この世よで一番いちばん悲かなしいことは親おやとの別わかれではないでしょうか
返かえれないけれど もう一度いちど昔むかしに戻もどりたいと思おもう時ときがあります
どんなに貧まずしくても昔むかしの方ほうがあったかさがありました
凩かぜの哭なき笛ぶえ 身みに泌ひしむ夜よるは
雪ゆきのふる里さと 越後えちごが恋こいし
土産みやげ話ばなしは いつの日ひできる
飛とんで帰かえって 詫わびたいけれど
父親おやは故郷こきょうの
父親おやは故郷こきょうの 墓はかの中なか
父ちちの手てをひき 山道やまみち越こえて
何度なんど通とおった 村むらから村むらへ
泣ないて一節ひとふし 笑わらって三み節ふし
遠とおい涙なみだの 幼おさない日々ひびが
今いまはなつかし
今いまはなつかし あかね空ぞら
見みえない目めの中なかで父ちちはどんな夢ゆめを見みていたのでしょうか
甘あまい黒豆くろまめ湯ゆを倖しあわせそうに呑のんでいました
あの頃ころは日本中にほんじゅうが貧まずしい時代じだいでした
瞼まぶたとじれば 越後えちごの海うみが
根性こんじょうなしだと 私わたしを叱しかる
演歌うたは浪曲ろうきょく 荒海あらうみ仕込じこみ
ふたり揃そろって 舞台ぶたいへ立たった
夢ゆめが命いのちの
夢ゆめが命いのちの 父娘おやこ鷹だか
このkono世yoでde一番ichiban悲kanaしいことはshiikotoha親oyaとのtono別wakaれではないでしょうかredehanaidesyouka
返kaeれないけれどrenaikeredo もうmou一度ichido昔mukashiにni戻modoりたいとritaito思omoうu時tokiがありますgaarimasu
どんなにdonnani貧mazuしくてもshikutemo昔mukashiのno方houがあったかさがありましたgaattakasagaarimashita
凩kazeのno哭naきki笛bue 身miにni泌hishiむmu夜yoruはha
雪yukiのふるnofuru里sato 越後echigoがga恋koiしshi
土産miyage話banaしはshiha いつのitsuno日hiできるdekiru
飛toんでnde帰kaeってtte 詫waびたいけれどbitaikeredo
父親oyaはha故郷kokyouのno
父親oyaはha故郷kokyouのno 墓hakaのno中naka
父chichiのno手teをひきwohiki 山道yamamichi越koえてete
何度nando通tooったtta 村muraからkara村muraへhe
泣naいてite一節hitofushi 笑waraってtte三mi節fushi
遠tooいi涙namidaのno 幼osanaいi日々hibiがga
今imaはなつかしhanatsukashi
今imaはなつかしhanatsukashi あかねakane空zora
見miえないenai目meのno中nakaでde父chichiはどんなhadonna夢yumeをwo見miていたのでしょうかteitanodesyouka
甘amaいi黒豆kuromame湯yuをwo倖shiawaせそうにsesouni呑noんでいましたndeimashita
あのano頃koroはha日本中nihonjuuがga貧mazuしいshii時代jidaiでしたdeshita
瞼mabutaとじればtojireba 越後echigoのno海umiがga
根性konjouなしだとnashidato 私watashiをwo叱shikaるru
演歌utaはha浪曲roukyoku 荒海araumi仕込jikoみmi
ふたりfutari揃soroってtte 舞台butaiへhe立taったtta
夢yumeがga命inochiのno
夢yumeがga命inochiのno 父娘oyako鷹daka