詩人・野口雨情による作詞
「シャボンだま とんだ」で始まる、誰しも一度は聴いたことのある童謡『シャボン玉』。
作曲は童謡『てるてる坊主』でも知られる中山晋平。
そして作詞を手がけたのは、詩人の野口雨情(うじょう)です。
明るい曲調と平易な日本語で親しみやすい『シャボン玉』ですが、その歌詞には「幼い子供への鎮魂」の意が込められているといわれています。
今回は、そんな童謡『シャボン玉』の歌詞の考察です。
まずは歌い出しの歌詞を見てみましょう。
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シャボンだま とんだ
やねまで とんだ
やねまで とんで
こわれて きえた
≪シャボン玉 歌詞より抜粋≫
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小さな子供たちが、シャボン玉を飛ばして遊んでいる様子が思い浮かびますね。
屋根まで高く飛んだシャボン玉。
「こわれて きえた」という部分からは、パッと消えてしまったシャボン玉の儚さがよく伝わります。
すぐに消えた「シャボン玉」は雨情の娘?
次の歌詞です。
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シャボンだま きえた
とばずに きえた
うまれて すぐに
こわれて きえた
かぜ かぜ ふくな
シャボンだま とばそ
≪シャボン玉 歌詞より抜粋≫
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今度のシャボン玉は「とばずに」消えてしまいました。
シャボン玉は、ふわふわ飛んでいくものもあれば、膨らませている途中で弾けてしまうものもあります。
特に注目すべきは「うまれて すぐに こわれて きえた」という歌詞でしょう。
「生まれる」は生きているものに使われる言葉。
そのため「生まれてすぐに消えたシャボン玉」は「幼くして亡くなった子供」の比喩だという解釈が可能です。
この点に関して「雨情は早くに亡くした娘のことを歌っている」という説が浮上しました。
実際、雨情の長女みどりは、1908年(明治41年)に生後8日で亡くなっています。
また四女恒子(つねこ)も、1924年(大正13年)に満2歳で急逝しました。
当時の日本では、生まれて間もない子供が死亡するケースは珍しくなかったようです。
ただ『シャボン玉』の詩が発表されたのは1922年(大正11年)。
長女みどりの死からは10年以上が経過しており、四女恒子は存命していました。
よって、みどりを思って作詞した可能性はあるものの、「娘の死とは直接的な関係はない」とする説も存在します。
そのほか「可愛がっていた親戚の子供の死を受けて作詞した」「近所に住んでいた子供の死を悼んで作詞した」といった説もあるようです。
いずれにせよ、飛ばずに消えたシャボン玉に「幼くして亡くなった子供」を重ねているという解釈は的外れではないでしょう。
続く「かぜ かぜ ふくな シャボンだま とばそ」は、子供たちが災禍(=風)に見舞われることなく、人生をまっとうしてほしいという願いの表れなのかもしれません。
「シャボン玉」には3番と4番もある
『シャボン玉』の歌詞は多くの場合、最初の4行が1番、次の4行が2番、最後の2行が結びとされます。
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シャボンだま とんだ
やねまで とんだ
やねまで とんで
こわれて きえた
シャボンだま きえた
とばずに きえた
うまれて すぐに
こわれて きえた
かぜ かぜ ふくな
シャボンだま とばそ
≪シャボン玉 歌詞より抜粋≫
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そんな『シャボン玉』ですが、実は3番と4番も存在するようです(厳密には、上記の一連の歌詞を1番としたうえでの、「2番」という位置付けだと思われます)。
それらを確認できるのは『ビクター童謡名作集』。
1936年(昭和11年)にビクターから発売されたレコードです。
3番の歌詞は「シャボンだま とんだ やねより たかく ふうわり ふわり つづいて とんだ」。
続く4番は「シャボンだま いいな おそらに あがる あがって いって かえって こない」。
そして結びは「ふうわり ふわり シャボンだま とんだ」です。
1番や2番とは異なり、シャボン玉が「こわれて きえた」という描写はありません。
ただ高く高く飛んでいくのみです。
しかしながら、希望に満ちあふれている様子でもありません。
むしろ「あがって いって かえって こない」からは、ある種の寂しさが感じられます。
もしかしたら、3番と4番では「高く遠くへ飛んでいくシャボン玉」の方を「亡くなった2人の娘」と重ねているのかもしれません。
二度と帰ってこない寂しさがあっても「娘たちはふわりふわりとシャボン玉のように天に昇っていった」と考えれば、いくらか安らかな気持ちになります。
そう考えると、「シャボンだま いいな」は「可愛い娘たちに会いたいな」という恋しさの表れだと解釈できそうです。
「飛ばずに消えたシャボン玉」に「幼い子供の死」を見て、十数年を経て「高く昇るシャボン玉」に「亡くなった娘の安寧」を見ていたとすれば、「子供の死」に対する雨情の捉え方が、やや前向きに変化したのではとも考えられますね。
「シャボン玉」と「人の生死」
今回は、童謡『シャボン玉』の歌詞の意味を考察しました。ふわりと飛んだりパッと弾けたり。
そんな「シャボン玉」に「人の一生」や「子供の死」が重なる、ちょっと切ない歌詞でしたね。
そして、それを感じさせない明るい童謡として今なお子供たちに歌い継がれているという点も、感慨深いものがあります。
作詞をした野口雨情は、1945年(昭和20年)1月27日に永眠しました。
彼もまた「シャボン玉」のようにふわりふわりと上がっていき、天高くで娘たちとの再会を果たせているといいですね。