RADWIMPSの新曲が映画「余命10年」の主題歌に
映画「余命10年」は、2017年に発売された小説「余命10年」を実写映画化した作品です。
物語の中には、難病を患い闘病生活を送っていた著者の小坂流加さんの実体験も含まれているのではないかと言われています。
著者の小坂流加さんは残念ながら小説が書店に並ぶのを見ることなく、刊行日の3か月前に逝去されました。
映画は藤井道人監督のもと撮影が進められ、主人公・茉莉を小松菜奈が演じ、茉莉と恋に落ち彼女を変えていくきっかけを作る和人を坂口健太郎が演じています。
この物語の主人公の茉莉は20歳の時に不治の病にかかり、余命10年を宣告されてしまいます。
茉莉は生きることに執着したくないという理由から恋愛もしないと決め、様々なことを諦めながら生きていました。
そんなとき同窓会で偶然再会したのが和人です。
和人も当時生きることに迷い、自分の居場所を見失っていました。
そんな生きる意味を失った2人が互いに惹かれ合い、人生は輝きだします。
主題歌『うるうびと』も映画の内容にリンクしたものになっているので、そこに注目しながら歌詞を見ていきましょう。
違う世界で生きる二人から生まれたものとは?
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ホントみたいな嘘ばかり 頬張り続ける世界で
嘘みたいなホントばかり 抱えた君は窮屈そうに 笑った
≪うるうびと 歌詞より抜粋≫
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歌いだし部分で、この世界は「ホントみたいな嘘ばかり」と言っています。
これは皆がよく口にする「死ぬほど」や「死ぬかと思った」というフレーズのことを言っているのでしょう。
「死」とは程遠い世界で生きている人ほど気軽に「死」という言葉を発します。
「死ぬほど頑張った」や「笑いすぎて死ぬかと思った」と言っても、本当に死ぬことはありません。
これを野田洋次郎は「ホントみたいな嘘」と表現しているのでしょう。
一方で「君」は「嘘みたいなホントばかり」を抱えています。
これは映画内に登場する茉莉のことですね。
茉莉は余命10年と宣告されているにも関わらず、淡々と日々を過ごしているように見えます。
そんな彼女を見てしまうと、余命10年というのも嘘みたいだと思ってしまいますよね。
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元気すぎるこの身体に 飽きた頃に熱が出ると
なぜか妙に嬉しくてさ 大きな声で 母の元へと駆けた
≪うるうびと 歌詞より抜粋≫
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これは誰もが子どもの時に感じたことがある、熱が出た時の特別感を表現しています。
いつも元気な子どもは、ある日熱が出ると親や友達にアピールするかのように熱が出たことを言ったりしますよね。
しかしこの熱が出た時の嬉しさというのも「死」とは程遠い世界で生きているからこそなんです。
この歌詞は、そんな世界で生きてきた和人のことを表現しているのでしょう。
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心の色、形 まるで違う
二つの魂が混ざった時 何が起こるかな
≪うるうびと 歌詞より抜粋≫
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「二つの魂」を茉莉と和人のことだと解釈してみましょう。
ホントみたいな嘘を抱える茉莉と、死とは程遠い世界で生きてきた和人、この二人は心の色、形、生きている世界もまるで違います。
まるで違う二人が出会ったとき、一体何が起こるのでしょうか。
「死」に対する人間の無力さと儚さが表現された歌詞
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小さすぎるその背中に 大きすぎる運命背負い
「僕も持つよ」と手貸そうにも この手すり抜け 主の元へと帰る
≪うるうびと 歌詞より抜粋≫
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小さすぎる背中に大きすぎる運命とは、茉莉のことですね。
この大きな運命を背負う茉莉を、和人は「どうにかしてあげたい」「助けてあげたい」ともがきます。
しかし和人が差し伸べた手は茉莉の手をつかむことなく、すり抜けてしまったようです。
余命宣告されている茉莉に対する、和人の無力さやもどかしさがここでは表現されていますね。
