消費社会の中にある疲れた心と景色の美しさ
現代の音楽シーンを牽引する男女2人組バンド・ヨルシカが、2020年10月7日にシングル『風を食む』を発売しました。報道番組『NEWS23』のエンディングテーマとして書き下ろされた楽曲で、作詞作曲を担当するn-bunaは「消費することに疲れてしまった心を最後に優しく包むような曲を書きたい」という想いで作り上げたそうです。
柔らかなメロディーラインとsuisの繊細な歌声がマッチし、現実の切なさの中にも救いを感じる一曲となっています。
文学的に綴られた歌詞とタイトルに込められた意味を読み解いていきましょう。
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明日はきっと天気で 悪いことなんてないね
タイムカードを押して僕は朝、目を開いた
僕らは今日も買ってる 足りないものしかなくて
靴を履きながら空想 空は高いのかな
≪風を食む 歌詞より抜粋≫
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冒頭は明るい内容に思えますが、あえて「明日は」と挙げていることから「今日は雨で良いことなんてなさそう」という考えが伝わってきます。
「僕らは今日も買ってる 足りないものしかなくて」というフレーズで、テーマである消費社会のイメージが浮かんできますね。
きっと多くの人がこの主人公のように、たくさんのものを持っていてもまだ足りないと感じて、無意識のうちに得ることに必死になり、心が疲れているでしょう。
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貴方さえ 貴方さえ
これはきっとわからないんだ
はにかむ顔が散らつく
口を開けて風を食む
春が先 花ぐわし
桜の散りぬるを眺む
今、風を食む
≪風を食む 歌詞より抜粋≫
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サビでは、主人公以外の登場人物として「貴方」が出てきます。
何が「わからない」のかははっきり記されていませんが、明日の様子や空の高さなど、誰にも分からないもののことかもしれませんね。
そしてタイトルの「風を食む」は、風のような捉えどころのないものを得るという意味合いと考えられます。
日本古来の言葉で春の美しさが表現されていることから、消費社会の中にも昔から決して変わらず消費し尽くされない素敵なものがあることを示しているのではないでしょうか。
現代で本当に価値のあるものとは?
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棚の心は十五円 一つだけ売れ残った
値引きのシールを貼って閉店時間を待った
明日もきっと天気で 此処にも客が並んで
二割引の心は誰かが買うんだろうか
≪風を食む 歌詞より抜粋≫
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続く2番では、スーパーやコンビニなどで働く主人公の仕事風景が描かれています。
たった15円なのに一つだけ売れ残った商品に値引きシールを貼る姿は、寂しい雰囲気を感じさせますね。
歌詞には商品ではなく「心」と表現されているので、現実のことではなさそうです。
おそらく、この楽曲においての店の陳列棚とは、何にでも価値がつけられる現代を象徴しているのでしょう。
すり減ってしまった自分の心に価値を見出してくれる人がいるのだろうかと、ぼんやり考えていると思われます。
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貴方だけ 貴方だけ
僕はずっと想ってたんだ
ただ白いあの雲を待つ
風のない春に騒めく
草流れ 天飛ぶや
軽く花の散るを眺む
今、風を食む
≪風を食む 歌詞より抜粋≫
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2番のサビでは「貴方」が彼の大切な人だと分かります。
空を漂う雲や揺れる草、飛ぶ鳥や散る花といった普遍的な美しい風景を眺める時のような、穏やかで愛おしい想いを彼女に抱いているようです。
彼女のことを考える時間は、消費社会によって壊れかけた心を満たしてくれる時間。
形があって消費できるものだけが重要なものではないことが伝わってきます。
美しさに気づける心は誰かにとっても美しい
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遂に心は半額 いつまでも売れ残って
テレビを眺めて空想 ニュースは希望のバーゲン
貴方は今日も買ってる 足りないものしか無くて
俯く手元で購入 空は高いのかな
≪風を食む 歌詞より抜粋≫
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3番では、心の価値がさらに下がってしまいました。
平和や技術革新を謳う根拠のない報道に一喜一憂するのにもうんざりしているにもかかわらず、それでもまだ消費を続けています。
スマホのタップ一つで買い物ができる現代では、空を見上げることも少なくなっているでしょう。
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貴方だけ 貴方だけ
この希望をわからないんだ
売れ残りの心でいい
僕にとっては美しい
春が咲き 花ぐわし
桜の散りぬるを眺む
≪風を食む 歌詞より抜粋≫
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このサビからすると、1番で彼女の「わからない」ものが「希望」だったと考えられます。
たとえなかなか価値を見出せない心でも、「僕にとって美しい」と思ってくれる人が一人でもいる限り、その事実は希望になるはずです。
その希望に気づいていない彼女を決して批判しているのではなく、「貴方にも気づいてほしい」という気持ちが込められているように感じられます。
自分自身に価値を見出すせなくなっている彼女にも、花が咲いては散るような純粋な美しさがあると語っているのではないでしょうか。
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貴方しか 貴方しか
貴方の傷はわからないんだ
口を開けて歌い出す
今、貴方は風を食む
冬籠り 春が先
貴方の歌だけが聞こえる
今、口遊む貴方だけ
貴方だけ
≪風を食む 歌詞より抜粋≫
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人の心の本当の痛みは、その人にしか分かりません。とはいえ、冬が来ればまた春が訪れるように、状況は常に変化していきます。
美しい季節の移り変わりを眺めながら歌を口ずさむ姿は、想像するだけで気分がわくわくしてきませんか?
その時間は決して無駄なものではなく、価値のあるひと時になるはずです。
誰もが現代の消費社会に翻弄されている中、身近にある美しさを見つけて喜べる人でありたいと考えさせられますね。
そして同時に、自分自身も誰かにとっては美しい存在なのだと思うと心が軽くなるでしょう。
ヨルシカの『風を食む』は、疲れた心をそっと癒してくれる優しい名曲です。
TEXT MarSali