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ヨルシカ「ブレーメン」歌詞の意味を考察!遺された「僕」が歌う人生の別解?

2022年7月4日に配信リリースされたヨルシカ『ブレーメン』。文学オマージュ作品を立て続けに発表しているヨルシカが、グリム童話『ブレーメンの音楽隊』をモチーフに制作した楽曲です。今回は、そんな『ブレーメン』の歌詞の意味を考察します。

グリム童話「ブレーメンの音楽隊」オマージュ作品

清涼感のある歌声とメロディ、繊細な歌詞で魅力的な世界観を表現する二人組バンド・ヨルシカ

ギター&コンポーザー・n-buna(ナブナ)、ボーカル・suis(スイ)で構成される大人気ユニットです。

ヨルシカは、2021年から『月に吠える』『老人と海』『又三郎』といった文学オマージュ作品を次々と発表し続けてきました。

そんな彼らが2022年7月4日、グリム童話『ブレーメンの音楽隊』をモチーフにした楽曲『ブレーメン』を配信リリース。

同日に公開されたMVは、登場人物の足元の情景が連綿と描かれる群像劇となっています。

▲ヨルシカ-ブレーメン【OFFICIAL MUSIC VIDEO】

童話『ブレーメンの音楽隊』では、老いて人に見限られたロバが、似たような境遇のネコ、イヌ、オンドリを誘いながら音楽隊になろうとブレーメンへ向かうのが物語の始まりです。

その途上、4匹は一軒家を発見し、協力プレーによって中にいた泥棒たちを追い払います。

結局4匹はその一軒家に定住し、ブレーメンに行くこともなく幸せに暮らしました、というのが物語の結末です。

本来の目的地にたどり着く前にハッピーエンドを迎える『ブレーメンの音楽隊』。

今回は、そんな不思議な童話のオマージュ作品『ブレーメン』の歌詞の意味を考察します。

「二人」でいる孤独


はじめに、今回の考察では『ブレーメン』の主人公を「二人組で活動していたアーティスト」と仮定してみました。

「活動していた」と過去形にしたのは、パートナーが亡くなったという解釈ができるためです。

以下、この点を念頭に置いて考察を進めていきます。

まずは1番の歌詞から見ていきましょう。

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ねぇ考えなくてもいいよ
口先じゃ分かり合えないの
この音に今は乗ろうよ
忘れないでいたいよ
身体は無彩色 レイドバック
ただうねる雨音でグルーヴ
ずっと二人で暮らそうよ
この夜の隅っこで
≪ブレーメン 歌詞より抜粋≫
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どうやら主人公は、理屈よりも直感やノリを大事にするタイプのようです。

「身体は無彩色 レイドバック(=ゆったりした感じ)」は、時間が止まったようなモノクロ映像の1コマとして亡くなった相手を想像している様子なのではと考えられます。

続く歌詞は「うねる雨音でグルーヴ(リズムに乗る)」。

主人公は、波打つような雨音に「乗ろうよ」と、動きの鈍いパートナー(のイメージ)に呼びかけているようです。

「忘れないでいたい」は、亡くなった仲間との思い出について言っているのかもしれません。

最後の「ずっと二人で暮らそうよ この夜の隅っこで」からは、夜になると亡くなった彼のことを思い出す主人公の人恋しさが伝わってきます。

次の歌詞です。

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ねぇ不甲斐ない僕らでいいよ
って誘ったのは君じゃないの
理屈だけじゃつまらないわ
まだ時間が惜しいの?
練り歩く景色を真空パック
踏み鳴らす足音でグルーヴ
まるで僕らはブレーメン
たった二人だけのマーチ
≪ブレーメン 歌詞より抜粋≫
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「不甲斐ない僕らでいいよ」と「君」が誘ったことで始まった音楽活動

