今の自分を「狂わせて」しまうもの
Mrs. GREEN APPLEのフロントマンとして活躍する大森元貴の2021年8月以来4年ぶりのソロシングル『絵画』が2025年5月28日に配信されました。今年、Mrs. GREEN APPLEがデビュー10周年を迎え“MGA MAGICAL 10 YEARS”と称してさまざまなプロジェクトを発表する中でのソロシングルの配信と一曲丸ごとダンスをするMVの公開はファンに新鮮な驚きを与えました。
大森元貴はインタビューで、ダンスを一日で習得した、と明かしています。
針に糸を通すようなスケジュール感でソロプロジェクトが進行していたことが伺えます。
そんな『絵画』は2023年から2024年を跨ぐタイミングで書かれていたもので「ちょうど『紅白』に出させていただいたり、『レコ大』の裏でミセスのツアーも同時進行でやっていたりと、表に出る機会がすごく多かった」時期だったとインタビューで答えています。
『絵画』が配信された際のコメントでは「ソロ活動とは僕にとっておでかけのようなものです」として、「それは同時に、絶対的な帰る場所があるからこそ思えることです」と言っています。
大森元貴にとって、まずMrs. GREEN APPLEの活動が大前提としてあります。
その上で、「ソロ活動は、自分の心身の健康上、やるべきことだと思っていたんです」とインタビューで答えていますので、『絵画』という楽曲はMrs. GREEN APPLEの大森元貴が作っている、ということが重要になってくるようです。
ただの大森元貴ではなく、Mrs. GREEN APPLEの大森元貴としての創作。
『絵画』は、まさに2025年上半期Billboaed JAPAN Arrist 100にて1位を獲得するバンドに成長したからこそ感じることを形にしたような楽曲となっています。
まるで、真っ白なキャンパスに自由に筆を走らせたような『絵画』の歌詞の意味を今回は考察していきたいと思います。
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震わせて
来る
狂わせて
捨てる
難儀に
≪絵画 歌詞より抜粋≫
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「震わせて」という歌いだしは歌詞を見ていなければ、すぐには理解できない歌い方になっています。
『絵画』が創作することをテーマにしているのだとすれば、この「震わせて」は閃き、アイディアが降りてくる瞬間なのでしょう。
また、それを裏付けるように続く歌詞は「来る」です。
次の歌詞は「狂わせて」「捨てる」ですが、こちらは閃きやアイディアに対するスタンスが垣間見えます。
今の自分を「狂わせて」しまうほどのアイディアを前にした時、選択肢は「捨てる」なのでしょう。
目の前にはするべき仕事があって、アーティストは常に創作をしていられるわけではありません。
それを「難儀に」と思うのも自然でしょう。
2人になった「私」

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羽
羽ばたかせ
千切れる
捥ぐ
艶美に
≪絵画 歌詞より抜粋≫
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「羽」はアイディアのことでしょう。
難儀と思いつつ、「羽ばたかせ」てみます。
自分を「狂わせて」しまうほどのアイディアです。
捨てようと思っても簡単には捨てられなかったのでしょう。
羽ばたかせたあと、「千切れる」は自然に、「捥ぐ」は人為的に。
続く歌詞は「艶美に」。
あでやかで美しく、捥ぐ。
私がアイディアを観察し、試しているのが分かります。
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鐘
響くは街に
また残酷に
禊の様に
洗う様に
≪絵画 歌詞より抜粋≫
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大森元貴はインタビューで『絵画』を書いた時期を2023年から2024年を跨ぐタイミングと答えています。
そのため、この鐘は「除夜の鐘」のことでしょう。
鐘が108回つかれ、人間の煩悩を払って、新年を清らかな気持ちで迎えるための行事が、街に響いています。
そう考えれば、「また残酷に」「禊の様に」「洗う様に」と続く歌詞は問答無用で払われていく煩悩に対する気持ちだと読み取ることができます。
もしかすると、私にとって「震わせて」閃いたアイディアは煩悩の類と処理しようとしたのかもしれません。
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夢なら覚める頃
孤独にも慣れた
あぁ また嘘をついた
誰にもバレないように
抱きしめてと
洩れないように
≪絵画 歌詞より抜粋≫
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歌いだしの断片的な羅列から文章の繋がりに変わりました。
「夢なら覚める頃」とは、「震わせて」から始まったアイディアのことでしょう。
除夜の鐘を聞き、新年を迎えた私はアイディアが生まれる衝動から少し遠ざかっています。
大森元貴はインタビューで『絵画』のイメージを「冷え切った部屋に1人」と語っています。
その部屋に1人の状態を「孤独にも慣れた」と言っているのだとすれば、「震わせて」から始まったアイディアは私の中に残っていることが分かります。
