人気歌い手への提供楽曲「泥中に咲く」
多くの涙腺崩壊曲を生み出して来た、バラードソングの名手ボカロPの「HarryP(はりーP)」。
その彼が大人気歌い手「ウォルピスカーター」に提供をした楽曲が『泥中に咲く』です。
「泥」という言葉に「咲く」という表現が続くタイトルからは、池の中で花を咲かす「蓮」を連想する視聴者が多い模様。
MVの中にも蓮の葉が描かれていたりと、深い関連性はあると思われます。
この「蓮」にはどのような意味があるのか。それを知る為にも、その歌詞を考察してみましょう。
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砕けた心が濾過できなくて
涙はそっと枯れていく
もう一粒も 流れなくて
可笑しいよねって 笑ってる
≪泥中に咲く 歌詞より抜粋≫
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始まりの歌詞を見ると、どうやら歌の主人公は「心が砕けた」状態であるようです。
「濾過できなくて」という歌詞からも、その状態から心を新たに入れ替える、昇華させることができない状態である事が察せられます。
では、なぜ心が砕けてしまったのか。
続く歌詞を見てみましょう。
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酷烈な人生
あなたを遮る迷路の荊棘
濁世の闇 立ちはだかる
君は誰よりも憂う人
だから今 僕らは溺れかけてる
寸前だろう
正しい呼吸に救われた 今はいつか
死ぬために生きてるだけだ
≪泥中に咲く 歌詞より抜粋≫
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「酷烈な人生」が心が砕けた理由だと思われます。
「酷烈」とは「きわめて厳しい」という意味であり、主人公の人生が酷く厳しいものであったことが想像できます。
ここで「君」という新しい人物が登場します。
はたしてこの人物は何者なのか、焦点をあてていきましょう。
「僕」を救った「君」の優しさ
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「誰よりも憂う人」である「君」。
その前の歌詞には「濁世の闇」と歌われており、これこそ「君」が憂いているものであると推測されます。
「濁世」とは「濁り汚れた世界」という意味です。
続く「闇」という歌詞は、この「濁世」の部分を指しているのでしょう。
世の中には様々な事件や出来事によって、傷付いた人々がたくさんいます。
「君」が憂いているのはそんな世の中の姿なのでしょう。
さらに2番では次のようにも歌われています。
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僕は今 人間です 今日も明日も
その次の日も
認めるのは そのくらいでいい
みんな別々の息を食べてる
そう 君も今 人間です
その姿が嫌いなだけで
憎めないよ 優しいから
君は誰の為にも願う人
≪泥中に咲く 歌詞より抜粋≫
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最後の歌詞に注目です。ここからわかるのは「君」がもつ「慈悲深さ」です。
思い返せば最初に「君」が憂いていたものは「世の中」の姿。
つまり「君」は他者の為に「心を砕ける」人であるという事になります。
酷烈な人生で心が砕かれた主人公とは違う意味で、また「心を砕く人」なのです。
そんな君に主人公は一度「嫌い」と突き放します。
続く「その姿」というのは「人間」を指していると思われます。
つまり主人公は人が嫌いという事なのでしょう。
その理由はやはり「酷烈な人生」の中にあるのかもしれません。
しかし同時に「憎めない」とも歌っています。
人嫌いの心にすらも、変化を及ぼすその優しさは「君」という人物のはてしない慈悲深さを表していると言っても過言ではないでしょう。
君の正体は「蓮」?蓮華化生の歌
「君」の優しさに触れてか、次第に主人公の心模様に変化が生まれていきます。
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ひとひらの花が散るために
水も土も光も その種も
僕の目の前にあるものが
その意味も過去も未来も
ひとつと欠けると生まれないぜ
僕も君も あの人も
なんでもないと言いながら
過去の荷物を君に背負わせる
運命が通せんぼする 勘違い
自業自得だよ
でも状況が良くないからね
逃げたいよね 生きたいよね
≪泥中に咲く 歌詞より抜粋≫
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「勘違い」「自業自得だよ」という口ぶりは、人嫌いの彼らしい発言です。
しかし続く歌詞は、相手の気持ちを思いやる内容となっており、人嫌いならばあり得ない言葉です。
その前の「過去の荷物を君に背負わせる」という歌詞も、どこか「君」への気遣いを感じられるものです。
この「過去」というのは「君」の優しさによって救われた酷烈な人生で砕けてしまった主人公の「心」を示唆しているのではないでしょうか。
他者の為に心を砕き続ける「君」。
しかしそれは裏を返せば自分を犠牲にしているという風にも取れます。
ここで最初の歌詞を振り返ってみると、このような歌詞が歌われいる事に気づきます。
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だから今 僕らは溺れかけてる
寸前だろう
正しい呼吸に救われた 今はいつか
死ぬために生きてるだけだ
≪泥中に咲く 歌詞より抜粋≫
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「僕ら」というのは、主人公と「君」を指すのでしょう。
「正しい呼吸」は「救われた」という歌詞から推測するに「君」の優しさの事を言っているのだと思われます。
しかし「溺れかけてる寸前」と、主人公と君の両者の心が苦しんでいるようにも取れる内容も歌われています。
主人公は酷烈な人生に辟易していたが「君」の優しさに救われた。
しかし「君」は他者を救うばかりで自分自身を犠牲にしていることに気づいていない。
だから心が擦り減っている事に気づかないまま、溺れかけている寸前なのかもしれません。
主人公はそんな「君」に気がついたのでしょう。
だからこそ、最後のサビではこのように歌っているのでしょう。
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もう壊れない 壊れない
壊れない心の 鐘を鳴らそう
曇天だろう 泥まみれさ
どこもかしこも
今 この世の行方を 遮る迷路に
線を引こうぜ
その線がさ 重なる地図
君を照らすために咲く花さ
≪泥中に咲く 歌詞より抜粋≫
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今度は主人公が「君」を救おうとするような光景が想像できる歌詞です。
またその光景はタイトルと繋がりを感じられる歌詞となっています。
「泥中」が「濁世」を示しているとすれば、そこで「優しさ」という救いを行う「君」の姿は泥の中でも綺麗に咲き続ける蓮の花と被る姿があります。
と同時に「濁世」ですり減る「君」の心を救おうとする主人公の姿もまたそれに通ずる光景に見えませんか。
さらに「蓮」は仏様の住まう極楽にある花とされています。
正しい行いをして生きてきた人々の象徴とされ、極楽に生まれ変わる人々は蓮の上から生まれると言われています。
それを『蓮華化生』と言います。
サビの始まりで主人公は「もう壊れない」と歌っています。
「君」の優しさに触れた事で、砕けた心を「壊れない心」に昇華させることが出来たとのでしょう。
そして「君」から貰った優しさを、今度は「君」へ返そうとしているのではないでしょうか。
その変化は、新しく生まれ変わったと言っても過言ではない変化の筈です。
これは「君」という「蓮」によって、生まれ変われた主人公の「蓮華化生」の歌なのでしょう。
TEXT 勝哉エイミカ