デビュー25周年記念シングルは現代社会を描く
邦ロック界の女王・椎名林檎が2023年5月24日にデビュー25周年記念シングルとなる『私は猫の目』をリリースしました。CDシングルとしては約8年ぶりのリリースとなる本作の表題曲は、博多時代からのバンド仲間である時津梨乃、田渕ひさ子、そしてNYのヒップホップ/ジャズシーンを席巻するBIGYUKIとのセッションのために書き下ろされた楽曲。
全員がMVにも出演しており、偉大なアーティストたちの卓越した音楽センスをユーモアを交えた映像と共に楽しむことができます。
作詞作曲を務めた椎名林檎がこの楽曲にどんな世界を描いたのか、さっそく歌詞の意味を考察していきましょう。
----------------
弱り目祟り目当たり前 世知辛い
なんちゅうカタストロフィーよ!
鵜の目鷹の目で網の目 洒落臭い
尚なお詰んでジエンド?
≪私は猫の目 歌詞より抜粋≫
----------------
「弱り目に祟り目」ということわざは、不運な状況にある時にさらに不運が重なることを意味します。
そのことわざの通り、この世の中では当たり前のように困難が次々と襲いかかってきます。
「カタストロフィー」は大きな破滅を指す言葉なので、人々が自分に降りかかる不運にショックを受け絶望している様子が見て取れますね。
続く「鵜の目鷹の目」は鵜や鷹が獲物を求めるように鋭い目でものを探そうとするさまを例えたことわざです。
人々の鋭い視線が網の目のように張り巡らされているため、誰もがとても窮屈な生活を強いられているようです。
----------------
腹の虫が治まらない溜めに溜めた
呪いの念手目が上がるぜ意趣返し
今ここで会ったが百年目
野郎め天誅だい参ったか
目には目を血で血を洗え
煩えど本業を飽くまでも
遣り上げ続けましょう…
ご尤も人の噂などたった二ヶ月半
≪私は猫の目 歌詞より抜粋≫
----------------
ある人は怒りの気持ちが溜まりに溜まり、復讐の機会を窺っています。
「手目が上がる」とは悪だくみが露見することを表す言葉で、その人が自分がされたことの仕返しをして相手の化けの皮を剥がしてやろうとしていることを示しています。
そして遂に復讐を成し遂げると、それが神の意思だとでも言うように「天誅だい参ったか」と声高に言って得意げです。
「目には目を血で血を洗え」という言葉から、どんな手段を使ってもやり返そうとする過激な思考が読み取れます。
それが本当に正義かと悩む気持ちはあっても、何が何でも報復してやるという思いに固執して行動を起こしたようです。
こうした現代社会の風潮に疲れたり呆れたりしている人も多いのではないでしょうか?
おそらく主人公もその1人で、所詮「人の噂などたった二ヶ月半」だからこの出来事だって皆すぐに忘れてしまうと少し冷めた目で見ていることが感じ取れます。
恋する女の執着心
----------------
頬赤らめ惚れた欲目 分かるまい
しょっちゅうアストロロジーを!
疲れ目霞み目光らせて 情けない
尚なお一層ジュテーム?
