『汚れつちまつた悲しみに……』 中原中也
汚よごれつちまつた悲かなしみに
今日きょうも小雪こゆきの降ふりかかる
汚よごれつちまつた悲かなしみに
今日きょうも風かぜさへ吹ふきすぎる
たとへば狐きつねの革裘かはごろも
小雪こゆきのかかつてちぢこまる
汚よごれつちまつた悲かなしみは
なにのぞむなくねがふなく
倦怠けだいのうちに死しを夢ゆめむ
汚よごれつちまつた悲かなしみは
汚よごれつちまつた悲かなしみに
なすところもなく日ひは暮くれる……
『智恵子抄』 高村光太郎
智恵子ちえこは東京とうきょうに空そらがないといふ、
ほんとの空そらが見みたいといふ。
智恵子ちえこは東京とうきょうに空そらがないといふ、
私わたしは驚おどろいて空そらを見みる。
桜若葉さくらわかばの間あいだに在あるのは、
切きつても切きれない
むかしなじみのきれいな空そらだ。
智恵子ちえこは遠とおくを見みながら言ゆふ。
阿多多羅山あたたらやまの上うえに
毎日出まいにちでてゐる青あおい空そらが
智恵子ちえこのほんとの空そらだといふ。
あどけない空そらの話はなしである。
『人間失格』 太宰治
恥はじの多おおい生涯しょうがいを送おくってきました。
自分じぶんには、人間にんげんの生活せいかつというものが、見当けんとうつかないのです。
自分じぶんは隣人りんじんと、ほとんど会話かいわが出来できません。
そこで考かんがえ出だしたのは、道化どうけでした。最後さいごの求愛きゅうあいでした。
夕立ゆうだちが降ふった或ある放課後ほうかご、「耳みみが痛いたい」と言ゆう竹一たけいちを見みると、
ひどい耳みみだれで、念入ねんいりに耳みみの掃除そうじをしてやりました。人間にんげん、失格しっかく。
いまは自分じぶんには、幸福こうふくも不幸ふこうもありません。
自分じぶんはことし、二十七にじゅうしちになります。
白髪しらががめっきりふえたので、たいていの人ひとから、四十以上しじゅういじょうに見みられます。
子供相手こどもあいての雑誌ざっしだけでなく、駅売えきうりの粗悪そあくで卑猥ひわいな雑誌ざっしなどに
汚きたないはだかの絵えなどを画かいて、画かいていました。人間にんげん、失格しっかく
『みだれ髪』 与謝野晶子
やは肌はだのあつき血潮ちしほにふれも見みでさびしからずや道みちを説とく君きみ
乳ちぶさおさへ神秘しんぴのとばりそとけりぬここなる花はなの紅くれなゐぞ濃こき
いとせめてもゆるがままにもえしめよ欺かくぞ覚おぼゆる暮くれて行ゆく春はる
春はるみじかし何なんに不滅ふめつの命いのちぞとちからある乳ちを手てにさぐらせぬ
人ひとの子この恋こいをもとむる唇くちびるに毒どくある蜜みつをわれぬらむ願ねがひ
『蜘蛛の糸』 芥川龍之介
ある日ひの事ことでございます。
御釈迦様おしゃかさまは極楽ごくらくの蓮池はすいけのふちを、
独ひとりでぶらぶら御歩おあるきになっていらっしゃいました。
この極楽ごくたくの蓮池はすいけの下したは、丁度地獄ちょうどじごくの底そこに当あたっておりますから、
水晶すいしょうのような水みずを透すき徹とおして、三途さんずの河かわや針はりの山やまの景色けしきが、
丁度覗ちょうどのぞき眼鏡めがねを見みるように、はっきりと見みえるのでございます。
地獄じごくの底そこに、かんだたと云ゆう男おとこが一人ひとり、蠢うごめいている。
この男おとこは、人ひとを殺ころしたり、悪事あくじを働はたいた大泥坊おおどろぼう、
それでもたった一ひとつ、善よい事こと
蜘蛛くもを殺ころさずに助たすけてやったからでございます。
御釈迦様おしゃかさまは地獄じごくの容子ようすを御覧ごらんになりながら、
かんだたには蜘蛛くもを助たすけた事ことがあるのを御思おもい出だしになりました。
この男おとこを地獄じごくから救すくい出だしてやろうと御考おかんがえになりました。
『蟹工船』 小林多喜二
二人ふたりはデッキの手てすりに寄よりかかって、蝸牛かたつむりが背せのびをしたように延のびて、
海うみを抱かかえ込こんでいる函館はこだての街まちを見みていた。
蟹かにの生なまッ臭くさいにおいと人ひといきれのする「糞壺くそつぼ」の中なかに線香せんこうのかおりが、
香水こうすいか何なにかのように、ただよった……
諸君しょくん、とうとう来きた!
