美的に仕上げられたその音は、リスナーの頭の中に抽象的な世界を想起させるのだ。
元々は70年代のロックやフォークを中心としたサウンドだったが、その仕切りもなくなり多様性のある音楽を作っている。
最近の彼らの楽曲はアコースティックやポップを基調にしながらも、様々なジャンルの要素を取り入れている。
前衛的と感じさせられる部分もあり、音楽の基本に還ったようなスタンスでもあり、彼らの歌を簡単に形容できない。
まるで、カメレオンのように次々と色を変えていく。
今回はその中から2枚目のシングル「青春狂走曲」を紐解き、サニーデイサービスの「ひとつ」の側面を紐解きたい。
サニーデイサービスの「青春狂走曲」
“今朝の風はなんだかちょっと冷たく肌に吹いてくるんだ
ぼんやりした頭がすこししゃんとするんだ
憶えてない夢のせいで心が
何メートルか沈み込むんだ”
一聴すると陽気な歌であり、嫌なことなんてどこ吹く風と言いたくなる楽曲だ。
しかし、何度も聞いている内に楽曲に流れる空気は悲哀を帯びていると感じられる。
それは、簡単な言葉で紡がれていながらも表現のしばしに独特な窪みがあるからだ。
「心が沈む」という形では表せないものに対し、「メートル」という単位を持ちこむ。
目に見える・見えないを超越させたその詩は妙技に長けている。
抽象(心が沈む)と具体(メートル)の境目を曖昧にし彼らは詩に立体性をもたらし、突出や窪みを生んでいるのだ。
「ぼんやりとした頭が少ししゃんとするんだ」「何メートルか沈み込むんだ」など、有りそうでなかった表現を使い楽曲に個性をもたらす。
青年の心をくすぐる一曲
“熱いコーヒーを飲みたいんだそっちはどうだい うまくやってるかい
こっちはこうさ どうにもならんよ
今んとこはまあ そんな感じなんだ”
陽気さと懐かしさを感じさせる「青春狂走曲」は若者の心を代弁しているみたいだ。
どんな言葉をかけてもらっても、頭では理解できても、社会に対しどこか不安がつきまとう青年の心をくすぐる一曲だ。
「こっちはこうさ どうにもならんよ」「今んとこはまあ そんな感じなんだ」という詩から、青年が違和感を持ちながらも社会へと適用しようとする姿が浮かんでくる。
また同曲はボブディランがロックに文学性を持ち込み、社会を風刺したことを思い出させる。
両者ともに時代や人々の心を見据え、文学的な詩を音楽に落とし込んでいるのだ。
人々のイメージを刺激するのは、やはり「文学性」から来ているのだろう。
私達の青春を代弁してくれているよう
“夏の朝が僕に呼びかける「調子はどうだい うまくいってるかい」
気分が良くなって外へ飛び出すんだ
愉快な話 どこかにないかい?
そんなふうなこと口にしてみれば”
いつまでも”良い音楽”を続けるサニーデイサービス。
人生の酸いも甘いも含んだそのサウンドに熱狂するのもうなづける。
どこかノスタルジックで自分たちの青春を代弁してくれているように感じてしまう。
それは青春が持つ漠然とした不安をなだめるわけではなく、ありのままに詩へと変換しているためだ。
そこに、言葉では説明がつかない音楽だけが持つ情感を加えている。
サニーデイサービスは商業としての音楽ではなく、音楽としての音楽をやり続けている。
それは青春がずっと色褪せないということを意味する。
TEXT:笹谷創