天性の歌声を持つボーカリスト徳永英明とは?
ひとたび聴けば彼の声だと誰もがすぐにわかるほど、徳永英明は他の人にはない天性の歌声を持っています。長年ファンを魅了し続けている天才、徳永英明とはどのようなボーカリストなのでしょうか?
徳永英明のプロフィール
徳永英明は1961年2月27日に福岡県柳川市で生まれ、兵庫県伊丹市で育ちました。
1987年にリリースした4枚目のシングル『輝きながら…』がオリコンチャート4位になり、1990年にリリースした『夢を信じて』が年間ランキング1位を獲得する大ヒットとなっています。
高い歌唱力と唯一無二の歌声で、2005年には女性シンガーのみの楽曲をカバーした『VOCALIST』というアルバムが話題になりました。
翌年には『VOCALIST 2』をリリースし、第48回の日本レコード大賞にて企画賞を受賞しています。
コアなファンはもちろん、老若男女問わず愛されているトップボーカリストです。
1994年にファッション雑誌「ViVi」でモデルをしていた高野ゆみと結婚しており、2人の子どもがいます。
徳永英明がCDデビューするまで
徳永英明が音楽を志したきっかけは、中学3年生の頃に聴いた井上陽水の『氷の世界』という楽曲でした。
表現することに魅せられた徳永は、通っていた大阪の観光専門学校を中退した後19歳で上京しています。
彼の父親は保険会社の営業マンで、25歳までにデビューしなかった場合は自分と同じ職につくように言われていました。
音楽事務所の近くにあった飲食店でアルバイトをしながら、そこで繋がった音楽関係者にデモテープを渡していたそうです。
同時期にはライブハウス新宿ルイ―ドのライブイベントに定期的に出演するなど、下積みを積んでいます。
オーディションテレビ番組スタ誕こと「スター誕生!」に出演したこともありましたが、その時は特にスカウトされることもありませんでした。彼の才能が見出されたのはTRFのSAMも受けていた、ロックミュージカルのオーディションです。
SAMと主演の座を競った結果、徳永が選ばれ1985年10月、10日間の公演に出演しています。
そのことが話題になり1986年、徳永が24歳10ヶ月の時にアルバム『Girl』とシングル『Rainy Blue』をリリースしメジャーデビューを果たしました。
徳永英明は病気で活動休止していた
徳永英明は2001年5月にもやもや病を患ったため、活動を休止しています。
もやもや病は脳底部の血管網が煙に似た状態になるところから由来している病名であり、脳血管の異常から失神・脱力発作を起こす病気です。
翌年の11月には復帰し、活動を再開しています。
2016年2月には、もやもや病が影響して発症しやすくなるといわれている脳梗塞予防の手術も受け、万全な態勢をとっているようです。
しかし同年7月には咽頭喉頭炎を患ってライブを一部延期し、2018年9月には脳梗塞を発症しています。
軽度だったため早期に退院しましたが、4か月後の12月には疲労による過換気症候群を起こしていたようです。
徳永英明の楽曲でおすすめ3選
徳永英明は自身で作曲をつとめ、歌詞も手掛けています。彼の儚げでスモーキーな歌声は極上で、特にバラードに定評があるようです。
抜群の表現力で楽曲の世界観を彩る徳永英明の中でも、ファンが一押しする代表曲を厳選して3つ紹介します。
「Rainy Blue(レイニーブルー)」
1986年1月21日にデビューシングルとしてリリースされました。
1997年11月1日に『Rainy Blue 〜1997 Track〜』として、再録音されたものも発売されています。
作詞は大木誠が、作曲は徳永英明本人が手掛けました。
1986年版の編曲は作曲家・音楽プロデューサーでもあり、KinKi Kidsの『全部だきしめて』や斉藤由貴の『卒業』の編曲もつとめている武部聡志が担当しています。
1997年版の編曲はアレンジャー・シンガーソングライターであり、かぐや姫の『なごり雪』や中島みゆきの『時代』も手掛けている瀬尾一三が担当しました。
「僕のそばに」
1993年11月1日にリリースされた、18枚目のシングルが『僕のそばに』です。
週間オリコンチャートでは第4位を獲得しており、TBS系のテレビドラマ「オレたちのオーレ!」の主題歌にも起用されています。
31万枚を超える大セールスとなっており、川上大輔や林部智史にもカバーされた名曲です。
作詞作曲はともに徳永英明がつとめ、編曲はキーボーディストであり長渕剛の『しあわせになろうよ』や桂銀淑の『愛ひとつ 夢ひとつ』なども手掛けている国吉良一が担当しました。
共感を呼ぶ歌詞が涙を誘う、極上のラブソングです。
「輝きながら」
作詞はちあきなおみの『Again』や西城秀樹の『一万光年の愛』を手掛ける大津あきらが、作曲はギタリストでありハイ・ファイ・セットの『浪漫鉄道』や中森明菜の『DESIRE-情熱-』なども手掛ける鈴木キサブローが担当しています。
この曲ははじめ『BIRDS』というアルバムの中に収録されていた楽曲で、リカットシングルとして1987年7月5日にリリースされました。
この曲が大ヒットしたことをきっかけに、徳永は当時大人気音楽番組だった「ザ・ベストテン」「歌のトップテン」の両方に出演しています。
フジカラーのCMソングに起用されており、さらにリリースから10年後には福岡県にある西鉄大牟田線という鉄道路線の、柳川到着時に車内に流れるチャイムとしても使用されました。
徳永英明の今後の活動に注目!
徳永英明の新しい音源リリースの情報はまだないようですが、2020年8月29日からコンサートツアーがはじまるようです。
スタートは埼玉県川口市で12月後半にかけて、多くの会場を周ります。
デビューから今に至るまで、ずっとファンを魅了し続けた徳永英明の魅力は本物です。ライブ情報やリリース情報など、今後の活躍から目が離せません。
TEXT imahashimiwa