長ながい間あいだ、長ながい間俺達あいだおれたちは待まっていた。
半殺はんごろしにされながらも、待まっていた。今いまに見みろ、と。
しかしとうとう来きた。
俺達おれたちは力ちからを合あわせることだ。俺達おれたちは仲間なかまを裏切うらぎらないことだ。
彼奴等如あいつらごときをモミつぶすは、虫むしケラより容易たやすいことだ。
「おい、地獄じごくさ行えぐんだで!」
「ストライキだ。」
『たけくらべ』 樋口一葉
何時いつまでも何時いつまでも人形にんぎょうと紙雛あねさまとをあひ手てにして
飯事ままごとばかりして居いたらば嘸さぞかし嬉うれしき事ことならんを、
何時いつまでも何時いつまでも人形にんぎょうと紙雛あねさまとをあひ手てにして
飯事ままごとばかりして居いたらば嘸さぞかし嬉うれしき事ことならんを、
ゑゝ厭いや厭いや、大人おとなに成なるは厭いやな事こと、
何故なぜこのやうに年としをば取とる、最もう七月十月ななつきとつき、
一年いちねんも以前もとへ帰かえりたい
『一握の砂』 石川啄木
東海とうかいの小島こじまの磯いその白砂しらすなに
われ泣なきぬれて
蟹かにとたはむる
いのちなき砂すなのかなしさよ
さらさらと
握にぎれば指ゆびのあひだより落おつ
こころよく我われにはたらく仕事しごとあれ
それを仕遂しとげて死しなむと思おもふ
友ともがみなわれよりえらく見みゆる日ひよ
花はなを買かひ来きて
友ともがみなわれよりえらく見みゆる日ひよ
花はなを買かひ来きて
妻つまとしたしむ
一握いちあくの砂すな
『吾輩は猫である』 夏目漱石
吾輩わがはいは猫ねこである。名前なまえはまだ無ない。
吾輩わがはいは猫ねこである。名前なまえはまだ無ない。
ある穏おだやかな日ひに大おおきな猫ねこが前後不覚ぜんごふかくに寝ねている。
彼かれは純粋じゅんすいの黒猫くろねこである。
吾輩わがはいは猫ねこであるである。名前なまえはまだ無ない。
吾輩わがはいは猫ねこであるである。名前なまえはまだ無ない。
『銀河鉄道の夜』 宮沢賢治
銀河ぎんがステーション……
ジョバンニはもういろいろなことで胸むねがいっぱいでなんにも云いえずに博士はかせの前まえをはなれて
早はやくお母かあさんに牛乳ぎゅうにゅうを持もって行いってお父とうさんの帰かえることを知しらせようと思おもうと
もう一目散いちもくさんに河原かわらを街まちの方ほうへ走はしりました。
『汚れつちまつたretsuchimatsuta悲しみにshimini……』 中原中也
汚yogoれつちまつたretsuchimatsuta悲kanaしみにshimini
今日kyouもmo小雪koyukiのno降fuりかかるrikakaru
汚yogoれつちまつたretsuchimatsuta悲kanaしみにshimini
今日kyouもmo風kazeさへsahe吹fuきすぎるkisugiru
たとへばtatoheba狐kitsuneのno革裘kahagoromo
小雪koyukiのかかつてちぢこまるnokakatsutechijikomaru
汚yogoれつちまつたretsuchimatsuta悲kanaしみはshimiha
なにのぞむなくねがふなくnaninozomunakunegafunaku
倦怠kedaiのうちにnouchini死shiをwo夢yumeむmu
汚yogoれつちまつたretsuchimatsuta悲kanaしみはshimiha
汚yogoれつちまつたretsuchimatsuta悲kanaしみにshimini
なすところもなくnasutokoromonaku日hiはha暮kuれるreru……
『智恵子抄』 高村光太郎
智恵子chiekoはha東京toukyouにni空soraがないといふganaitoifu、
ほんとのhontono空soraがga見miたいといふtaitoifu。
智恵子chiekoはha東京toukyouにni空soraがないといふganaitoifu、
私watashiはha驚odoroいてite空soraをwo見miるru。
桜若葉sakurawakabaのno間aidaにni在aるのはrunoha、
切kiつてもtsutemo切kiれないrenai
むかしなじみのきれいなmukashinajiminokireina空soraだda。
智恵子chiekoはha遠tooくをkuwo見miながらnagara言yuふfu。
阿多多羅山atatarayamaのno上ueにni
毎日出mainichideてゐるtewyiru青aoいi空soraがga
智恵子chiekoのほんとのnohontono空soraだといふdatoifu。
あどけないadokenai空soraのno話hanashiであるdearu。
『人間失格』 太宰治
恥hajiのno多ooいi生涯syougaiをwo送okuってきましたttekimashita。
自分jibunにはniha、人間ningenのno生活seikatsuというものがtoiumonoga、見当kentouつかないのですtsukanainodesu。
自分jibunはha隣人rinjinとto、ほとんどhotondo会話kaiwaがga出来dekiませんmasen。
そこでsokode考kangaえe出daしたのはshitanoha、道化doukeでしたdeshita。最後saigoのno求愛kyuuaiでしたdeshita。