続く、「あぁ また嘘をついた」は孤独に慣れたことにかかっています。
アイディアを抱えて1人で部屋にいる時、私は「誰にもバレないように」「抱きしめて」ほしいと思っています。
けれど、それが外に漏れることを私は良しとしません。
アイディアが生まれる断片的な歌詞から、文章の繋がりに変わったところで私は強がって、弱音を吐いて、また強がります。
私にとって、断片的なアイディアを肉付けしていく過程は、この強がりと弱音が交互に押し寄せてくるものなのかも知れません。
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散らかった思考の渦に
呑まれそうな私を
最期まで愛してほしい
飾られる様な絵画にはなれなくても
私にしか無い色で
描いてほしい
せめて私のためだけに
描いてほしい
≪絵画 歌詞より抜粋≫
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「思考の渦」ということは中心があります。
この中心が「震わせて」から始まったアイディアであるなら、創作の段階は1つ深い場所へ進んだことが分かります。
思考の渦に「呑まれそうな私を」「最期まで愛してほしい」と続く歌詞は、ここで「私」が分裂した印象を持ちます。
呑まれそうな私はアイディアを思いついて1人で部屋にいる私です。
しかし、続く「最期まで愛してほしい」と願う声は部屋にいる私ではなく、ここまで捨てられそうになったり、捥がれてきたアイディア側の視点だと読み取れます。
「呑まれそうな私を」「最期まで愛してほしい」の歌詞の間で、「私」の分裂が起き、もう1人の「私」が「絵画」側に移動したと考えると、続く歌詞には納得できます。
「飾られる様な絵画にはなれなくても」「私にしか無い色で」「描いてほしい」は、絵画の視点でありながら、自分自身が「飾られる様な絵画」にはなれないことを理解しています。
そのような判断ができるのはアイディアを思いついた私であるはずです。
私は「冷え切った部屋に1人」で、2つの私に分裂します。
絵画側の私の願いは「せめて私のためだけに」「描いてほしい」です。
「貴方」へ

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震わせて
来る
狂わせて
捨てる
ページに
≪絵画 歌詞より抜粋≫
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歌いだしと同じ繰り返しです。
ただし、「捨てる」のあとが「難儀に」から「ページに」に変わっています。
この時の私は「絵画」側の私ではないでしょうから、このページはアイディアを形にするためにノートを開いていることが分かります。
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散らばった理想の海に
溺れる様な私を
最期までポイして欲しい
≪絵画 歌詞より抜粋≫
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閃きやアイディアは、それだけで作品にはなりません。
作品にするためにはアイディアを生かした形を創作する必要があります。
その際の形は無数に存在し、まさに「散らばった理想の海に」「溺れる様な」作業です。
そんな「溺れる様な私を」「最期までポイして欲しい」と歌詞は続きます。
この「ポイ」は「気軽に捨てる」というような意味です。
この捨てられる「私」は今回生まれてしまった「絵画」側の私のことなのでしょう。
作品として完成されなければ、「絵画」の私が私の中に残り続けてしまいます。
「絵画」の私をちゃんと捨てるためには、『絵画』を完成させる他ありません。
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誰かのせいに
誰かのせいにして
生きてゆけたら
楽なんだろうな
≪絵画 歌詞より抜粋≫
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1度目は「誰かのせいに」で、2度目は「誰かのせいにして」です。
この「して」をつけることに対する躊躇が感じ取れます。
私は決して、誰かのせいにして生きてゆけない人間です。
だからこそ「誰かのせいにして」「生きてゆけたら」「楽なんだるな」と思います。
大森元貴はMVでダンスすることに対して、「思いついちゃったからには頑張るしかなかった」と発言しています。
「誰かのせいにして」「生きてゆけたら」と思うこの歌詞とは真逆です。
けれど、この「楽なんだろうな」も一つの本音なのでしょう。
私は決して選ばない。けれど、心の片隅には必ず居座っている選択肢。
人間的に弱い部分があることを、あるがままに受け止めているからこそ大森元貴の歌詞は人の心の底に響くものになっているのかも知れません。
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だらしない今日に明日に
私にしか無い色で描いてほしい
せめて貴方の部屋に
その絵画を飾ってほしい
≪絵画 歌詞より抜粋≫
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ここに来て「貴方」が登場します。
私の視点が絵画側に移り、『絵画』を書く私を他人のよう認識した結果でしょう。
絵画の私の願いは「私にしか無い色で描いてほしい」です。
このフレーズは『絵画』の中で3回登場します。
「私にしか無い色」とはなんでしょうか?
