ユーミンこと松任谷由実は、日本を代表する女性シンガーソングライター。
多くのヒット曲がありますが、特におすすめしたい松任谷由実の代表曲10選を紹介しましょう。
この記事でわかること
松任谷由実の代表曲10選
松任谷由実の曲は時代と共に変化し、その年代のトレンドに影響を与え続けてきました。
70年代のフォーク調のソフトな曲、80年代の華やかなシティポップ、90年代以降の新しい取り組みなど、曲を聴くと当時の記憶が鮮やかに蘇る人も多いでしょう。
またドラマや映画などの挿入歌として使われて、作品のイメージを強く印象付けた名曲もたくさんあります。
はじめに、そんなユーミンの代表曲10選を紹介しましょう。
Hello,my friend
『Hello,my friend』は1994年にリリースされた、夏の終わりに似合う切ないラブソング。
オリコン1位を獲得するなど大ヒットし、ミリオンセラーを記録しました。
ひと夏に起きた男女の三角関係を描いた月9ドラマ「君といた夏」の主題歌にも起用されたので、ドラマの印象が強い人も多いでしょう。
松任谷由実らしいエモーショナルな歌詞が印象的で、もう戻れない夏の記憶や会えなくなった友達への想いなどが溢れて、胸がいっぱいになってしまう名曲です。
守ってあげたい
1981年に映画「ねらわれた学園」の主題歌として書き下ろされたのが『守ってあげたい』です。
多くのCMでタイアップ曲として使われているので、広い世代から認識されているユーミンの代表曲の1つ。
男の子に「守られたい」女の子ではなく、愛する男の子を「守ってあげたい」と願う、ひたむきな女の子の気持ちを描いたセンスは、松任谷由実ならでは。
この曲は、ユーミンの出身地である東京都八王子市の防災行政無線で放送されています。
春よ、来い
1994年に、同名のNHKの連続テレビ小説の主題歌となったのが『春よ、来い』。
文語を使った美しい日本語の歌詞とピアノのメロディーが印象的で、日本の春の美しさをドラマティックに歌い上げています。
数々のCMのタイアップ曲になりミリオンセラーとなったヒット曲で、中学の音楽の教科書にも掲載されました。
いろいろなアーティストにカバーされていますが、オリジナルの松任谷由実のバージョンがベストと言えるかもしれません。
シンデレラ・エクスプレス
『シンデレラ・エクスプレス』は、1985年発売のアルバム「DA・DI・DA」に収録の曲。
ドキュメンタリー番組「シンデレラ・エクスプレス-48時間の恋人たち-」の主題歌として書き下ろされました。
さらに、JR東海のCM「シンデレラ・エクスプレス」イメージソングにもなっています。
遠距離恋愛の彼氏と週末を過ごした女性が家に帰って行く時の寂しさを、魔法が解けたシンデレラに例えているのが印象的です。
恋人がサンタクロース
『恋人がサンタクロース』は、1980年リリースのアルバム「SURF&SNOW」に収録された曲で、シングルカットはされていません。
しかし、この曲は多くのアーティストにカバーされ、松任谷由実の代表曲の1つと言える人気曲。
映画「私をスキーに連れてって」の挿入歌にも起用され、80年代の若者文化を語る上で欠かせないデートソングとなりました。
山下達郎の「クリスマス・イブ」と並ぶJ-POPの代表的なクリスマスソングで、クリスマスを子供向けの宗教行事から恋人たちのイベントに変えた曲とも言われています。
リフレインが叫んでる
「どうしてどうして僕たちは出逢ってしまったのだろう」という、深い悲しみに満ちたフレーズから始まる『リフレインが叫んでる』。
1988年リリースのアルバム「Delight Slight Light KISS」に収録の曲で、シングル曲にはなっていませんが、松任谷由実らしい感性が感じられる失恋ソングの名曲です。
男性サイドと女性サイドの言葉が交互に登場する歌詞や、自分に何度も問いかけてしまう後悔の言葉は、失恋の心の痛みを見事に表現しています。
潮風にちぎれて
『潮風にちぎれて』は、荒井由実から松任谷由実となって初めて発売した、1977年リリースのシングル。
オリジナルアルバムには収録されておらず、ベストアルバムや配信で聴くことができます。
1人で海に来て別れた恋人のことを思い出している、強がりな女の子の失恋ソングで、夏の浜辺が浮かぶような爽やかな曲。
夏が始まる頃になると聴きたくなる、ユーミンの夏の恋の歌です。
埠頭を渡る風
スピード感のあるイントロから始まる、夜のドライブにぴったりの曲が『埠頭を渡る風』。
1978年リリースのアルバム「流線形’80」から翌年シングルカットされた曲で、当時はカセットに録音してカーオーディオで聴いていた人も多いかもしれませんね。