≪私は猫の目 歌詞より抜粋≫
----------------
ここでは恋をした女性について歌われています。
「アストロロジー」は星占いのことなので、その女性は事あるごとに恋する相手と自分との相性を占っているようです。
占うためには相手の情報も必要になるため、頻繁にSNSをチェックしているのでしょう。
その結果「疲れ目霞み目」に悩まされていますが、それでもやめようとしません。
しかしここでは、その気持ちは本当に愛なのかと問いかけられています。
----------------
胸が塞がって片息泣くに泣けない
長い微熱ご査収くださいこの貞操
誰よりもあんたが一枚目
野郎め眼中にないのだな
肌理も流し目も意味ない
弁えど純情は惜しみなく
差し上げ続けましょう…
≪私は猫の目 歌詞より抜粋≫
----------------
好きな人が何をしているのか、どんな人と過ごしているのかと不安に過ごす日々。
胸は苦しく息もしにくくなっていき、泣くに泣けない今の状況は明らかに恋煩いの域を超えています。
「長い微熱」という形で体ははっきり不調を訴えていますが、彼女が考えるのは好きな人のことばかりです。
「ご査収ください」という表現は、間違いがないか確認して受け取ってもらいたい時に使われます。
あなたのために大切に守っている貞操をもらってほしいという切実な想いが綴られていると解釈できます。
ところが後半の歌詞を見ると、相手の男性にとって彼女は少しも眼中にない様子です。
美しく艶やかな肌も色っぽい流し目も、彼には効果がありません。
そう分かっていても、これからもこの純情を彼に捧げ続けるつもりだという執念にも似た恋心が綴られています。
「猫の目」が見る人間社会の動き
----------------
引け目人目は打っ遣って
けじめ折り目至って結構
しかし自分の本心へ忠義
尽くすことです いつも
肝心要天下分け目なら尚
≪私は猫の目 歌詞より抜粋≫
----------------
「打っ遣る」はほったらかすという意味があります。
この歌詞では一般的なけじめや礼儀作法を重んじるのは確かに大切なことではあるものの、引け目や人目なんて気にせず「自分の本心へ忠義を尽くす」べき時もあるという考えを表していると考察できますね。
勝負の時を目前にしているなら尚のこと、一瞬一瞬を大切に生きなくてはならないと訴えかけてきます。
----------------
ねえここは地獄の何丁目
篦棒滅法当てずっぽうに
丁か半か賽の目は出鱈目
まだ増しよ
勘を信じられるほうが
まっとうよケセラセラ!
土台状況次第相手次第で
受け容れてしまう性こそ
諸行無常
≪私は猫の目 歌詞より抜粋≫
----------------
復讐や叶わぬ恋のいざこざが飛び交うこの世は地獄のようなもの。
「箆棒」も「滅法」も度を越している状態を示すため、人々がかなり適当に博打を打つかのように生きていることを感じさせます。
それでも信じられる勘があるならその人は真っ当で、まだ何とかなるはずだと言っています。
危険なのは、状況や相手次第で態度を変えて何でも受け容れてしまう「諸行無常」な生き方の人たちです。
実際に現代社会ではそういう人が少なくないのではないでしょうか。
あなたの生き方はどうだと問いかけられているような気がします。
----------------
さあ世間は百面相が将又
のっぺらぼうかと嗤うが
≪私は猫の目 歌詞より抜粋≫
----------------
ここまで傍観者だった主人公が最後にとうとう姿を現します。
世間は主人公のことをどんな表情も作れる「百面相」や感情の読めない「のっぺらぼう」と嘲笑っているようです。
しかしタイトルで主人公は自分のことを「私は猫の目」だと言っています。
「猫の目」とは、猫の瞳が明るさによって形を変えることから移り変わりの激しいことの例えとして用いられる言葉です。
目まぐるしく変わる人間社会の動きを見ているため、主人公の瞳も忙しく変化しているのでしょう。
どこでも神出鬼没に現れる野良猫のように、主人公はこの世の中で起きる様々な出来事を見つめています。
周囲が自分をどう見ていようと関係なく、自分が見たいものを見て知りたいことを知ろうとする姿はとても自由です。
人間社会は窮屈ですが、見方を変えれば面白いエピソードであふれています。
そんな風に少し離れたところから人間たちを鑑賞している猫の姿が見えてきますね。
椎名林檎の音楽の世界をもっと楽しもう!
『私は猫の目』は椎名林檎らしい文学性の高い日本語表現で現代社会を風刺した楽曲でした。本作のリリース日には、オリジナルアルバム6作とリミックスアルバムも同時リリースされています。
デビューから25周年、常に新しい音楽の世界に招き入れてくれた椎名林檎のさらなる活躍に期待が高まります!