米米CLUBメンバーは何人いる?年齢や名前などを紹介
米米CLUBは、日本の音楽シーンで長く活躍を続けているバンドで、2025年にはデビュー40周年を迎えます。活動期間の中でメンバーの増減はありましたが、現在の主要メンバーは9人となっており、個性豊かな面々がそろっています。
メンバーひとりひとりのキャラクターがバラエティに富んでおり、パートや担当も多彩です。
それぞれのメンバーについて、年齢や本名、出身地、担当パートを具体的にご紹介します。
BON

本名 | 大久保 謙作(おおくぼ けんさく) |
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誕生日 | 3月22日 |
年齢 | 61歳 |
出身地 | 千葉県 |
担当 | ベース,コーラス |
文化学院在学中に米米CLUBを結成し、1985年のメジャーデビュー以来、バンドの屋台骨を支えてきました。
BONという愛称は、学生時代に書道で名前を「おおくぼけんさく」と書くべきところを、「け」を抜かして「おおくぼんさく」と書いたことがあり、それがきっかけで定着したというエピソードがあります。
ベースプレイヤーとしてだけでなく、バンドのリーダーとして、独自のステージ演出やグループの活動方針を牽引し続けました。
2006年の米米CLUB再結成後も変わらぬ存在感で、多くのファンに愛されています。
ロックをベースに、多様なジャンルを吸収する姿勢と、独特のリーダーシップがBONの魅力です。
ジェームス小野田

本名 | 小野田 安秀(おのだ やすひで) |
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誕生日 | 11月8日 |
年齢 | 65歳 |
出身地 | 神奈川県 |
担当 | ボーカル |
文化学院在学中にBONとともに米米CLUBを結成し、1985年にソニーレコードよりデビュー。
リードボーカルとして存在感を発揮し、さらに個性的なパフォーマンスでバンドのビジュアル面を牽引してきました。
派手な衣装や奇抜なメイクがトレードマークで、そのユニークなアートワークは、きゃりーぱみゅぱみゅらにも影響を与えています。
2006年の米米CLUB再結成以降も、グループの中心メンバーとして精力的に活動中。
多才さと独特なキャラクターで、音楽シーンはもちろん、さまざまな分野で今も多くのファンに愛されています。
カールスモーキー石井

本名 | 石井 竜也(いしい たつや) |
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誕生日 | 9月22日 |
年齢 | 65歳 |
出身地 | 茨城県 |
担当 | ボーカル |
米米CLUBのメインボーカルとして、圧倒的な存在感と個性的なキャラクターで知られています。
1982年、映画研究会「A-Ken」の仲間と米米CLUBを結成し、バンド内では当初MC役からスタート。
後にボーカルを担当し、『浪漫飛行』や『君がいるだけで』など多数のヒット曲を世に送り出しました。
バンド解散後はソロアーティストとしてだけでなく、映画監督、デザイナー、プロデューサーなど、多岐にわたる表現活動を展開。
2006年の米米CLUB再結成以降も、グループの中心メンバーとして精力的に活動し、彼の多才さと表現力は、音楽シーンを超えて多くの人々を魅了し続けています。
ジョプリン得能

本名 | 得能 律郎(とくのう りつろう) |
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誕生日 | 8月10日 |
年齢 | 66歳 |
出身地 | 東京都 |
担当 | ギター, キーボード, コーラス |
文化学院在学中に、映画研究会の仲間たちとともに米米CLUBを結成し、バンドの音楽的な核を担いました。
1985年のデビュー以降、独特のギタープレイとキーボード演奏で、多くのヒット曲を支えています。
1995年に音楽性の違いから一度米米CLUBを脱退し、新たにバンド「JUNGAPOP」を結成するなど、活動の幅を広げました。
2006年の米米CLUB再結成ではギタリストとして復帰し、現在も精力的に活動していますが、ステージでは腰への負担軽減のため、長時間の演奏時には椅子に座ることもあります。
NHK Eテレの音楽制作なども手掛けており、多彩な才能を発揮する音楽家です。
RYO-J

