X JAPANメンバーの年齢や名前などのプロフィール
X JAPANの公式ホームページでは、現在7人のメンバーが紹介されています。実際には亡くなったメンバーもいるのですが、X JAPAN自身にもファンにも、大事なメンバーであることに変わりないのでしょう。
まず、X JAPANメンバーの年齢や名前など、プロフィールを紹介します。
YOSHIKI (ヨシキ)

本名/th> | 林佳樹(はやし よしき) |
---|---|
誕生日 | 1965年11月20日 |
年齢 | 59歳 |
結婚歴 | なし |
出身地 | 千葉県館山市 |
血液型 | B型 |
担当 | ドラム・ピアノ・作曲家 |
X JAPANのリーダー、YOSHIKI (ヨシキ)はドラムとピアノ担当で、メインコンポーザーです。
4歳からクラシックピアノを始め、KISSの日本公演に行ったのをきっかけに11歳からドラムを開始。
レコード会社「エクスタシーレコード」を設立し、LUNA SEAやGLAYたちを輩出するなど、音楽プロデューサーとしても活躍しています。
国際的な活動もめざましく、アメリカのメディアで「日本の歴史上最も影響力のある作曲家の1人」と評価されました。
デザイナーや実業家としての顔も持ち、ドキュメンタリー映画「YOSHIKI: UNDER THE SKY」では映画監督をつとめるなど、幅広く活動しています。
TOSHI (トシ)

本名/th> | 出山利三(でやま としみつ) |
---|---|
誕生日 | 1965年10月10日 |
年齢 | 59歳 |
結婚歴 | あり |
出身地 | 千葉県千葉市 |
血液型 | B型 |
担当 | ボーカル |
TOSHI (トシ)は、3オクターブ以上の声域と独特な声質を持つスーパーボーカリスト。
YOSHIKIとは幼稚園からの幼馴染で、11歳でバンドを結成した時はTOSHIがギターでYOSHIKIがボーカルでした。
X JAPANのボーカルとして活躍する一方、ソロでヒーリングアルバムをリリースする等の活動を始め、1997年には脱退。
しばらくロックスターの顔を封印していましたが、2007年にX JAPANが再結成した時は新曲「I.V.」のMVに出演し、X JAPANのボーカルとして再始動しました。
現在は、Toshl名でソロ活動や執筆業など幅広く活動しています。
PATA (パタ)

本名/th> | 石塚智昭(いしづか ともあき) |
---|---|
誕生日 | 1965年11月4日 |
年齢 | 59歳 |
結婚歴 | あり |
出身地 | 千葉県千葉市 |
血液型 | B型 |
担当 | ギター |
ギターのPATA(パタ)のステージネームは、漫画「パタリロ!」の主人公に似ていることから、つけられました。
X JAPANの加入は1987年で、最初はギターパートのヘルパーとして参加しましたが、当時のギタリストISAOが脱退したため、正式メンバーになりました。
高速の曲が多いX JAPANの曲を弾きこなす彼の優れたテクニックは、バンドに不可欠で、PATAが体調不良で入院した時は、アルバムやライブが延期されたほどです。
私生活では、ジャイアンツの大ファンを公言する野球好きで、2024年には初の自伝「PATA 酔っ払いの回顧録」を出版しました。
HEATH (ヒース)

本名/th> | 森江博(もりえ ひろし) |
---|---|
誕生日 | 1968年1月22日 |
年齢 | 55歳没 |
結婚歴 | あり |
出身地 | 兵庫県尼崎市 |
血液型 | B型 |
担当 | ベース |
ベース担当のHEATH (ヒース)は、メンバーで唯一SNSをしないため、私生活が謎に包まれた人物です。
ロックに目覚めたきっかけは、小学校4年生の時に母や兄と行ったヴァン・ヘイレンのコンサートでした。
X JAPANに加入したのは1992年で、前のベーシストTAIJIの後任を探すため行われたセッションで、メンバーに気に入られて正式加入しました。
安定したベースプレイはYOSHIKIのドラムとの相性が抜群で、バンドのリズム隊としてX JAPANの世界進出を成功させたと言われています。
2023年に急逝しましたが、病気療養中だったことをメンバーも知りませんでした。
SUGIZO (スギゾー)

