美空ひばりは誰もが認める、昭和の歌謡界の女王。
1989年に52歳という若さで亡くなりましたが、生前は数多くの舞台や映画に出演して、さまざまなジャンルのヒット曲を残し、国民栄誉賞を受賞しました。
この記事でわかること
美空ひばりのデビュー曲「河童ブギウギ」
美空ひばりのレコードデビュー曲は、ひばり本人も出演した1949年公開のミュージカル映画「踊る竜宮城」の挿入歌『河童ブギウギ』です。
当時11歳の彼女は、映画で河童の恰好をして『河童ブギウギ』を歌いました。
ブギウギとは当時流行したリズミカルなダンス音楽で、美空ひばりは日劇のレビューで笠木シズコの『東京ブギウギ』を歌って踊る少女として、既に有名な存在でした。
映画デビュー、レコードデビューを果たした彼女は、国民的な人気スターへと成長していきます。
美空ひばりの最後の歌になった「川の流れのように」
『川の流れのように』は美空ひばりの最後のシングルで、彼女の代表曲です。
1989年1月に発売され、同年6月に美空ひばりは亡くなりましたが、死後も売り上げを伸ばし続けて最大のヒットソングになりました。
小さな流れから、あちこちにぶつかりながら次第に大きくなって、最後は海に到着する川と人生を重ね合わせたスケールの大きな歌詞で、作詞は秋元康です。
この曲は「若い世代へのメッセージを残したい」という意向で作られたアルバム『川の流れのように〜不死鳥パートII』から、ひばり本人の強い意向でシングルカットされました。
美空ひばりの代表曲おすすめ6選
美空ひばりが生前残した収録曲は1500曲に及び、現在も多くの人に愛され歌われ続けています。
彼女の楽曲はバラエティに富んだジャンルの曲があり代表曲も多いので、何を聴いたらいいのか迷いますよね。
次は美空ひばりのヒットソングで特に人気の高い曲から、おすすめ6選を紹介します。
愛燦燦
『愛燦燦』は『川の流れのように』と並んで、美空ひばりの代表曲と言われる、穏やかなバラード。
作詞作曲は小椋佳で、“家族愛”をテーマにしたCMのCMソングとして作られた曲です。
最初はCMに歌手名のクレジットが出ていなかったのですが、歌声ですぐに美空ひばりの歌とバレて話題になりました。
「人は哀しいものですね」「人はかよわいものですね」と語りかけるように歌う、優しい歌声に聴く人が思わずひきこまれてしまう名曲です。
お祭りマンボ
1952年に当時流行していたダンス音楽のマンボのリズムで、江戸っ子の威勢のいい気質を歌った『お祭りマンボ』は、美空ひばり本人も愛してよく歌われたヒットソングです。
「わっしょいわっしょい」とテンションがどんどんアップする元気な曲調で、カラオケで歌っても盛り上がります。
全体的にアップテンポで、今聴くとまるでラップのような早口なのですが、最後はスローになって、しんみりとしめくくられる面白い構成の歌。
東京メトロ銀座線神田駅の発車メロディーとしてもおなじみの曲です。
真赤な太陽
『真赤な太陽』は、美空ひばりが1967年に当時大流行していたグループ・サウンズを取り入れた、ロック調の歌謡曲。
『ブルー・シャトウ』が大ヒットしていたジャッキー吉川とブルー・コメッツを従えて、ミニスカートのひばりがゴーゴーダンスを踊りながら歌いました。
『真赤な太陽』は『ブルー・シャトウ』の150万枚には及ばなかったものの、140万枚を売り上げて、美空ひばりのシングルで4番目の売り上げを記録。
東京スカパラダイスオーケストラや秋川雅史など、多くのアーティストにカバーされている名曲です。
リンゴ追分