夕立yuudaちがchiga降fuったtta或aるru放課後houkago、「耳mimiがga痛itaいi」とto言yuうu竹一takeichiをwo見miるとruto、
ひどいhidoi耳mimiだれでdarede、念入neniりにrini耳mimiのno掃除soujiをしてやりましたwoshiteyarimashita。人間ningen、失格shikkaku。
いまはimaha自分jibunにはniha、幸福koufukuもmo不幸fukouもありませんmoarimasen。
自分jibunはことしhakotoshi、二十七nijuushichiになりますninarimasu。
白髪shiragaがめっきりふえたのでgamekkirifuetanode、たいていのtaiteino人hitoからkara、四十以上shijuuijouにni見miられますraremasu。
子供相手kodomoaiteのno雑誌zasshiだけでなくdakedenaku、駅売ekiuりのrino粗悪soakuでde卑猥hiwaiなna雑誌zasshiなどにnadoni
汚kitanaいはだかのihadakano絵eなどをnadowo画kaいてite、画kaいていましたiteimashita。人間ningen、失格shikkaku
『みだれmidare髪』 与謝野晶子
やはyaha肌hadaのあつきnoatsuki血潮chishihoにふれもnifuremo見miでさびしからずやdesabishikarazuya道michiをwo説toくku君kimi
乳chiぶさおさへbusaosahe神秘shinpiのとばりそとけりぬここなるnotobarisotokerinukokonaru花hanaのno紅kurenawyiぞzo濃koきki
いとせめてもゆるがままにもえしめよitosemetemoyurugamamanimoeshimeyo欺kaくぞkuzo覚oboゆるyuru暮kuれてrete行yuくku春haru
春haruみじかしmijikashi何nanにni不滅fumetsuのno命inochiぞとちからあるzotochikaraaru乳chiをwo手teにさぐらせぬnisagurasenu
人hitoのno子koのno恋koiをもとむるwomotomuru唇kuchibiruにni毒dokuあるaru蜜mitsuをわれぬらむwowarenuramu願negaひhi
『蜘蛛のno糸』 芥川龍之介
あるaru日hiのno事kotoでございますdegozaimasu。
御釈迦様osyakasamaはha極楽gokurakuのno蓮池hasuikeのふちをnofuchiwo、
独hitoりでぶらぶらrideburabura御歩oaruきになっていらっしゃいましたkininatteirassyaimashita。
このkono極楽gokutakuのno蓮池hasuikeのno下shitaはha、丁度地獄choudojigokuのno底sokoにni当ataっておりますからtteorimasukara、
水晶suisyouのようなnoyouna水mizuをwo透suきki徹tooしてshite、三途sanzuのno河kawaやya針hariのno山yamaのno景色keshikiがga、
丁度覗choudonozoきki眼鏡meganeをwo見miるようにruyouni、はっきりとhakkirito見miえるのでございますerunodegozaimasu。
地獄jigokuのno底sokoにni、かんだたとkandatato云yuうu男otokoがga一人hitori、蠢ugomeいているiteiru。
このkono男otokoはha、人hitoをwo殺koroしたりshitari、悪事akujiをwo働hataいたita大泥坊oodorobou、
それでもたったsoredemotatta一hitoつtsu、善yoいi事koto
蜘蛛kumoをwo殺koroさずにsazuni助tasuけてやったからでございますketeyattakaradegozaimasu。
御釈迦様osyakasamaはha地獄jigokuのno容子yousuをwo御覧goranになりながらninarinagara、
かんだたにはkandataniha蜘蛛kumoをwo助tasuけたketa事kotoがあるのをgaarunowo御思omoいi出daしになりましたshininarimashita。
このkono男otokoをwo地獄jigokuからkara救sukuいi出daしてやろうとshiteyarouto御考okangaえになりましたeninarimashita。
『蟹工船』 小林多喜二
二人futariはhaデッキdekkiのno手teすりにsurini寄yoりかかってrikakatte、蝸牛katatsumuriがga背seのびをしたようにnobiwoshitayouni延noびてbite、
海umiをwo抱kakaえe込koんでいるndeiru函館hakodateのno街machiをwo見miていたteita。
蟹kaniのno生namaッxtu臭kusaいにおいとinioito人hitoいきれのするikirenosuru「糞壺kusotsubo」のno中nakaにni線香senkouのかおりがnokaoriga、
香水kousuiかka何naniかのようにkanoyouni、ただよったtadayotta……
諸君syokun、とうとうtoutou来kiたta!