この部分は、老いて見捨てられたロバが同様の境遇にある動物たちを誘った『ブレーメンの音楽隊』の一場面と重なります。

「誘ったのは君じゃないの」という言い回しは、「そっちが誘ったのにどうして先に逝っちゃったんだよ」というように読み取れます。

そんな問いに、空想上の「君」が何か答えたのでしょうか。

「理屈だけじゃつまらないわ まだ時間が惜しいの?」と主人公は返します。

もしかすると亡くなったパートナーは論理的な思考を重んじる性格で、感覚重視の主人公に対してよく理屈や合理性で応戦していたのかもしれません。

ともあれ、不明瞭なやり取りの後、雨の中「二人」は外に出たようです。

新鮮な景色を胸の内に留め、足音に乗りながら行進する「二人」。

「まるで僕らはブレーメン たった二人だけのマーチ」からは、4匹で構成される『ブレーメンの音楽隊』との対比も相まって一層の寂しさが伝わります

実際は主人公が一人ぼっちであると考えると、なおさらです。

そんな「二人だけのマーチ」で、主人公は歌います。

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さぁ息を吸って早く吐いて

精々歌っていようぜ 笑うかいお前もどうだい
愛の歌を歌ってんのさ あっはっはっは
精々楽していこうぜ 死ぬほどのことはこの世に無いぜ
明日は何しようか 暇ならわかり合おうぜ
≪ブレーメン 歌詞より抜粋≫
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「さぁ息を吸って早く吐いて」は、歌うときの息遣いでしょうか。

一人ぼっちの主人公が「愛の歌」を歌うのは、はたから見たら滑稽なのかもしれません。

「笑うかいお前もどうだい」からは、皆も笑っているから「お前も笑ったらいいよ」という自嘲じみたニュアンスが読み取れます。

一方「精々楽していこうぜ 死ぬほどのことはこの世に無いぜ」という歌詞は、とても楽観的でポジティブです。

ただ、その裏に「楽をしなかった真面目な仲間が死を選んでしまった」という事実があるとすれば、主人公のやるせなさや虚勢といった要素もじんわり感じられます。

もしかしたら、パートナーの死には、批判や嘲笑のような「他者の無理解」が関係していたのかもしれません。

最後の「暇ならわかり合おうぜ」は、口先や理屈ではなく音楽を通して人と理解し合いたいという主人公の願いなのではないでしょうか。

一人芝居から博愛へ


ここからは2番以降の歌詞を見ていきます。

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ねぇ考えなくてもいいよ
踊り始めた君の細胞
この音に今は乗ろうよ
乗れなくてもいいよ
想い出の景色でバックパック
春風の騒めきでグルーヴ
もっと二人で歌おうよ
暇なら愛をしようよ
≪ブレーメン 歌詞より抜粋≫
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「踊り始めた君の細胞」は、無彩色でゆったりしていた「君」の身体が滑らかに動き出した様子だと解釈できそうです。

次第に高まっていく空虚感によって、主人公の空想が克明になっているのかもしれません。

また「乗れなくてもいいよ」という歌詞から、主人公は直感やノリに頼らないことへの理解を示しているようです。

続く歌詞は「想い出の景色でバックパック」。

1番で語られた「空想上のパートナーと練り歩いた情景」を頭の中でたどっているのでしょうか。

「春風の騒(ざわ)めき」が、1番の「うねる雨音」だとすると、その情景は「春嵐」のような荒れたイメージかもしれません。

いずれにせよ、主人公は今でも「二人」で歌を歌いたい様子。

「暇なら愛をしようよ」は、「愛の歌を作ろう」というパートナーへの呼びかけだと考えられます。

はっきりした応答がないまま、再び主人公は歌います。

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さぁ息を吸って声に出して

精々歌っていようぜ 笑われてるのも仕方がないね
何もかも間違ってんのさ なぁ、あっはっはっは
精々楽していこうぜ 馬鹿を装うのも楽じゃないぜ
同じような歌詞だし三番は飛ばしていいよ
≪ブレーメン 歌詞より抜粋≫
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「笑われてるのも仕方がないね 何もかも間違ってんのさ」と、1番のように自嘲的な言葉が続きます。