1952年に放送されたラジオドラマ「リンゴ園の少女」の挿入歌として制作され、最初はシングル「リンゴ園の少女」のB面だった『リンゴ追分』。
同年に美空ひばり主演映画「リンゴ園の少女」が制作されると、『リンゴ追分』が主題歌に起用されて人気が出て、戦後最大の売り上げを記録する大ヒットになりました。
民謡調のほのぼのとしたメロディーと歌の世界観が広がり、当時15歳の美空ひばりの歌唱力が話題になった曲。
『リンゴ追分』は美空ひばりのシングルで5番目の売り上げを記録したヒット曲です。
人生一路
『人生一路』は1988年の東京ドーム公演「不死鳥 美空ひばり in TOKYO DOME 〜翔ぶ!! 新しき空に向って〜」で締めの曲として歌われた、美空ひばりの代表曲。
アップテンポで勢いのある曲調で、聴く人に元気と勇気を与えてくれる応援歌です。
この曲は映画「美空ひばり・森進一の花と涙と炎」の主題歌として制作された曲で『花と炎』と共にシングルカットされました。
2015年には天童よしみがNHK紅白歌合戦で歌うなど、多くのアーティストにカバーされてきた名曲です。
柔
「勝つと思うな思えば負けよ」という歌いだしが有名な1964年発売の『柔』は、『川の流れのように』に続く、美空ひばりのシングル曲で二番目に売れたヒットソング。
作詞は脚本家の関沢新一、作曲は古賀政男で、1964年の東京オリンピックより正式競技に採用されて柔道ブームが起こった影響を受け『柔』も大ヒットしました。
1964年〜1965年放送のテレビドラマ「柔」「柔一筋」「続・柔」では主題歌に起用され、「テレビ主題歌が演歌では当たらない」というジンクスを破った曲です。
美空ひばりの隠れた名曲3選
美空ひばりの曲にはファンから特に人気の高い、隠れた名曲と言われる歌も多いです。
代表曲以外でお気に入りの歌を見つけるのも、楽しみの一つかもしれませんね。
次は、美空ひばりの人気曲の中から、隠れた名曲と言われる3曲を紹介します。
おまえに惚れた
『おまえに惚れた』は1980年発売の美空ひばりのシングル曲。
コンサートなどで歌うときは、「おまえに惚れた」の「おまえ」のパートに合わせて客席を指差しながら歌う仕草が有名でした。
男性から女性に向けた恋を歌っている歌詞ですが、美空ひばりの歌唱は艶っぽく、かつ凛とした雰囲気だと人気の歌です。
サビのコーラスは実弟の、かとう哲也が務めました。
東京キッド
1950年発売の『東京キッド』は、映画「東京キッド」の主題歌として制作された美空ひばりのシングルです。
当時13歳の美空ひばりは、映画の主演及び主題歌『東京キッド』を歌って、映画も歌も大ヒットしました。
『東京キッド』は彼女の楽曲の中で、累計売上枚数第8位のヒット曲です。
「右のポッケにゃ 夢がある 左のポッケにゃ チュウインガム」と明るく歌う彼女の歌声に、戦後まもなく混乱期だった時代の日本人は、とても元気づけられました。
港町十三番地
昭和歌謡で人気の船乗りや港をテーマにしたマドロス曲は、美空ひばりが好んで歌ったジャンルですが『港町十三番地』は特に人気の楽曲です。
ひばりの故郷である横浜市と隣の川崎市が舞台になった歌で、京浜急行大師線港町駅には『港町十三番地』の歌碑が建立されました。
「海の苦労をグラスの酒に みんな忘れるマドロス酒場」の歌詞から、久しぶりに港町に戻ってきた船乗りたちの、威勢のいい様子が伝わってくるようです。
美空ひばりの泣ける曲3選
美空ひばりの曲は、元気をもらえる陽気な歌もたくさんありますが、泣きたい夜にぴったりのしっとりとした歌にも名曲が多いです。
次は美空ひばりのヒット曲から、泣ける曲3選を紹介します。
悲しき口笛