本名 | 坂口 良治(さかぐち りょうじ) |
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誕生日 | 4月25日 |
年齢 | 66歳 |
出身地 | 福岡県 |
担当 | ドラム, コーラス |
RYO-Jは、もともと地元で結成したバンドで活動していましたが、サポートミュージシャンとして、多くのアーティストのレコーディングやコンサートに参加。
その後、1985年6月に米米CLUBへ正式加入し、ドラムを担当しました。
1995年4月には一度脱退し、自らバンド「JUNGAPOP」を結成。
プロデューサーやサポートドラマーとしても、さまざまな活動を展開しました。
2006年4月の米米CLUB再結成時に復帰し、現在も、米米CLUBとJUNGAPOPの両グループを掛け持ちで活動中です。
低音の効いたグルーヴ感あふれるドラムプレイと人柄で、長年にわたり、日本の音楽シーンに多大な貢献を続けています。
フラッシュ金子

本名 | 金子 隆博(かねこ たかひろ) |
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誕生日 | 3月22日 |
年齢 | 61歳 |
出身地 | 千葉県 |
担当 | サックス, キーボード, 三線, コーラス |
高校時代にサックスを始め、学生時代からさまざまなバンドで活動。
1984年に米米CLUBのライブに参加し、1985年に正式メンバーとなりました。
以降サックス、キーボード、フルートなど、多彩な楽器で米米CLUBのサウンドを支えながら、楽曲のアレンジや総合プロデュースも手がけ、グループの音楽的中核を担いました。
映画やテレビ、CMのサウンドトラック、他アーティストのプロデュースに取り組む一方で、指揮者や劇伴作家としても精力的に活動し、NHK「うたコン」の指揮などでも活躍。
近年は局所性ジストニアを公表しつつも、枠にとらわれない活動で、唯一無二の音楽家として高く評価されています。
BE

本名 | 林部 直樹(はやしべ なおき) |
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誕生日 | 7月29日 |
年齢 | 60歳 |
出身地 | 東京都 |
担当 | ギター,コーラス |
1990年にサポートメンバーとして参加後、その実力と安定感が評価され、1990年代より正式メンバーとして加わりました。
ギターとコーラスを担当し、独自のプレイスタイルでバンドサウンドを支えています。
ステージではクールなパフォーマンスを魅せながらも、ライブやレコーディングでは細やかな表現力を発揮し、米米CLUB特有のファンクやロック、ポップスなど、多彩な音楽性の根幹を担っています。
音楽に対する誠実な姿勢と、確実な演奏力から信頼も厚く、米米CLUBの大所帯をまとめる屋台骨として活躍中です。
国内外のライブやレコーディングでも存在感を示し、幅広い音楽活動で多くのファンに支持されています。
MINAKO

本名 | 金子 美奈子(かねこ みなこ) |
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誕生日 | 12月18日 |
年齢 | 63歳 |
出身地 | 茨城県 |
担当 | コーラス, ダンス |
米米CLUBのダンサーとして知られ、バンドのデビュー時から、グループの中心となってステージの振付やパフォーマンスを担い、米米CLUB流エンターテインメントに華を添えてきました。
米米CLUBではダンスのみならず、時にはヴォーカルや演劇的演出も担当。
その才能はバンド内に留まらず、外部アーティストやミュージカルの振付も手がけています。
1992年には米米CLUBのフラッシュ金子と結婚。
『君がいるだけで』は2人への祝福ソングとして誕生し、大ヒットとなりました。
MARI