特に注目したいのは「馬鹿を装うのも楽じゃないぜ」。

主人公は、亡くなった人を現実に投影することの無意味さを自覚しながら、あえてそれを知らない体で実行していたと考えられます。

「笑われることさえ作品の一部になる」と割り切って、あくまで「二人」の曲を書き続けているのかもしれません。

そう考えると「あっはっはっは」と笑い声が歌詞にあるのも納得できます。

そして「同じような歌詞」とは、死んだ仲間がそこにいるという空想が綴られた1番と2番のような歌詞という意味ではないでしょうか。

そんな同じような「三番」はさておき、最後のサビに入っていきましょう。

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さぁ息を吸って早く吐いて
ねぇ心を貸して今日くらいは

精々歌っていようぜ 違うか
お前ら皆僕のことを笑ってんのか?なぁ
精々楽していこうぜ 死ぬほど辛いなら逃げ出そうぜ
数年経てばきっと一人も覚えてないよ
≪ブレーメン 歌詞より抜粋≫
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「心を貸して今日くらいは」というのは、理論家だったパートナーの幻影に向かって「君の理性を今日だけ僕に貸してほしい」と頼んでいる様子ではないでしょうか。

感性が武器の主人公が、理性が武器だった仲間を自身に取り込もうとしているかのように読み取れます。

死の受容のような行為かもしれません。

「お前ら皆僕のことを笑ってんのか?」と、サビの一人称が「僕」になっている点は「二人が一人になったこと」を暗示しているかのようです。

ちなみに、このパートでは「あっはっはっは」は歌われません。

これは曲を聞いている私たちリスナーに「笑っていいから一緒に歌って」と誘う仕掛けではと考えられます。

そして自分を笑う「お前ら(リスナー)」に「死ぬほど辛いなら逃げ出そうぜ」と歌う主人公。

「数年経てばきっと一人も覚えていないよ」は、逃げるのは恥ずかしいことではないという励ましの一言なのかもしれません。

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ぜえぜえ歌っていようぜ 身体は動く?お前もどうだい
愛の歌を歌ってんのさ あっはっはっは
精々楽していこうぜ 死ぬほどのことはこの世に無いぜ
明日は何しようか 暇なら笑い合おうぜ
そのうちわかり合おうぜ
≪ブレーメン 歌詞より抜粋≫
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「精々歌っていようぜ」から「ぜえぜえ歌っていようぜ」に変わりました。

目標を持って決然と歌うより、人生のアップダウンに喘(あえ)ぎながら風任せに歌っていようといった意味でしょうか。

さらに「身体がしっかり動くなら一緒に歌わないか」と、聞き手を誘っているようです。

そして変わらず「愛の歌を歌ってんのさ」と笑う主人公。

できるだけ楽をしていこうという提案に加え、「明日は何しようか 暇なら笑い合おうぜ」と持ちかけます。

基本的に曲中の「笑う」はネガティブな意味で使われているようなので、この呼びかけは「バカにしたりされたりで上等だ」といったニュアンスでしょうか。

いずれにせよ、最終的には「わかり合うこと」が主人公の望みのようですね。

自分を笑っている相手をも含めて「歌おう、笑おう、わかり合おう」と誘っているとすれば、もはや主人公の「愛の歌」は「博愛の歌」へと昇華されたのかもしれません。

逃げ出した先にある人生の別解

今回は、ヨルシカ『ブレーメン』の歌詞の意味を考察しました。

言葉通りに受け取っても隠された意味を探ろうとしても、どこかしらハッとする1行に出会えるような歌詞でしたね。

『ブレーメンの音楽隊』の4匹は、ブレーメンへたどり着くことなく自分たちの居場所を見つけました。

目標に向かって「死ぬ気で頑張れ」とはよく聞きますが、頑張りすぎて過労死したり考えすぎて自殺したりといった負の側面に目を向けると、身体も頭も使いすぎは禁物です。

大志のためだと気負わずにフワッと逃げ出してみると、これまでには考えもしなかった人生の別解が見つかるのかもしれませんね。

<n-buna(ヨルシカ) profile> 2012年から活動を開始したサウンドクリエイター。 「透明エレジー」「ウミユリ海底譚」「夜明けと蛍」「メリュー」「アイラ」「白ゆき」と多数のミリオンヒット曲を投稿し、2015年「花と水飴、最終電車」、2016年「月を歩いてる」の2枚のボーカロイドオリジ···

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