なぜ、エレファントカシマシ「今宵の月のように」は力強く美しい曲なのか?



『エレファントカシマシ』は一度リスナーの心を掴んだら決して離さない。異彩を放ち続け進化を止めないバンドだ。ハードなロックから上質なポップスまで50歳になった今でも常に新しいサウンドを作り続けている。

このバンドの中心となるのはやはりボーカルの宮本だ。時に独断的とも言える力強さとその裏に隠された繊細さが何よりの魅力である。誰よりもエネルギッシュにLIVEを行う宮本だが、趣味は読書であり森鴎外や永井荷風、夏目漱石などの古典的な作品を愛している。彼が書く歌詞は明治の文豪達から影響を受けたものも多い。読書の他に散歩も趣味であり、その風景を描写した楽曲も少なくないのだ。

その描写は大ヒットナンバー「今宵の月のように」でも表れている。




“くだらねえとつぶやいて
醒めたつらして歩く いつの日か輝くだろう
あふれる熱い涙”



エレファントカシマシは背中を押してくれる楽曲を多く持つ。この曲もその内の一つで、現状はうまくいかずとも熱い涙が輝く日がくると主張する。「熱い涙」というのは心の情熱が涙にまで伝わった状態を示している。宮本はそれを「気持ちが熱くなり、涙が出た」とは歌わずに「熱い涙」と歌う。リスナーの想像力を掻き立てるこの表現にも文学的な要素が含まれているのだ。

せわしなく過ぎる日々の中で、ふと人生を振り返ることが誰にでもある。そんな時、刹那的な儚さや明らかな充足感を持った希望などを含めた人生の醍醐味を同曲は存分に感じさせてくれる。
それは、宮本が尊敬する夏目漱石や森鴎外の小説にも同様のことが言える。



“夕暮れ過ぎて きらめく町の灯りは
悲しい色に 染まって揺れた 
君がいつかくれた 思い出のかけら集めて
真夏の夜空 ひとり見上げた”



決して難解な言葉は使われていないが、詩的な美しい表現が続く。
「夕暮れすぎてきらめく町の灯りが悲しい色に染まって揺れた」純文学に出てきそうなこういった歌詞は誰にでも書けるものではない。同曲が多くの人を魅了した理由は表現だけではないのだ。

詩だけを追うと優しく丁寧に歌うのが定石なように感じる。しかし、宮本はただそのままを出して歌う。格好をつけるわけでもなく、技巧に走るわけでもない。彼が素朴に歌ったとしてもそのエネルギー量が落ちるわけではない。むしろ、その素直さがリスナーの心へと届くのだ。風景描写を大切にする歌詞の書き方とボーカリスト宮本が持つ素直さがマッチしているのも名曲と言われる所以なのだ。



“ポケットに手を つっこんで歩く
いつかの電車に乗って いつかの町まで
君のおもかげ きらりと光る夜空に
涙も出ない 声も聞こえない
もう二度と戻らない日々を 俺たちは走り続ける”



過去を回想している曲ではあるが、よくある失恋ソングというわけではない。作為的に趣向を凝らしているわけではなく、思い出を情緒的に美しく昇華させている。宮本の風景を描写する力が「歌詞」という概念を越え一つの情緒的な物語を紡いでいるのだ。

一般的に音楽の世界観というのは寄り添おうとすると美しさが失われ、美しさを追い求めると近寄りがたくなる。同曲は悲観や楽観を超越した画一的な大理石のようでありながら、すぐそばにあるといった親しみを感じさせてくれる。これら二つを両立させるのは容易なことではない。


日本の古典を愛する彼は言葉を大切に扱っている。一つひとつの言葉は生きたままリスナーに届く。

エレファントカシマシの楽曲を聴くと自然と力が漲ってくる。ボーカル宮本が溢れんばかりのエネルギーを注入してくれているのだ。前向きになれて思わず口ずさみたくなるほど親しみやすい曲であるのに、美しさも失ってはいない。加えて、「勇気をくれる」という歌が持つ本質的な要素をエレファントカシマシはどのバンドよりも持ち合わせている。

彼らが歌う「力強い応援歌」は私たちの人生を明るくするだけではなく、美しい彩りを与えてくれるのだ。



TEXT:笹谷創(http://sasaworks1990.hatenablog.com/

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