ここで紹介したい言葉はアメリカの作家、スコット・フィッツジェラルドの「他人と違うことを語りたければ、他人と違う言葉で語りなさい」です。
まさに、「私にしか無い色」とは「他人と違う言葉」であり、それは言い換えればオリジナリティを持って「描いてほしい」という願いです。
オリジナリティがあるものが必ずしも多くの人に認められるとは限りません。
そのような背景を絵画側の私は理解しているからこそ、「せめて貴方の部屋に」「その絵画を飾ってほしい」と願っているのでしょう。
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また鐘が鳴る
冷えた部屋に残る
私の影を
貴方は探してくれる?
≪絵画 歌詞より抜粋≫
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「鐘」が鳴っています。
除夜の鐘以外で寺院の鐘が撞かれるのは法要や時報です。
しかし、ここで鳴っている鐘は、おそらく私の中で「震わせて」生まれたアイディアが浮かんだ時に街に響いていた除夜の鐘が蘇っているのでしょう。
「絵画」とはその時の一瞬をキャンパスに閉じ込める行為ですから。
絵画は完成し、「冷えた部屋に」置かれたのでしょう。
この部屋は大森元貴がインタビューで語った「冷え切った部屋に1人」そのものでしょう。
その部屋に「私」はいた。
いた、という「影」を「貴方は探してくれる?」と問います。
『絵画』の中で唯一の「?」です。
この「貴方」は絵画を完成させた私、またこの絵画を将来見るだろう未来の私に向けているのでしょう。
絵画に描かれた私の存在理由は、常に遠い未来から観測してもらうことにありました。
そして、最後に「私にしか無い色で描いてほしい」と願って終わります。
絵画に描かれた私は、私が何の色で描かれたか分かりません。
そのため、絵画を描いた私が込めた想いは、これがオリジナリティ、唯一無二のものであってほしい、です。
「冷え切った部屋に1人」の閃き

『絵画』という楽曲は大森元貴がインタビューで語っている通り、「冷え切った部屋に1人」でいるような孤独な内容になっています。
ただ、ここで私が強がったり弱音を吐いたりしていることのすべてが創作をするということに繋がっているようでもあります。
創作することは楽しい。
そんな前向きなテーマではありませんが、ただ思いついてしまったものを捨てなくていいと伝えてくれる楽曲ではあります。
正確には捨てようとしても、残り続けてしまうものがある、ということですが。
音楽に限らず、してみたいと思った閃きとは向き合ってみよう。
『絵画』はそんな不思議な引力を持った楽曲だと思います。
Mrs. GREEN APPLEとはまた違ったオリジナリティを追求した『絵画』をぜひ部屋で1人で聴いてみてはいかがでしょうか。
新しい閃きが訪れるかも知れません。
大森元貴 1996年生まれの音楽家。作詞家・作曲家であり、5人組バンドMrs. GREEN APPLEのフロントマン。 Mrs. GREEN APPLEでは全楽曲の作詞/作曲/編曲、さらには作品のアートワークおよびミュージックビデオのアイデアまで、楽曲に関するすべての要素を担当している。 大森が作る楽曲は、Bil···

【Mrs. GREEN APPLE PROFILE】 大森元貴 (Vo/Gt) 若井滉斗 (Gt) 藤澤涼架 (Key) 2013年結成。2015年EMI Recordsからミニアルバム「Variety」でメジャーデビュー。 以来、毎年1枚のオリジナルアルバムリリースと着実なライブ活動を続け、2019年12月から行われた初の全国アリーナツアー「エデ···