長nagaいi間aida、長nagaいi間俺達aidaoretachiはha待maっていたtteita。
半殺hangoroしにされながらもshinisarenagaramo、待maっていたtteita。今imaにni見miろro、とto。
しかしとうとうshikashitoutou来kiたta。
俺達oretachiはha力chikaraをwo合aわせることだwaserukotoda。俺達oretachiはha仲間nakamaをwo裏切uragiらないことだranaikotoda。
彼奴等如aitsuragotoきをkiwoモミmomiつぶすはtsubusuha、虫mushiケラkeraよりyori容易tayasuいことだikotoda。
「おいoi、地獄jigokuさsa行eぐんだでgundade!」
「ストライキsutoraikiだda。」
『たけくらべtakekurabe』 樋口一葉
何時itsuまでもmademo何時itsuまでもmademo人形ningyouとto紙雛aneさまとをあひsamatowoahi手teにしてnishite
飯事mamagotoばかりしてbakarishite居iたらばtaraba嘸sazoかしkashi嬉ureしきshiki事kotoならんをnaranwo、
何時itsuまでもmademo何時itsuまでもmademo人形ningyouとto紙雛aneさまとをあひsamatowoahi手teにしてnishite
飯事mamagotoばかりしてbakarishite居iたらばtaraba嘸sazoかしkashi嬉ureしきshiki事kotoならんをnaranwo、
ゑwyeゝ厭iやya厭iやya、大人otonaにni成naるはruha厭iやなyana事koto、
何故nazeこのやうにkonoyauni年toshiをばwoba取toるru、最moうu七月十月nanatsukitotsuki、
一年ichinenもmo以前motoへhe帰kaeりたいritai
『一握のno砂』 石川啄木
東海toukaiのno小島kojimaのno磯isoのno白砂shirasunaにni
われware泣naきぬれてkinurete
蟹kaniとたはむるtotahamuru
いのちなきinochinaki砂sunaのかなしさよnokanashisayo
さらさらとsarasarato
握nigiればreba指yubiのあひだよりnoahidayori落oつtsu
こころよくkokoroyoku我wareにはたらくnihataraku仕事shigotoあれare
それをsorewo仕遂shitoげてgete死shiなむとnamuto思omoふfu
友tomoがみなわれよりえらくgaminawareyorieraku見miゆるyuru日hiよyo
花hanaをwo買kaひhi来kiてte
友tomoがみなわれよりえらくgaminawareyorieraku見miゆるyuru日hiよyo
花hanaをwo買kaひhi来kiてte
妻tsumaとしたしむtoshitashimu
一握ichiakuのno砂suna
『吾輩はha猫であるdearu』 夏目漱石
吾輩wagahaiはha猫nekoであるdearu。名前namaeはまだhamada無naいi。
吾輩wagahaiはha猫nekoであるdearu。名前namaeはまだhamada無naいi。
あるaru穏odaやかなyakana日hiにni大ooきなkina猫nekoがga前後不覚zengofukakuにni寝neているteiru。
彼kareはha純粋junsuiのno黒猫kuronekoであるdearu。
吾輩wagahaiはha猫nekoであるであるdearudearu。名前namaeはまだhamada無naいi。
吾輩wagahaiはha猫nekoであるであるdearudearu。名前namaeはまだhamada無naいi。
『銀河鉄道のno夜』 宮沢賢治
銀河gingaステsuteーションsyon……
ジョバンニjobanniはもういろいろなことでhamouiroironakotode胸muneがいっぱいでなんにもgaippaidenannimo云iえずにezuni博士hakaseのno前maeをはなれてwohanarete
早hayaくおkuo母kaaさんにsanni牛乳gyuunyuuをwo持moってtte行iっておtteo父touさんのsanno帰kaeることをrukotowo知shiらせようとraseyouto思omoうとuto
もうmou一目散ichimokusanにni河原kawaraをwo街machiのno方houへhe走hashiりましたrimashita。