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目を離したらすぐにまた
いびきをかきはじめる僕の 細胞起こしたのは
≪うるうびと 歌詞より抜粋≫
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目を離したらすぐにいびきをかきはじめる僕というのは、「死」とは程遠い世界でぐうたら生きてきた和人のことを言っています。
しかしそんな和人の細胞も、あることがきっかけで目を覚ましたようですね。
そのきっかけとは言わずもがな、茉莉との出会いです。
「細胞を起こしたのは」で歌詞は終わっていますが、この後には「君だった」という和人の思いが隠れているのかもしれません。
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全人類から10分ずつだけ寿命をもらい
君の中どうにか 埋め込めやしないのかい
それか僕の残りの 命を二等分して
かたっぽをあなたに 渡せやしないのかい
そしたら「せーの」で
来世に 乗れる
≪うるうびと 歌詞より抜粋≫
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和人は無力ながらも茉莉のために何かできないかと必死です。
そんな和人の気持ちの強さを表現したのが、この部分の歌詞です。
どうにかして茉莉を助けたいという気持ちは「全人類から寿命を10分ずつもらう」という非現実的な考えに達しています。
もちろん無理は承知だと思いますが、そこまでしてでも茉莉を助けたいという気持ちが強いのです。
もしそれが無理なら「僕の残りの命を二等分してかたっぽを渡す」とも言っています。
僕の命を二等分したら茉莉と和人の寿命は同じになり、同じ時に死を迎えることになります。
もしかしたらこれが二人にとっての理想の人生の終わり方なのかもしれないですね。
これを野田洋次郎は「「せーの」で来世に乗れる」と表現しています。
「死」という表現を直接使っていないにもかかわらず、このフレーズだけで何が言いたいのか意味が伝わってきますよね?
野田洋次郎の才能が伝わってくる秀逸な言い回しです。
「うるうびと」の歌詞に隠された現代を象徴するフレーズ
『うるうびと』の歌詞の中には、ところどころで2022年現在の時代の進化を象徴するような歌詞が見られます。
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今や人類はこの地球を 飛び出し火星を目指す
なのに僕は20センチ先の 君の方が遠い
≪うるうびと 歌詞より抜粋≫
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1つ目は2021年2月にNASAの火星探査機が火星に着陸した、ということです。
宇宙というのは広大で未知の領域ですが、人類はそんな宇宙にさえも進出し火星着陸に成功しました。
世界はこんなに広いのに、和人は目の前にいるはずの君が遠く感じてしまうようですね。
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今や人類を超える知能が 生まれているのに
僕の言葉は足踏みを ただ繰り返す
≪うるうびと 歌詞より抜粋≫
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2つ目はAIの発達です。
AIと呼ばれる人工知能が急速に発達し、今まで人類がやっていた仕事の多くを今やAIが代わりに行っています。
もちろん人類にしかできない分野もありますが、特定の分野においては人類よりもAIの方が迅速に正確な仕事ができると言っても過言ではないですね。
そんなAIが発達した世の中ですが、和人は自分の気持ちを茉莉に伝えるのに苦戦しているようです。
気持ちを伝えるというのはどちらかというとAIの苦手分野で、人類の専門分野のような気もしますが、それでも和人は上手く気持ちを伝えることができません。
このように野田洋次郎は映画「余命10年」の内容にリンクさせながらも、2022年に作ったという証を曲の中に残しています。
「うるうびと」は遠いようで近くにある「死」を教えてくれる楽曲
今回はRADWIMPSの『うるうびと』の歌詞の意味を考察しました。映画「余命10年」を見た方は映画を見た後に、ぜひもう1度曲だけで映画の世界観を味わってみてください。
また、「死」とは程遠い世界で暮らし、生きることへの感謝を忘れてしまっている方にもぜひ聴いて欲しい1曲です。
きっとこれからの人生がさらに輝いたものになるでしょう。