胸のうちに時に湧き上がる一種の罪悪感を許し、鼓舞してくれる音楽は果たして存在するのだろうか? 特にゆとり・さとり世代と言われる私達は、我が身可愛さに戦う事を諦めがちだ。そんな時代に生きる私達を奮い立たせる音楽なんて、一体存在するのだろうか?

あった。Mrs. GREEN APPLEの『愛情と矛先』だ。


『愛情と矛先』は、Mrs.GREEN APPLE(以下、ミセス)が2016年にリリースしたアルバムの一曲目に収録されている楽曲。現在では早くも中高生の音楽ファンの間でカリスマ的な人気を誇り、有名音楽プロデューサーからも「自分で作ったのかと思った程好きな音」と絶賛されている彼等が、メジャーデビュー後初めてリリースしたフルアルバムの幕開けを告げる曲だ。

巨人の歩みのようなダイナミックなドラムビートと軽快でキャッチーなギターリフが印象的な華やかなイントロからこの曲は始まる。まるでおもちゃ箱をひっくり返したような、アタマの十秒聴いただけで脳細胞が虹色に染まるようなポップさに酔いそうなサウンドは若手バンドのメジャーデビューアルバムの一曲目としてはとてもお誂え向きで、ちょっと根暗で残響系なんか聴いてきたお兄さんお姉さん達には軽く目眩がするぐらいかもしれない。しかし、少し頑張って聴いてみてほしい。次に記すのは、そんな明るいイントロに続く歌詞の冒頭部分だ。

「夢を語ったって今じゃ笑われる世の中さ 愛を伝えたってまともに聞いてくれやしないさ」

なんて辛辣な言葉だろう! サウンドの底抜けな明るさからは到底想像もつかない。
しかも注目すべきなのが、二番の冒頭でも「敬意を払ったって信用なんか無い世の中さ 誰かを求めたって助け舟などやってこないさ」とドキッとするような言葉が並んでいる点だ。この曲の主人公は、底無しの明るい笑顔で完全なニヒリズムに徹している。

しかし、そんな初っ端から「渡る世間に鬼は無し」を真っ向から否定してかかるフレーズの後に続くのは、打って変わって「大丈夫」と言う優しい言葉だ。ボーカル大森元貴のアイドルのようなハキハキとした甘い声にリスナーは一瞬安心する。だが、その安心もあくまで束の間の出来事だ。

「大丈夫だよ 貴方のその声は 少なくとも貴方が気づけているから」

一見鬼ばかりの世間にひとりぼっちの主人公を励ましているように聴こえる歌詞だが、結局「信用出来るのは自分だけ」と歌っているのだ。冷静に立ち止まって聴いてみると、なんだか悲しくなってくる。

『誰の意見がどう』とかいいから 君なりに今打破だ
武器は『愛情と矛先』
『僕の意見はどう?』とかいいから 君なりに形にして ほら
『どうか見せてよ』


誰もアテに出来ない孤独な街では他人の意見は必要ないと、子供をあやすような優しく可愛らしい声音で大森は歌う。そんな、ひとりぼっちの主人公が信念を貫くために与えられる武器こそが、タイトルとなっている「愛情と矛先」だ。

だが、サビでは一転、ここまでとは相反する優しい言葉が綴られる。

「全てが全部 嘘になっちゃって 傷ついた貴方を癒やしてあげよう
全てが全部 嫌になっちゃって 錆ついた心を癒やしてあげよう」


武器を必死に振り抜き戦い、ボロボロになった戦士を包み込むような言葉だ。特に後半の一小節はドラムンベースのリズムが少しスローになり、ダイナミックなコーラスが際立つ造りになっているため大森の歌声と歌詞の優しさが更に強調されている。冒頭からサビ前までの厳しさが嘘のようだ。まるで飴と鞭である。

武器を与えられ戦い続ける戦士に、二番のメロでは防具として「優しさと円盾」が与えられる。これは攻撃性の象徴である「愛情と矛先」の対義語として用いられていると考えられるが、何かを守るために戦うのであれば防具さえあれば良いのではないか? これで主人公の勝利は保証されたはずだ。

しかし、ミセスはそんな甘ったれた考えを許してはくれない。そこが、そこらの売れ線ロックバンドが作るポップソングと彼等の違いだ。

鼓笛隊を彷彿とさせる、オルゴールを高速回転させたようなシンセサイザーの音に彩られた間奏の後、こんな歌詞が続く。

「傷ついて朽ち果てそう 錆びて盾が打ち破られても 愛情と矛先で」

なんと、さっき与えられたばかりの「優しさ」の盾は、もう脆くも錆びて打ち破られてしまった!

優しさや思いやりこそが至高であり傷つける事は憎まれるべきだと育てられた若者は、じきに「優しくない人達」に大切なものを傷つけられてしまう。最終的には己の身を守るためだけの盾は役に立たず、自ら武器を執らなければならなくなるのだ。


強さはニアリーイコール害悪とされ、少し強い言葉を使っただけでも「ヘイトスピーチ」として袋叩きに遭うのが当たり前の世の中。みんながみんな、お腹が空いただの空がきれいだのと当たり障りの無い言葉をつぶやき散らかす事しか出来ないこの頃では、鋭い矛先を掲げるのにはとっても勇気が要る。

作詞を手がけた大森自身も、過去の楽曲で「また昨日と変われずに 嘘をついちゃう私が居ます 傷つかせちゃう私が居ます ねえ助けてよ(『日々と君』)」と歌っているように、無意識のうちに誰かを傷つけてしまう事への恐怖を抱いている様子が察せられる。その恐怖が原因のひとつかどうかまではわからないが、中学時代学校に殆ど通っていないと言う彼は、きっとこの曲を通して繊細過ぎたその頃の自分自身にエールを送っているのではないだろうか。そして彼は、そんな自分へのエールが何よりも自分と同じ時代に生きる人々へのエールにもなる事を、まだ二十歳と言う若さで、充分過ぎる程理解している。

この曲は、戦いたくても戦えない、でも戦わなければならない人々のために、歌と言う鋭い「矛先」を敢えて振りかざし続けるミセスと言うバンドのスタイルが、とても明確に表れた一曲だと言える。

彼等は、「戦わなければ生きてゆけない」と言う前向きな諦めと共に、愛情でもって行使される強さは尊く、肯定されるべきだと高らかに宣言しているのだ。

大森は最後、天まで届きそうな程朗々と響くハイトーンで、祈るようにこう歌っている。

「大丈夫だよ。安心して。君の強さは偉大なものだ
その君の矛先を愛と呼ぼう」


TEXT:五十嵐文章

ちゃんみな「ちゃんみな らしくっ!」が…

「探し物は何ですか? みつけにくいもの…