本名/th> | 杉原有音(すぎはら ゆうね) |
---|---|
誕生日 | 1969年7月8日 |
年齢 | 56歳 |
結婚歴 | あり |
出身地 | 神奈川県秦野市 |
血液型 | O型 |
担当 | ギター・バイオリン |
SUGIZO (スギゾー)はギターとバイオリン担当で、X JAPANだけでなく、LUNA SEA、THE LAST ROCKSTARSのメンバーです。
両親がオーケストラの団員という音楽的に恵まれた環境で育ち、3歳からバイオリンを始めました。
X JAPANのサポートギタリストを経て、正式メンバーになったのは2009年です。
YOSHIKIからの強い要望を受け、悩んだ末に「自分にしかできないから」と正式加入を決意しました。
プライベートでは自他共に認めるオタクで、宇宙や考古学からエヴァンゲリオン、ガンダムまで、興味範囲が広いことで有名です。
HIDE (ヒデ)

本名/th> | 松本秀人(まつもと ひでと) |
---|---|
誕生日 | 1998年5月2日 |
年齢 | 33歳没 |
結婚歴 | あり |
出身地 | 神奈川県横須賀市 |
血液型 | AB型 |
担当 | ギター・コーラス |
X JAPANのギタリストとして、カリスマ的人気のHIDE (ヒデ)は、高校時代に結成したバンド「サーベルタイガー」で有名な存在でした。
しかし、ミュージシャンを辞めて美容師になろうとした時、YOSHIKIからの誘いを受け、Xに加入することになったのです。
好奇心旺盛で、バンドと並行してソロやコラボなど、積極的に音楽活動の場を広げました。
しかし、1998年に急逝し、死後にリリースされた、ソロとしてのシングル「ピンクスパイダー」「ever free」は大ヒットを記録。
2008年のX JAPAN復活コンサートでは、HIDEの立体映像が登場したほど、メンバーにもファンにも愛され続けています。
TAIJI (タイジ)

本名/th> | 沢田泰司(さわだ たいじ) |
---|---|
誕生日 | 1966年7月12日 |
年齢 | 45歳没 |
結婚歴 | あり |
出身地 | 千葉県市川市 |
血液型 | A型 |
担当 | ベース・コーラス |
ベースのTAIJI (タイジ)は、X JAPANの前身「X」時代のベーシストです。
ベーシストに転向する前はギタリストだったため、アコースティックギターなどを演奏することがあり、ベース同様に高く評価されています。
彼はプロのミュージシャンを目指して高校を中退後、いくつかのバンドを経てXに加入。
しかし、1992年に脱退し、LOUDNESSを始めいろいろなバンドやソロで活動を続けました。
2010年の「X JAPAN WORLD TOUR Live in YOKOHAMA」では、久しぶりにX JAPANメンバーと共演し、復帰が期待されていましたが2011年に亡くなりました。
X JAPANってどんなバンド?

