不思議な世界観をもつ名曲
『ボクの背中には羽根がある』は、不思議な世界観をもつ楽曲だ。ドラマタイアップということもあり、当て書きのようでもありながらすべてではない。
「ボク」と「君」の関係性はもちろん「君」の存在の正体すら分からない。「幸福」という言葉を用いながらもどこか切なさを秘めている。
だからこそさまざまな関係性をあてはめて想像することができる。名曲である所以だ。
羽根を授けたのは君
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悩んで沈んだ日々も
そばにいればホッとした
ずっと君と生きてくんだね
ボクの背中には羽根がある
どんな夢もかなう気がする
君を抱いて空も飛べる
嘘じゃないよ
今、「幸福」に触ったみたい
≪ボクの背中には羽根がある 歌詞より抜粋≫
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「生きてくんだね」という言葉には、どこか“実感”を感じる。ひとりではなく、君と生きているのだという実感。
だからこそ、本当の意味での理解は難しいと思っていた。そうそう感じる想いではないからだ。しかし光一氏は、ジャニー喜多川氏と「生きていく」感覚を体験したのだろう。
君の存在こそ、ボクにとっての「羽根」…羽ばたく自由と羽ばたける強さである。
君がいるから、ボクは羽根を持つことができる。君といれば、この羽根があれば、どんな夢だって叶う気がする。
羽根を授けたのは君。君とボクとは二人でひとつになったのだ。
“きっと”君と生きていく
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きっと君と生きてくんだね
胸に頬寄せて確かめる
どんな辛い未来が来ても
二人だったら乗り切れるさ
≪ボクの背中には羽根がある 歌詞より抜粋≫
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大サビで、これまで歌ってきた「ずっと」が「きっと」に言い換えられる。想う以上の“決意”、そして“願い”を感じられる印象的なフレーズだ。
光一氏の提案による変更であると当時のインタビューで明かしていた。奇しくも、ジャニー喜多川氏へのメッセージとして、もっとも胸に響く言葉となった。
胸に頬寄せる。これは、命の鼓動を確かめているのだと思っていた。「君が生きている」ことを確かめていたい、生きていることこそ願いであると。
しかし今回のメッセージを受け、生きているとかいないということは、さして重要ではないのだと思い知る。
翼を広げ、どこまでも羽ばたく
これからもボクは君とともに生きていく。「ずっと君と生きていく」のだ。ボクには、君が授けてくれた羽根がある。君の存在、君がくれた愛情を胸に抱いて空も飛べる。そこにいようといまいと、ずっと一緒に生きていける。そこに寂しさや、悲しみはない。むしろ、これまでよりもずっとずっとそばに君の存在を感じられるのだから、なんと心強いことだろう。
人が本当に死ぬのは忘れ去られた時だという。ならばジャニー喜多川氏に「それ」は永遠に訪れない。
ジャニー喜多川氏は、すべての少年にどこまでも飛べる羽根を授けた。彼は魔法使いだ。だが、羽ばたく者もいれば留まる者もいる。飛び方が分からず諦めた者もいただろう。
光一氏はたしかに羽ばたいた。彼の背中には、羽根がある。彼はこれからもきっと羽ばたき続ける。「ジャニー喜多川」という若き青年が見た夢を、意志を、胸に抱いて未来へと繋ぐ。
これから彼らは、どんな景色を我々に見せてくれるだろう。
TEXT シンアキコ
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