TOOBOE×擬態するメタによるタッグ第三弾のMVを徹底解釈
ボカロPやシンガーソングライターとして活躍する音楽クリエイター・johnが手がけるソロプロジェクト・TOOBOE。特徴的な声とキャッチーな音楽でリスナーを惹きつけるTOOBOEの作品で特に話題を集めているのが、2024年6月5日に配信リリースされた新曲『痛いの痛いの飛んでいけ』です。
「教育テレビで流れる童謡のような曲を作りたい」という思いから、子どもに対してよく使われる「痛いの痛いの飛んでいけ」のおまじないを軸に楽曲制作を行ったそうです。
かつて童謡『赤い靴』を怖く感じていたという経験から、それに近しいダークな雰囲気のある楽曲が誕生しました。
YouTubeで公開されているMVは『心臓』『錠剤』でもタッグを組んだ擬態するメタが担当し、自身最速で1000万回再生を突破。
今作は前作の『錠剤』で登場したメズの育ての親・ゴヅキを主人公に、『錠剤』の前日譚を描いたアニメーション作品となっています。
MVで表現されたストーリーを中心に、今作の歌詞を考察していきましょう。
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最悪なんだ 涙が 乾かないんだ ずっと
痛いの痛いの飛んでいけ 幸福な貴方に
天国みたいなisland 鬼さん手の鳴る方へ
バイバイじゃあね またいつか どっかで見かけて
≪痛いの痛いの飛んでいけ 歌詞より抜粋≫
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中央で仕切られた二画面構成のMVでは、左右で対照的な世界に生きるゴヅキの姿が描かれています。
左側ではボロボロの靴や服と傷ついた肌、つまづいたことを表現する描写などで、その生活の苦労が伝わってきます。
一方で右側は靴も服も美しく整えられていて、きれいに切り揃えられた髪やハミングが聞こえてきそうな柔らかな表情から、幸せな様子が見て取れるでしょう。
歌詞は「最悪なんだ涙が乾かないんだずっと」というフレーズから始まっているため、左側のつらい境遇が主人公・ゴヅキの現実であることが理解できます。
現実のゴヅキは赤ちゃんのメズを抱き、慌てた様子で薄暗い家に帰ります。
ゴミだらけの部屋の中でカビたパンをメズに与えながら何とか生活していましたが、ついに路地に倒れ込んでしまいました。
同じシーンの右側では、母親のジトキと共に仲良くパフェを食べたり手を繋いで歩いたりととても楽しい時間を過ごし、一緒のベッドで眠っています。
左側を現実と解釈すると、右側はゴヅキの願いであり空想の世界なのでしょう。
歌詞の「痛いの痛いの飛んでいけ幸福な貴方に」のフレーズは、自分には手の届かない空想の中の幸せな自分に今の苦しみを全て押しつけたいという願望を表しているのかもしれません。
子どもの痛みや苦しみを取り除くための愛のおまじないであるはずの言葉が、一瞬にして呪いの言葉になっているところに恐怖を覚えますね。
突然の別れと苦難の日々
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アレは真夏の 真夜中の事
どうしてか私の手を引く 見知らぬ誰かの
あの世へ誘う 淡い戯言
まんまと騙されたまま
この小さな街から去っていった
≪痛いの痛いの飛んでいけ 歌詞より抜粋≫
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シーンが変わると、時間はゴヅキの幼少期にまで遡ります。
サーカスを楽しみにしながら愛らしく三つ編みを揺らして微笑む彼女の隣には、母親が並んで歩いています。
しかし次の瞬間、現実の母親は悲しい表情で俯いてしまいました。
理想でも現実でもゴヅキは幸せそうに微笑んでいるのに母親の表情だけが全く異なる点が、これから起こる現実の悲惨さを伝えてきます。
「どうしてか私の手を引く見知らぬ誰か」はサーカス団のピエロのラッテンフェンガーで、風船を差し出して「あの世へ誘う淡い戯言」で彼女を惹きつけて母親から彼女を離してしまいます。
立ち止まってしまった母親と見る見るうちに距離が離れ、騙されたことに気づいた時にはもう母親の元に戻してはもらえませんでした。
理想の母親はピエロが現れたことに驚いていて、ゴヅキが風船を受け取ってからも彼女と手を繋いで歩いています。
それに対して現実の母親は俯いたままで、初めから後ろを歩いているところを見ると、母親がゴヅキをサーカスに売り飛ばしたためにピエロが迎えに来たと解釈できるでしょう。
楽しみにしていたはずのサーカスに自分の意思で向かう理想の姿と、否応なしに連れて行かれる現実の姿のギャップが見事に描かれています。
そして観客たちを楽しませるサーカスの裏で、幼いゴヅキは鎖に繋がれて泣き、殴られたり鞭で打たれたりもしているようです。
調教されているとはいえ恐ろしい虎の世話をし、楽しそうに帰っていく親子を横目に薄暗いテントの中を掃除しています。
そんな耐え難い日々を経て、空中ブランコのパフォーマーとして成長した彼女。