X JAPANの歴史には、インディーズ時代からメジャーデビュー、世界進出など、これまでに、さまざまな出来事がありました。
バンド名の変更やメンバーの入れ替わりも多く、常に変化し続けるバンドと言えるかもしれません。
次はX JAPANの結成から解散、再結成などの経歴を紹介します。
X JAPANの経歴
X JAPANの前身「X」が結成されたのは1982年です。幼馴染のYOSHIKIとTOSHIが作ったバンドで、メンバーは流動的でした。
1987にはHIDE、PATA、TAIJIの初期メンバーが揃い、ファーストアルバム「Vanishing Vision」をリリース。
インディーズとしては異例のヒットを記録し、1989年にはセカンドアルバム「BLUE BLOOD」でメジャーデビューを果たします。
ミリオンを達成してメディアへの露出も増え、ビジュアル系として人気絶頂となった頃、TAIJIが脱退。
1992年に新メンバーHEATHを迎えたXは、世界進出を目指してバンド名を「X JAPAN」に変えました。
X JAPANは一度解散している
1997年に音楽性・方向性の違いからTOSHIが脱退を表明し、他のボーカリストが見つからなかったため、X JAPANは一度解散することになりました。新たなボーカルを迎えるまでの予定で、メンバーはそれぞれソロ活動を行っていたのです。
しかし、1998年にHIDEが急逝し、メンバーは深い悲しみに陥りました。
そんなYOSHIKIに転機が訪れたのは、天皇陛下御即位十年をお祝いする国民祭典で演奏した、奉祝曲「Anniversary」でした。
その後、YOSHIKIはHIDEへの追悼やメンバー間の関係性修復のために、X JAPANの再結成を目指すようになります。
X JAPANは2007年に再結成
再結成に積極的なメンバーの意思を受け入れたTOSHIは、2007年にロサンゼルスのYOSHIKIのスタジオを訪れ、久しぶりのセッションを行いました。その曲はHIDEへの追悼を込めた「Without You」でした。
そして、X JAPANは、YOSHIKI、TOSHI、PATA、HEATH、SUGIZOの5人で再結成することになったのです。
その後、東京ドーム公演や海外ツアーなどで再び盛り上がったX JAPANですが、メンバーが多忙である等の事情から、2018年以降はバンドとしての活動は少なくなっています。
再びX JAPANとして活動再開するのが、待ち遠しいですね。
X JAPANのおすすめ有名曲5選
メジャーデビューから30年以上にわたって、世界的に有名な曲を数多くリリースしたX JAPAN。膨大な曲の中から、何を聴いたらいいか迷いますよね。
最後は、X JAPANのおすすめ有名曲5選を紹介します。
紅
ライブで必ずと言っていいほど演奏される「紅」は、変調した後TOSHIの「クレナイだー」のシャウトで会場を沸かせる、超人気曲。
X JPANを知らない人にも、高校野球の応援曲、ゲーム「太鼓の達人」の難易度が高い曲として、おなじみです。
X時代、メジャーとして初めてリリースしたアルバム「BLUE BLOOD」からのシングルで、「X JAPAN BEST 〜FAN'S SELECTION〜」のファン投票では1位になりました。
ギターから始まるバージョン、ピアノで始まるバージョンなど、SUGIZOのバイオリンが入るバージョンなど、いろいろなバージョンがあります。
Silent Jealousy
「Silent Jealousy」は、X時代の3rdアルバム「Jealousy」からリカットされたシングル曲。
Xが初出場したNHK紅白歌合戦で演奏された、記念すべき曲です。
叙情的なピアノのイントロから、スピード感あふれるリフへと展開するX JAPANの世界観に、思わず引き込まれるでしょう。
作詞作曲はYOSHIKIで、嫉妬に狂う男性の激しい心情を描いた歌詞は、英語と日本語で一部韻を踏んでいます。
かなり長い曲で演奏が大変なことから、しばらくライブで演奏されていませんでしたが、2008年の東京ドームコンサート以来、よく演奏されるようになりました。
Born to be free
「Born to be free」はX JAPANが再結成してリリースした「I.V.」「JADE」「Scarlet Love Song」に続く、4曲目の配信シングルです。
全編英語の歌詞は、X JAPANの楽曲の中でも特にメッセージ性が強く、自分を抑圧するものから逃れようとする、強い意思が感じられます。
世界進出へ向けて、新しいX JAPANの世界へと踏み出そうとするメンバーの気概が感じられ、洋楽の雰囲気が漂う曲です。
2015年に出演したNHK紅白歌合戦では、この曲と「Forever Love」がメドレー形式で演奏されました。
Rusty Nail
X JAPAN初のオリコンチャート1位を記録し、ゴールドディスクのトリプルプラチナを獲得した「Rusty Nail」は、1994年リリースのシングルです。
1990年に発売の「WEEK END」の第2章として作られた曲で、同じアルペジオが使われていたり、歌詞に関連性があったりするので、両曲をチェックしてみると面白いでしょう。
ロックな部分を残しつつ、全面的にシンセサイザーを使って、J-POPのようにキャッチーな魅力がある曲で、多くの人から愛されています。
ほぼ全てのライブで演奏されており、オープニング曲として会場を沸かせることが多い曲です。
Forever Love
「Forever Love」は「ENDLESS RAIN」「Tears」と並ぶ、X JAPANの人気バラード。
元総理大臣の小泉純一郎氏が自由民主党総裁だった頃、選挙のCMソングに起用したことから、ロックファン以外の人にも知られる曲となりました。
TOSHIの澄み切った歌声と、メンバー全員の気持ちがこもった演奏が涙腺を刺激し、ラストライブではYOSHIKIとTOSHIがハグする感動的なシーンが見られた曲。
オーケストラバージョン、ストリングスとボーカルのみのバージョン、アコースティックギターバージョンなどがあるので、聴き比べてみるのも面白いでしょう。
X JAPANメンバーは現在も活躍中!伝説的な曲を聴き今も続く人気を実感しよう
X JAPANのメンバーは、現在YOSHIKI、TOSHI、PATA、SUGIZOで、公式ホームページでは元メンバーのHEATH、HIDE、TAIJIもメンバーとして紹介されています。独特なメイクや髪型で、ビジュアル系ロックバンドの先駆者となったX JAPANには、メンバーの入れ替わりや解散、再結成など、さまざまな歴史がありました。
疾走感のある高速のヘビメタから、ロマンチックなバラードまで、X JAPANの名曲は世界中のファンから愛され続けています。
伝説的な名曲を聴いて、X JAPANの人気を実感してみませんか。