本名 | 天ヶ谷 真利(あまがや まり) |
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誕生日 | 非公開 |
年齢 | 非公開 |
出身地 | 茨城県 |
担当 | コーラス, ダンス |
1988年から米米CLUBの正規メンバーとなり、ダンスに加え、パーカッションやコーラスでもグループのエンターテインメント性をリードし、ライブや映像作品で存在感を発揮しています。
米米CLUBや、MARI、MINAKO、フラッシュ金子の3名で結成されたダンスユニット「シューク・フラッシュ!」の一員として、精力的に全国ツアーや音楽活動を展開しています。
米米CLUBのライブやパフォーマンスでは、個性的な衣装やキレのあるダンスで観客を魅了。
グループ随一のムードメーカー的存在とも言われ、持ち前の明るさと親しみやすさで、メンバーやファンからも愛されています。
米米CLUBの元メンバーを紹介
- コータロー
- 丘くらら
- ジュリアーノ奈良部
- ジュリアーノ勝又
- トシ
- マル
- タカ
- Bohz
- ヒマラヤン下神
- アンデス村田
- ロッキー多田
- ビューティー近藤
- シンジ
- サトミ
米米CLUBは、現在も多くのファンに愛されている一方で、結成以来たくさんのメンバーがバンドに在籍し、時代とともに入れ替わりがありました。
米米CLUBが他のバンドと一線を画す理由の一つに、音楽だけでなく、ステージでのショーや演劇的な演出を重視している点が挙げられます。
そのため、ボーカル・楽器担当だけでなく、ダンサーや演出チームも正式なメンバーとして活動してきました。
上記メンバーの中には、正式メンバーとして活躍した人もいれば、サポートやパフォーマンス面で関わってきた人もいて、米米CLUBの、バンドという枠を超えた多様な魅力は、こうした元メンバーたちの存在にも支えられてきました。
米米CLUBの名前の由来や結成の経緯は?