逗子マリーナのライブではラストに演奏され、この曲の後で打ち上げ花火が上がるのが恒例となっていました。
この歌に出てくる埠頭とは、晴海ふ頭のことです。
DESTINY
『DESTINY』は、CMのタイアップソングやドラマの主題歌に起用された人気曲。
1979年リリースのオリジナルアルバム「悲しいほどお天気」に収録され、ライブでは必ず演奏される定番曲です。
明るい曲調なのに歌詞は寂しい失恋ソングで、そのギャップに松任谷由実らしい作風が感じられます。
特に、彼に偶然会った日に「今日にかぎって安いサンダルをはいてた」エピソードは「結ばれない運命を感じた恋愛」あるあるで、共感を覚える人も多いでしょう。
ノーサイド
ラグビーの試合終了のことを指す『ノーサイド』は、1984年のアルバム「NO SIDE」に収録の曲で、試合終了時の感極まる瞬間を描いた美しいスローバラード。
元々は、麗美のアルバム「REIMY」のために提供された曲でしたが、後日、松任谷由実がセルフカバーしました。
2019年の紅白歌合戦では、その年に開催されたラグビーワールドカップ出場メンバーの前で松任谷由実がこの歌を披露し、選手たちを感動させています。
松任谷(荒井)由実・ユーミンのデビュー曲
松任谷(荒井)由実は歌手のイメージが強いかもしれません。
しかし、作曲家としても多くの楽曲を他のアーティストに提供しています。
ユーミンが作曲家として楽曲を提供したのは、松田聖子の『赤いスイトピー』薬師丸ひろ子の『Woman “Wの悲劇”より』など名曲ばかり。
実はユーミンは作曲家としてのデビューの方が先で、それも17歳という若さで作曲家として本格的な仕事を始めました。
次はユーミンの作曲家としてのデビューと、歌手としてのデビューについて紹介します。
作曲家としてのデビュー曲
松任谷由実(当時は荒井由実)の作曲家としてのデビュー曲は、1971年に元ザ・タイガースの加橋かつみに提供した『愛は突然に…』。
この時ユーミンは17歳でしたが、この曲はユーミンが14歳の頃に作った曲だったと言う早熟ぶりにも驚きです。
子供の頃からいろいろな楽器に触れていたユーミンは、中学生の頃から六本木のディスコなどで夜遊びして多くの芸能人と知り合い、彼らの影響で作曲を始めました。
そしてたまたま知り合った加橋かつみに自分の作った曲を聴かせたところ、気に入られて作曲家デビューすることになったのです。
歌手としてのデビュー曲
元々は作曲家志望だったユーミン。
1972年多摩美術大学に入学した後、周囲からの勧めにより18歳の時に『返事はいらない』で歌手デビューしました。
この曲はあまりヒットしませんでしたが、次作の『ひこうき雲』『やさしさに包まれたなら』などが大ヒット。
そこから、歌手荒井由実として本格的に音楽活動を始めることになりました。
今でもユーミンは本来の自分は作曲家で、歌手としてのユーミンは松任谷由実と周りの人間が共に作り上げた存在だと話しています。
荒井由実時代のヒット曲
ユーミンは1976年に音楽プロデューサー松任谷正隆と結婚して、荒井由実から松任谷由実へと名前を変えました。
荒井由実時代と松任谷由実時代では少し曲調が変わっているので、変化を聴き比べてみるのも楽しいですよ。
荒井由実時代は、1972年のデビューから1976年の結婚までなのであまり長くないのですが、今も愛され続けている名曲が多いです。
次は、荒井由実時代のユーミンのヒット曲を紹介しましょう。
やさしさに包まれたなら
『やさしさに包まれたなら』は1974年のシングル曲で、映画「魔女の宅急便」のエンディングテーマとしても、子供から大人まで広い世代に愛されています。
元々は洋菓子のCMとして依頼を受けて作られた曲なので、ふんわりした印象の曲。
「神様」や「メッセージ」など、深くなりがちな言葉が使われていますが、やわらかな曲調で重くなることなく、すーっと心に染みこむような温かい歌になっています。
中央フリーウェイ
ドライブデートのBGMにぴったりなシティポップが、1976年に発売の『中央フリーウェイ』。
「二人して 流星になったみたい」などの歌詞から、夜のドライブのワクワクする気持ちが伝わってきます。
この曲はユーミンが松任谷正隆と結婚した頃に作られた曲で、実体験としてデートでドライブした中央自動車道から見た風景が描かれています。
中央道を通って府中付近を通る時、歌詞に出てくるビール工場や競馬場を見てこの歌を思い出す人も多いでしょう。
卒業写真
卒業シーズンになると聴きたくなる代表的な卒業ソングが、1975年発売の『卒業写真』。
この曲は、ハイ・ファイ・セットのデビューシングルとして書き下ろされた曲です。
語りかけるような静かなバラードに、自分の学生時代の記憶を重ねてジーンとする人も多いでしょう。
