YUKIの「JOY」
いつだって世界はわたしを楽しくさせて
いつか動かなくなる時まで遊んでね
しゃくしゃく余裕で暮らしたい
約束だって守りたい
「いつか動かなくなる時まで」「余裕で暮らしたい」と、歌詞の主人公の希望が並んでいる。「世界」は彼女にとって明るく楽しい場所で、いつまでも遊んでいたい場所なのだ。
しかし、『JOY』の主人公は余裕では暮らせず、約束も守れない。だから「余裕で暮らしたい」「約束だって守りたい」と願望をあらわにしている。
この願望を、アーティスト「YUKI」の身に実際に起こった事実と照らし合わせてみよう。例えば、JUDY AND MARY時代の名曲『Hello! Orange Sunshine』の作詞で陥った大きなスランプ。締め切りは何度も伸ばしたはずだ。
解散後、ソロになってからもつきまとう「JUDY AND MARYのYUKI」という肩書きには、彼女なりの苦しみがあった。
当時の苦しみをソロになって1枚目のアルバム『PRISMIC』の中で、『呪い』というタイトルの曲にしたためたこともある。
そんな風にYUKIは、世界は楽しいことばかりじゃないことを知っていて、だからこそ彼女はここで、主人公に託した自分の望みを叫んでいるのだ。
けれどこの望みは、誰にだって当てはめることのできる、日常的で些細なものにも見える。『JOY』が共感を呼ぶとしたら、この歌詞に集約されるかもしれない。
離れた二人をつなぐ呪文は「J・O・Y」
確かな君に会いたい百年先も傍にいたい
どんなに離れ離れでも
ふたりをつなぐ呪文はJ・O・Y
サビに入ると、主人公は誰かと離れ離れになっていることが明かされる。「傍にいたい」ということは、恋人かもしれない。
しかし、つないでいる呪文が「J・O・Y」、つまり「楽しみ」だということは、「世界」のことをも指しているのだ。「君」は彼女の「世界」であり、運命の相手なのだろう。
ここで「運命」という言葉を使ったが、これにはまだ続きがある。歌詞の続きを追ってみよう。
YUKIの心の変化が垣間見える楽曲「J・O・Y」
いつも口からでまかせばっかり喋ってる運命は必然じゃなく偶然で出来てる
2番に入ると、明確に「運命」というキーワードが現れる。全国ツアー『YUKI concert tour “Flyin’ High”’14〜’15』のファイナル公演では、YUKIはこう歌っていた。
「運命は必然という偶然で出来てる」この違いは何だろうか?
かつて「運命」と「必然」は、YUKIの中で別々の言葉だった。しかし時を経て、ライブという環境で新たに歌うとき、「偶然」だった「運命」は「必然」になったのだ。
「偶然」の連続はやがて「必然」となり、「必然」は積み重なって「運命」になる。
この世界で歌っているYUKIの新たな発見であり、YUKIと世界をもっとうっとりさせる運命=JOYに対する、YUKIの心の変化でもある。
「いつだって世界はわたしを楽しくさせて」と歌い始めたときの彼女の願いが、わずかながらも明らかに形を変えて、私たちの前へ再び現れたのだ。
『JOY』を書いた当時よりも、もっともっと、YUKIは世界と運命を楽しんでいる。少なくとも、私にはそう見えてならない。
TEXT:辻瞼