「どうもこんばんは!スカートです」
どこまでも歌が主役の時間だった。そう書くと、まるでバンドもオーディエンスも不在だったように聞こえるが、バンドの存在や聴き手の意識がごく自然な形で音楽に向けられており、その中心に澤部渡の生み出す歌があった。
2019年7月19日、夏の陽もかげりを見せる時間。道行く人の足が向かう先は、センター街を抜けた渋谷CLUB QUATTRO。
オープニングアクトのHelsinki Lamda Clubによる、おそらくその場にいた全員にとって想像以上な時間が過ぎ、汗のにおいと発散した余熱が残るステージにスカートのメンバーが登場する。
挨拶代わりの1曲目は最新作『トワイライト』収録の「四月のばらの歌のこと」。
「どうもこんばんは!スカートです」。冒頭から、新たに導入したというアコースティックギターを抱えて歌い上げる。キーボード、ベース、ドラムスにパーカッションという編成で回る今回のツアー。
澤部のソロプロジェクトとして存続してきたスカートだが、近年はほぼメンバーを固定し、バンドサウンドの深化にも取り組んでいる。
そのこともあってか、余白を残したアンサンブルの隙間から立ち上がるグルーヴは、ほのかな色気とみずみずしい質感を湛えていた。
東京のローカルバンドが持つ前シティ・ポップ的必然性
『トワイライト』からの曲を中心に構成されたセットで、途中からトレードマークのリッケンバッカーに持ちかえて次々と曲を披露。ひと息ついたところで、マイクに向かう。
「スカートは東京のローカルバンドという意識があります。東京のバンドというとだいたい山手線の内側なんですけど、我々はそれに異を唱えたい。山手線の外側から内側へ向かう曲です」と言って「高田馬場で乗り換えて」を演奏。
澤部のつくる楽曲は、おおざっぱに言えば“シティ・ポップ”という括りになるだろう。
実際にスカートの活動期間は近年のムーブメントと重複しているが、スカートの音楽には、主人公の視点を通して見る生活の場としてのまちの姿が息づいている。
「高田馬場で乗り換えて」は東京のローカルバンドを志向するスカートにとって、前シティ・ポップ的な必然性を持った1曲であると感じた。
生成りの質感をそのまま受け手に差し出すようなスカートの曲と、一般的に流通するポップソングの間にはやや距離があることは確か。
たとえば、ライブでも演奏された「あの娘が暮らす街(まであとどれぐらい?)」は、NeggicoのKaedeに提供した曲だが、澤部自身が歌うことで聴き味のポップさが微妙に後退する。その分、メロディの陰影や歌詞に込められた抒情がより鮮明に伝わってくる。
ポップミュージックの地平に射す消えない光
最新作『トワイライト』には、スカート特有のロマンチシズムに加えて、一種の寂寥感が色濃く投影されている。
「口数がだんだん減っても、私はハローと言いたい」と前置きして歌い出した「ハローと言いたい」や、「沈黙」で描かれるコミュニケーションの途絶した場所、飛行士の目線から見える風景を綴った「それぞれの悪路」で描かれるのは、ある種の救いのなさである。けれども、それは必ずしも絶望を意味しない。
「それでも夕暮れは私たちを等しく染めない」と歌う表題曲「トワイライト」に感じるのは、断絶ではなくほのかな明かるさだ。
この日、転換のSEを担当した直枝政広(カーネーション)がDJ卓に乗せたのは、新旧ポップマエストロによる珠玉のナンバーだった。一般的なイメージと違って、特に海外では、時事やトラブルなどの一見ネガティブな主題をポップなメロディに乗せて歌うことは少なくない。
映像喚起力が高いというか、正確に言えば心象風景にアクセスする力を持った澤部のソングライティングからは、聴き味のポップさとバブリーな装飾に埋もれない、普遍性を備えたポップミュージックの強度と作り手としての矜持を感じる。
そのことは、なかば自虐的な「スカートの音楽はぜいたく品だと思う」という言葉からも伝わってきた。
広漠としたポップミュージックの地平に射す消えない光。デビュー10周年を前に、スカートの目指すものがより鮮明に像を結んだライブだった。
TEXT 石河コウヘイ
PHOTO 廣田 達也
セットリスト
1.四月のばらの歌のこと2.ずっとつづく
3.ともす灯やどす灯
4.視界良好
5.遠い春
6.高田馬場で乗り換えて
7.さよなら!さよなら!
8.セブンスター
9.ハローと言いたい
10.アンダーカレント
11.CALL
12.回想
13.沈黙
14.それぞれの悪路
15.花束にかえて
16.トワイライト
17.あの娘が暮らす街(まであとどれぐらい?)
18.静かな夜がいい
En1.君がいるなら
En2.ストーリー