音楽賞9冠を成し遂げた八代亜紀の名曲は歌詞が深い
人気演歌歌手・八代亜紀の30枚目のシングルであり、彼女を名実ともに“演歌の女王”とした名曲『雨の慕情』。
作詞を阿久悠、作曲を浜圭介が務めた作品で、同様に彼らがタッグを組んで制作した『舟唄』『港町絶唱』と合わせて「哀憐三部作」と呼ばれ親しまれてきました。
『雨の慕情』では日本レコード大賞や日本歌謡大賞をはじめ前人未到の9冠を達成し、その年の第31回紅白歌合戦の大トリも務めるという快挙を成し遂げました。
八代亜紀は音楽祭の会場で若者たちが一緒に振りつきで大合唱してくれたのを見て、この曲で初めて自身の歌が社会現象になったのを実感したそう。
当時は雨の曲と言えば切ないメロディが多かったものの、『雨の慕情』ではあえて明るい音楽が合わせられていたことも幅広い世代に受け入れられた理由と言えるでしょう。
八代亜紀の演歌歌手としての地位を不動のものにした重要な楽曲にはどんな世界が描かれているのか、改めて歌詞の意味を考察していきましょう。
----------------
心が忘れたあのひとも
膝が重さを覚えてる
長い月日の膝まくら
煙草プカリとふかしてた
憎い 恋しい 憎い 恋しい
めぐりめぐって 今は恋しい
≪雨の慕情 歌詞より抜粋≫
----------------
冒頭の「心が忘れたあのひと」という描写から、主人公には少し前に別れた男性がいることが窺えますね。
別れから時が経ったため心では忘れたと思っていたのに、「膝が重さを覚えてる」ことに気づきます。
長い月日を彼と過ごしていたため、座っているとふと膝まくらをしていた時の重さを思い出し物足りない気がしてしまいます。
いつも彼は彼女の膝の上で煙草をふかしていて、今の彼女の目にはその煙さえ見えるかのようです。
2人の穏やかな時間やそこに表れていた愛情を「膝の重さが覚えてる」というフレーズに収めている点が秀逸ですよね。
彼女の心の中では彼への憎さと恋しさがせめぎ合いますが、どうしても恋しい気持ちが勝ってしまいます。
サビに込められた主人公の想いとは
----------------
雨々ふれふれ もっとふれ
私のいい人つれて来い
雨々ふれふれ もっとふれ
私のいい人つれて来い
≪雨の慕情 歌詞より抜粋≫
----------------
思わず口ずさみたくなるようなメロディと共に、このサビのフレーズが歌われます。
雨が降り出したのを見て主人公は「雨々ふれふれ もっとふれ」と言い、まるで囃し立てているようです。
「私のいい人」とは、まだ未練の残る彼のことと考えられます。
想像を膨らませてみると、彼はいつも雨の日ばかり彼女の元を訪れていたのかもしれません。
そのため、雨になるとまた彼がやって来てくれるように思えてしまうのではないでしょうか。
雨の中を走ってくる彼の姿を窓から見つけるのが彼女の楽しみだったと考察すると、彼女の視線が自然と窓の外に向くのも納得できる気がします。
本来、暗い印象のある雨は孤独や寂しさのメタファーとしてよく用いられるモチーフです。
しかし彼女にとっては、愛する人と会える幸せの象徴でもありました。
それで雨が降ることで感じる寂しさと彼が現れるかもしれないという期待の両方を抱いて、窓の外を眺めているのでしょう。
サビのメロディは、彼女が悲しい別れを経験してもなお恋そのものをまだ魅力的なものとして捉えていることを想像させます。
叶うなら彼との恋をまた始めたいと願うほどに、2人の恋は充実し幸せなものだったことが伝わってくるのではないでしょうか。
独りのテーブルを埋める料理の数々
----------------
一人で覚えた手料理を
なぜか味見がさせたくて
すきまだらけのテーブルを
皿でうずめている私
きらい 逢いたい きらい 逢いたい
くもり空なら いつも逢いたい
≪雨の慕情 歌詞より抜粋≫
----------------
「一人で覚えた手料理をなぜか味見がさせたくて」という歌詞は、主人公のいじらしい愛情を感じさせます。
彼のために懸命に料理を覚えたようですが、彼にさせるのはあくまで「味見」です。
この点に注目すると彼女はこっそりと料理を練習し、うまくできるようになると「味見」と称して彼に振る舞っていたと解釈できそうです。
はっきりと「あなたのために作った」と言わないところに、彼女の奥ゆかしさや見栄っ張りな部分が垣間見えます。
しかしその習慣が抜けず、食べさせる相手がいないのに料理でテーブルを埋めてしまいます。
「すきまだらけのテーブル」は彼女の心の隙間を表す言葉でもあるのでしょう。
何かでその隙間を埋めなければ自分自身が崩れてしまうと感じるような心持ちだと思われます。
自分を捨てた男なんてもう「きらい」とは言ってみても「逢いたい」という気持ちが心の底から湧き上がってきて、相反する感情の間で心が揺れ動いています。
ふと窓の外に視線を移すと「くもり空」で、今にも雨が降りそうです。
この「くもり空」は気持ちがあふれ出しそうな彼女の心も表現しているのかもしれません。
晴れの日は気丈に振る舞って平気なふりをし「きらい」と言えますが、くもり空になって雨の予感が近づくと途端に弱い自分が顔を出し、心の中はいつも「逢いたい」という言葉で埋め尽くされます。
そしてとうとう降り出した雨に彼を連れてきてほしいと願うのです。
またサビの「私のいい人つれて来い」のフレーズは、ポジティブなメロディと合わせると彼とは別のもっといい人と出会いたいという前向きな気持ちとして受け取ることもできるでしょう。
今はこんなにも彼に心を囚われているけれど、いつかはきっとこの心を満たしてくれる素敵な人が現れてくれるはず。
そんな思いも込められているとすると、雲間から光が差すような明るいイメージも感じられます。
雨の日に聴きたい不朽の名曲!
八代亜紀の『雨の慕情』には、別れた恋人への恋心を断ち切れないでいる女性の“慕情”が印象的に綴られていました。雨というモチーフによって主人公の憂いや悲しみを際立たせながらも、湿っぽさを感じさせない雰囲気で聴いた後に爽やかな気持ちになれる楽曲です。
時代が変わっても雨の日に聴きたい不朽の名曲を楽しんでください。