『悲しき口笛』は1949年に当時12歳の美空ひばりが初主演した映画「悲しき口笛」の主題歌で、彼女が一躍有名になるきっかけとなった曲。
映画の中で、幼いひばりが『悲しき口笛』をシルクハットに燕尾服で歌っている姿は有名です。
天才少女と呼ばれた歌唱力で悲恋の歌をクールに歌いこなし、人々を驚かせました。
映画「悲しき口笛」は美空ひばりの出身地横浜を舞台にしており、「丘のホテルの赤い灯」「みなと小雨が降るように」など、異国情緒のある街の様子が歌われています。
みだれ髪
サビの艶やかで美しいファルセットが印象的な『みだれ髪』は、長期入院していた美空ひばりが、1987年に復帰第一作としてリリースした曲。
低音の出だしから高音のサビまで、音域が広く難しい歌ですが、作曲の船村徹が「ひばりは高音に特長がある」と考えて、あえてこのように作曲しました。
『みだれ髪』は福島県いわき市平薄磯地区の屋埼灯台を舞台にしたご当地ソングで、失恋した女性の悲しい心情がよく表れた、泣ける名曲です。
悲しい酒
古賀政男作曲の『悲しい酒』は、美空ひばりのシングル売り上げで3番目のヒット曲。
1966年に初めて発売されたときは間奏のセリフ部分はありませんでしたが、1967年にリリースされたコンパクト盤からは、美空ひばり本人の要求でセリフが加えられています。
恋に破れた女性の深い悲しみをしみじみと歌った曲で、彼女が『悲しい酒』を歌うときは必ず涙を流しながら歌っていました。
ひばり本人は、小さい頃のつらかったことを思い出して涙を流していたそうですが、聴く人も曲の世界観にひきこまれて一緒に泣いてしまうような名曲です。
美空ひばりの新曲!?「あれから」
2019年に放送された番組「NHKスペシャル AIでよみがえる美空ひばり」で、人工知能に学習させた美空ひばりの歌声をもとに、AI美空ひばりの曲『あれから』が制作されました。
作詞は『川の流れのように』の秋元康で、間奏にひばり本人からのメッセージのようなセリフが入り「泣けた」「感動した」と話題になった曲です。
当初はCD化の予定はなかったのですが、視聴者やファンからの要望が多くCDとして発売されることに。
そして、同年のNHK紅白歌合戦でもAI美空ひばりが『あれから』を歌いました。
30年ぶりの新曲の人気は、色褪せない美空ひばりの人気を物語るようなエピソードです。
美空ひばりの曲は時代を超えて愛され続ける!一番売れた歌は「川の流れのように」
美空ひばりは天才少女と呼ばれた子役時代から、数多くの名曲を歌った国民的な人気歌手。
1989年発売の最後のシングル曲『川の流れのように』は、彼女の代表曲で最大のヒット曲になりました。
52歳の若さで亡くなるまで、バラードから歌謡曲、演歌、グループ・サウンズ、ダンス音楽など、時代や演出に合わせて幅広いジャンルの歌を残しています。
隠れた名曲や泣ける名曲も数多く、2019年にはAI美空ひばりが新曲を発表して話題に。
昭和の歌謡界の女王、美空ひばりの曲は時代を超えて愛され続けています。
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この記事のまとめ!
- 美空ひばりは幼い頃から歌手として活躍し、天才少女と呼ばれた
- 1989年、亡くなる直前に発売された『川の流れのように』は最大のヒット曲になる
- 代表曲は演歌、ダンス音楽、バラード、グループ・サウンズなど、バラエティ豊か
- 優れた歌唱力で、元気の出る曲、泣ける曲など数多くの名曲を残した
- 没後30年でAI美空ひばりが新曲を紅白歌合戦で歌うなど、時代を超えた人気歌手