理想の世界では母親の前で普通のブランコに乗って楽しんでいる様子から、サーカス団の一員として脚光を浴びることは彼女にとって価値を見出せるものではなかったと考察できます。
求めていたのは大勢からの称賛ではなく、ただ母親との愛に満ちた日常だったことが読み取れます。
しかしそんな彼女の現実は、突如暴走した虎がサーカス団団長のMr.Jを襲ったことで一変しました。
新しい人生の始まり
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それは馴染みのない 誰かの寝言の様
どうしたって救いようもないから
私はまた 一人で生きていました
≪痛いの痛いの飛んでいけ 歌詞より抜粋≫
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サーカスは解体され、他の団員たちとは別れることになります。
他の団員たちが彼女に手を振っていることや墓のシーンでオレンジと紫の髪を持つ少女・ダイアナが持っていた傘をゴヅキが差していることから、苦しんできた日々の中でも良い関係を育めたことが垣間見えるでしょう。
彼らに付いていくこともできましたが、彼女は別の道を行くことにしました。
それは、自分の人生が母親に捨てられた「どうしたって救いようもない」ものだと感じていたからです。
自分には一人で生きるのがお似合いと考えたのでしょう。
しかしその時、バス停で母親が男と赤ちゃんと仲睦まじく過ごしているところに出くわしてしまいます。
彼女らを凝視するゴヅキの揺れる瞳には、寂しさや悲しさ、妬ましさや憎らしさといった複雑な感情が読み取れます。
この時、「痛いの痛いの飛んでいけ」は勝手に幸せになった母親へ向けた呪いの言葉にもなったのでしょう。
それから彼女は、夜中に母親の新しい家族の家に侵入しました。
本来であれば自分と母親が寝ているはずのベッドで母親と男が眠っているのを横目に、異父妹になる赤ちゃんを見つけ出します。
振り返ると男がバールを構えて震えていて、その後ろに母親が立っています。
アップになる母親は、口元を押さえて驚愕する現在のふくよかな姿と口元に笑みが浮かんだかつての姿が、交互に映し出されているのが印象的です。
微笑んでいる方は見下しているようにも見えて、ゴヅキの不安定な精神状態が垣間見えるでしょう。
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残酷なんだ人生なんて 笑えないよ 一生
絶えない誹謗も楽観して どうにかしたいよな
取り繕おうぜ ラヴ&ピース 自由への箱舟
面倒くさいわ 撤回ね さっさと出ていって
≪痛いの痛いの飛んでいけ 歌詞より抜粋≫
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暗転の後、男からバールを奪い殺害した彼女は、母親の顔を何度も殴ってしまいます。
残酷な行為ですが、彼女が経験した残酷な日々とこの出来事を一生抱えることになる未来を思うと言いようのない気持ちにさせられます。
このシーンでずっと長かった髪が短く切られている点から、それまでは母親と別れた時の三つ編み姿を続けることで母親が自分を見つけられるようにしていたものの、その必要がなくなったために髪を短く切って全てを終わらせる覚悟でここに来たと考察できます。
そしてふらふらしながら出ていこうとするゴヅキでしたが、メズの泣き声を聞いて振り返りました。
自分には与えられなかった母親の愛を受けてきた妹を妬ましく思い殺してやりたいと思っていますが、行動に移せません。
「取り繕おうぜラヴ&ピース」は赤ちゃんを慈愛の気持ちで保護したいという気持ち、「面倒くさいわ撤回ね」はそんなことをしても誰も愛してくれないのに意味はないという考えで、これらが心でぶつかり合っていることを表現しているのかもしれません。
結局彼女が選んだのは、メズを連れて行くことでした。
MV冒頭はおそらくこの後の生活を切り取ったものだったのでしょう。
その途中で、もし母親に捨てられなかったらどうなっていたかを想像していたのだと思われます。
大人になってから空想しているため、ずっと大人の自分と母親が一緒に過ごしている映像になっているのも、彼女の心がずっと囚われたままでいることを示しているように思えますね。
とはいえ事情がどうであれ、殺人犯であり誘拐犯でもある彼女は警察から追われる身です。
必死に逃げて森の立ち入り禁止区域に入ると、警察は追うのを諦めてしまいます。
そして森を抜けた先に桃郷が姿を現したところで、物語は幕を閉じます。
ゴヅキの心を繋ぎ止めたものとは?
TOOBOEの『痛いの痛いの飛んでいけ』は、厳しい現実を生きる主人公の苦しみと現実逃避の模様が歌詞と映像で描かれた楽曲でした。深い心の傷を負った主人公がついに心を壊してしまいながらも、妹を育て共に生きることを決意した点を考えると、サーカスの団員たちとの交流が彼女の心を現実に繋ぎ止めたように思えます。
現実があまりにつらくても、その中にあるかすかな希望や心根にある大切な感情を捨てないことの大切さが伝わってきます。