二度と会えない人への切ないラブソング
2004年4月にリリースされた『瞳をとじて』。
この曲は2004年に公開された映画「世界の中心で、愛をさけぶ」の主題歌として作られました。
映画「世界の中心で、愛をさけぶ」は、白血病に侵された女子高生を中心に愛や命を見つめる映画で、『瞳をとじて』は映画の登場人物へのアンサーソングとして作られたそうです。
偶然に会うことすら絶対に叶わない。
瞳を閉じないと見えない君への深い愛情を描く歌詞には、胸が締め付けられます。
この記事では、この曲の歌詞の意味を考えていきましょう。
切なすぎる「僕」の願いに涙する
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あの日 見せた泣き顔 涙照らす夕陽 肩のぬくもり
消し去ろうと願う度に 心が 体が 君を覚えている
≪瞳をとじて 歌詞より抜粋≫
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「僕」の前からいなくなってしまった「君」の涙。
「僕」の肩にもたれていた思い出があるからこその「肩の温もり」。
それらをどんなに消し去ろうと努力してもできなかったのでしょう。
だからこそ、消し去ろうと「願って」いる。
この「願っている」という一言に”一般的な失恋ではなく、もっと辛い別れだったのではないか”と感じることができますよね。
あまりにも辛い思い出になってしまったから、消えて欲しいと願う。
でも大好きな君との思い出だから、辛い記憶でも愛おしいのかもしれません。
本心では消えて欲しくないのかもしれませんね。
だから、消し去ろうと努力をし続けるのではなく、願う。
この言葉を聞いた瞬間から心が締め付けられます。
「瞳をとじて」のタイトルの意味
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瞳をとじて 君を描くよ それだけでいい
たとえ季節が 僕の心を 置き去りにしても
≪瞳をとじて 歌詞より抜粋≫
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好きな人の姿を見るときには、目をしっかり見開きますよね。
相手の姿の細かいところまで、自分の記憶に焼き付けたいと思うものではないでしょうか。
でも「僕」は「君」に会うときに瞳を閉じます。そして「それだけでいい」と思っています。
それは「君」が目の前にいないからという理由だけではないですよね。
例えば、恋人から嫌われて別れたとします。でも、自分を振った相手と二度と接点を持てなくなるとは限らないですよね。
信じられないような偶然で再会することがあるかもしれません。共通の知人から相手の噂を聞くこともあるでしょう。
何より、どうしても相手をあきらめることができないのであれば、心の中でそっと相手の幸せを祈ることもできるでしょう。
でも「僕」は「君」とのそういった現実的な接点を持つことすらできません。
だから瞳を閉じて記憶の中の「君」に会う。
「それだけでいい」と言い切れるのは、頑張っても「それしか出来ない」からですよね。
『瞳をとじて』君に会うというタイトルの意味を考えると、過ぎ去っていく季節の中で、目を閉じて「君」のことを思いながら悲しみの中で立ち尽くす「僕」の姿が目に浮かんできます。
君がくれたものを大切に生きていく
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いつかは君のこと なにも感じなくなるのかな
今の痛み抱いて 眠る方がまだ いいかな
≪瞳をとじて 歌詞より抜粋≫
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大きな痛みや悲しみがあっても「君」のことを何も感じなくなるよりはいい。
「君」への深い愛情が伝わってきて胸が締め付けられるようですね。
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記憶の中に 君を探すよ それだけでいい
なくしたものを 越える強さを 君がくれたから
君がくれたから
≪瞳をとじて 歌詞より抜粋≫
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「君」との残酷な別れが「僕」に強さをもたらしたのでしょう。
もしかしたら「僕」は”弱いままでいいから「君」の側にいたかった”と考えたことが一度ならずあったかもしれません。
でも今は愛する「君」がくれたものだからこそ、強さを大切にしていきたい。
「君がくれたから」と二回繰り返されるのは、それだけ「僕」が「君」からもらったものを大切にしているからなのでしょう。
もう会えない人への深い愛情を歌った『瞳をとじて』。その世界観に浸ってみませんか。
TEXT 三田綾子