米米CLUBは、あらゆる世代から愛され続ける日本のバンドです。
その魅力は、奇抜なパフォーマンスやジャンルの枠にとらわれない音楽性だけでなく、親しみやすく、覚えやすい印象的なバンド名にも表れています。
ここからは、ユニークなバンド名の背景や、個性的なメンバーが集まった結成までの流れなどについて見ていきましょう。
米米CLUBの名前の由来
米米CLUB、という一度聞いたら忘れられないバンド名ですが、その由来にはいくつかの面白い説があります。一番有力とされているのが「言い間違え説」。
当時人気だった海外のバンド「トム・トム・クラブ」を、ジェームス小野田が「コメコメクラブ」と言い間違えてしまい、その場にいたメンバーが大爆笑。
「そんなバンド名、面白いじゃないか!」と盛り上がったことが発端だと言われています。
また、カールスモーキー石井が「とにかくダサい名前にして目立とう」と提案したという説や、雑誌で興味を引くために「※※CLUB」と名乗ったら「米米CLUB」と誤植(間違って印刷)されてしまい、それが定着したというユニークな説も存在します。
米米CLUBが結成した経緯
米米CLUBは1982年、文化学院のサークル仲間だったカールスモーキー石井、ジェームス小野田、BON らにより結成されました。BONと小野田の2人がノリで作った架空のバンドと曲があることを聞きつけた石井が、しつこく2人を口説いたことがきっかけで、しぶしぶBONがリーダーになったというエピソードもあります。
多彩なジャンルを取り入れた音楽性や演劇的パフォーマンスを武器に、ライブハウスなどで個性的なステージを展開したことで徐々に注目を集め、1985年にメジャーデビュー。
唯一無二のエンターテイメント・バンドとして地位を確立していきました。
『君がいるだけで』が大ヒット
米米CLUBを国民的なバンドへと押し上げたのは、1992年にリリースされた楽曲『君がいるだけで』。それまでの米米CLUBは、ファンクミュージックをベースにした、知る人ぞ知る個性派バンドというイメージでした。
しかし、この曲は誰もが口ずさめる王道のラブソングであり、フジテレビの大人気ドラマ『素顔のままで』の主題歌に起用されると、ドラマの高視聴率と相まって楽曲も大ヒット。
CDの売上はなんと約276.2万枚という、当時の記録を塗り替える大セールスになりました。
米米CLUBの名前が、お茶の間の誰もが知る存在となる、きっかけになった曲です。
米米CLUBは2025年にデビュー40周年!
米米CLUBは1985年にメジャーデビューし、2025年10月21日で、ついにデビュー40周年を迎えます。日本の音楽シーンの中でも、ここまで長く第一線で活動し続けるバンドは珍しく、2025年は記念すべき年として、多くのファンや音楽関係者から注目を集めています。
そんな米米CLUBが、40周年直前の2025年9月26日から2年ぶりのツアー『米米大興行 人情紙吹雪 〜踊ってやっておくんなさい~』を開催することを発表しました。
多人数&多彩なメンバーで結成され、ライブパフォーマンスやファッション、斬新な演出にもこだわり続けた彼らの記念すべき40周年ライブとして、楽しみにしている人も多いのではないでしょうか。
メンバーの多くが60代を迎えた今もなお、そのパフォーマンスは衰えるどころか、ますますパワフルで遊び心に満ちています。
米米CLUBのおすすめ曲3選
米米CLUBは多くの名曲を生み出してきましたが、その中でも特に幅広い世代に支持され、今もなお高い人気を誇る曲を3つ紹介します。どの曲も、米米CLUBらしい遊び心やエネルギー、時代を超えて楽しめる魅力が詰まった名曲です。
40周年の節目に、ぜひこの3曲を聴き返し、米米CLUBの奥深い音楽の世界を感じてみてください。
浪漫飛行
『浪漫飛行』は、米米CLUBの代表作であり、今でも多くの人から愛され続けています。
この曲はもともと1987年のアルバム「KOMEGUNY」に収録され、1990年にシングルカットされると一気に大ヒット。
エレクトロなサウンドに、爽やかなメロディと前向きな歌詞が合わさり、世代を超えて歌い継がれている一曲です。
何度困難に直面しても夢を諦めないでほしいというエールが感じられ、時が流れても変わらぬ絆や、希望ある未来へ羽ばたく力強いメッセージが、今もなお多くの人の心を動かしています。
愛は不思議さ
『愛は不思議さ』は、1993年に発売された米米CLUBらしいポップセンスに溢れた曲です。リズム感あふれるサウンドとキャッチーなメロディにのせて「愛はほんと不思議さ」と、波のように寄せては返す恋心を等身大に歌い、切なさと希望が交錯しています。
あきらめかけていた時に、ふと訪れる出会い、心が疲弊した時でも再び灯がともる瞬間を、柔らかくもしっとりと表現。
日常の中に潜む小さな奇跡や、心が揺れる瞬間をやさしく包み込む一曲です。
ライブでも盛り上がる定番曲で、米米CLUBの元気いっぱいの世界観が楽しめます。
ア・ブラ・カダ・ブラ
魔法の呪文そのものをタイトルに冠した、遊び心あふれる曲。
1994年に発表され、ダンサブルなリズムが特徴で、思わず体を動かしたくなるようなナンバーです。
世界のどこかで巡り会った奇跡や、心がすれ違いながらも理解しようとする思いが、リズムに乗って明るく描かれています。
ポジティブな世界観で、米米CLUBの持ち味である楽器隊とコーラス、ダンスが絶妙に絡み合うステージでのパフォーマンスも人気です。
米米CLUBメンバーは遊び心満載な音楽家たち!40周年の節目に名曲を改めて味わおう
米米CLUBのメンバーは、それぞれが高い音楽性と豊かな個性、そして遊び心を持っています。40周年という大きな節目を迎えた今こそ、時代を超えて愛される名曲を、もう一度じっくり味わう絶好のタイミングです。
ライブでは音楽だけでなく、ユーモアたっぷりのパフォーマンスや豪華な演出も楽しめるのが、米米CLUBならではの魅力。
長い歴史の中で進化し続けてきた彼らのエネルギーを、ぜひご自身で体感してみてください。
40周年の米米CLUBは、これからも多くのファンに、新たな感動と楽しさを届けてくれるはずです。