この歌に出てくる「人ごみに流されて変わってゆく私を〜 遠くでしかって」のあなたとは、ユーミンの学生時代の恩師のことです。
ルージュの伝言
1989年映画「魔女の宅急便」のオープニングテーマとしてヒットし再リリースされた『ルージュの伝言』は、元々は1975年に発売のシングル。
アメリカンポップなイメージの曲調と、いたずら心のある女の子の行動が魅力的な曲ですが、ルージュで書いた伝言は何だったのか想像するのも楽しいですよね。
印象的なコーラス部に参加しているのは、なんと山下達郎、吉田美奈子、大貫妙子という豪華メンバーで、このコーラスが曲の雰囲気を高めています。
この曲を聴く時は、ぜひコーラスにも注目して聴いてみて下さいね。
ひこうき雲
『ひこうき雲』は、1973年リリースの荒井由実のファーストアルバムに収録されている曲です。
若くして亡くなったユーミンの友達をテーマにした曲ですが、ネガティブな印象にすることなく、彼女の生前の生き方を称えて静かに見送っている印象があります。
10代のデビューアルバムでこんな名曲を作るユーミンの才能には、驚くばかりですね。
この曲は映画「風立ちぬ」の主題歌にも起用され、映画のテーマを深く印象付けました。
松任谷由実の隠れた名曲
松任谷由実の活動期間は、荒井由実時代や作曲家デビューした頃も数えると約50年に及びます。
その間発売されたオリジナルアルバムは、2020年までで39枚。
代表曲の10選でもシングルカットされていない曲があることを考えると、知らないだけでまだまだ隠れた名曲があることが分かりますよね。
最後にユーミン本人やファンに高く評価されている、松任谷(荒井)由実の隠れた名曲を紹介します。
翳りゆく部屋
『翳りゆく部屋』は1976年リリースで、荒井由実として最後のシングル曲。
結婚式を思わせるような荘厳なオルガンの伴奏がついていますが、歌詞はとても悲しい別れの歌になっているのが特徴です。
この曲はエレファントカシマシ、椎名林檎など、多くのアーティストにカバーされている人気曲。
ユーミンのバージョンも雰囲気があって素晴らしいのですが、カバーではそれぞれの解釈の違いが表れるので、聴き比べてみるのも面白いでしょう。
雨の街を
ユーミン本人が「一番好きな歌」と言っている『雨の街を』は、1973年荒井由実時代のファーストアルバム「ひこうき雲」に収録されている曲です。
静かな雨の朝のような美しいピアノの旋律と、何気ない風景を切り取った絵画のような歌詞がみずみずしい曲で、10代のユーミンの並々ならぬ才能を感じさせます。
松任谷由実時代の華やかな曲しか知らない人にも、この時代の名曲にぜひ触れてみて欲しいですね。
かんらん車
『かんらん車』は、1978年リリースのアルバム「流線形’80」に収録の失恋ソング。
雪の日に1人で遊園地へ来て、別れた彼のことを想いながら閉園前の観覧車に乗るという切なすぎる歌です。
「地上に戻る頃 世界が止まる」の歌詞で、聴く人の心も曲の世界に吸い込まれてしまいそう。
この曲のモデルとなったのは、今は無き二子玉川園の観覧車だと言われています。
土曜日は大キライ
『土曜日は大キライ』は1986年発売のアルバム「ALARM a la mode」に収録されている曲。
お笑い番組の「オレたちひょうきん族」のエンディングテーマとして、ある年代以上の人にはおなじみの曲かもしれません。
失恋したばかりのヒロインが友達に誘われて週末の夜遊びに出かける歌で、失恋ソングなのに曲調は明るいダンスナンバー。
ユーミンの魔法で新しい恋もすぐに見つかるような気がする、ポジティブな曲です。
松任谷由実の曲は有名な人気曲だらけ!あなたも隠れた名曲を発掘しよう
ユーミンこと松任谷由実の代表曲は時代と共に進化を遂げ、その年代の文化に影響を与えたり映画やドラマの主題歌となったりした、有名な曲ばかり。
デビューは17歳で最初は作曲家として音楽活動を始め、その後歌手荒井由実としてデビューし、結婚後は松任谷由実と名前を変えました。
荒井由実時代の曲やシングルカットされていない曲なども含めると、実はあまり知られていない人気曲がたくさんあるかも。
ユーミンのアルバムをチェックしたり、カラオケで歌ったりして、あなたも松任谷由実の隠れた名曲を発掘してみませんか?
この記事のまとめ!
- 松任谷由実(荒井由実)ことユーミンの曲は、時代と共に進化して文化に影響を与えてきた名曲ばかり
- ユーミンは17歳で作曲家としてデビュー、歌手デビューはその後18歳で
- 荒井由実時代は長くないが、愛され続けている名曲が多い
- 50年近いキャリアの中から生まれた多くの楽曲から、松任谷由実の隠れた名曲を探してみよう