RADWIMPS「狭心症」がミセスのカバーでアルバム収録決定!
2011年にリリースされた「狭心症」は、繊細で痛烈な言葉が胸を突くRADWIMPSを象徴する楽曲のひとつです。2025年11月19日(水)にリリースされるトリビュートアルバム『Dear Jubilee -RADWIMPS TRIBUTE-』では、Mrs. GREEN APPLEによるカバーが収録されることが発表されました。
世代や時代を超えて共鳴し続けるこの楽曲が、再び新たな形で響き渡ろうとしている今、改めて歌詞の意味を考察していきます。
RADWIMPS「狭心症」歌詞を考察
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この眼が二つだけでよかったなぁ
世界の悲しみがすべて見えてしまったら
僕は到底生きていけはしないから
うまいことできた世界だ いやになるほど
≪狭心症 歌詞より抜粋≫
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悲しみに溢れる現代社会。
世界のどこかでは、戦争や自然災害、事件や事故が起こっています。
そんな悲しみがすべて見えてしまったら、生きていけない。
世界の痛みをすべて背負うには人の心はあまりに小さすぎる。
この冒頭のフレーズは、人の「無力さ」や「限界」を鋭く突いています。
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それなのに人はなに血迷ったか
わざわざ広いこの世界の至る所に
ご丁寧に眼付けて あーだこーだと
僕は僕の悲しみで 精一杯なの
≪狭心症 歌詞より抜粋≫
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世界中のニュースや意見が瞬時に届く現代。
2011年当時はマスメディア、今の時代ならSNSをも想起させる描写です。
世界中を監視し、意見し、時には正義を振りかざす世界で、「僕は僕の悲しみで精一杯なの」と語るこの一節には、情報過多や共感疲れに苦しむ人々の姿が重なります。
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見ちゃいけないなら 僕がいけないなら
針と糸すぐほら持ってきてよ
塞いでしまうから 縫ってしまうから
最後にまとめて全部見してよ
≪狭心症 歌詞より抜粋≫
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痛みを見続けることに耐えられないなら、いっそ目を縫い塞いでしまおうという極端な比喩。
それでも「最後にまとめて全部見してよ」という言葉に、他人の痛みを受け入れたいという意志が滲んでいます。
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1が1であるために今日も僕はね
100から 99も奪って生きてるんだと
んなの教えてと頼んだ覚えはないのに
いいから ほら もう黙ってて イワンのバカ
≪狭心症 歌詞より抜粋≫
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ここで登場する「イワンのバカ」は、ロシアの文豪トルストイによる短編作品の主人公です。
愚直で正直な生き方を象徴する人物ですが、それを引き合いに出すことで、「善良であること」が本当に正しいのか、という疑問を突きつけています。
「1が1であるために今日も僕はね/100から99も奪って生きてるんだと」というフレーズは、誰かの幸せの上に自分の生が成り立っているという残酷な事実を示しています。
それを受けて、理想論では救えない現実に対する、切実な苛立ちを表現しているのです。
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世界から見れば今のあなたは
どれだけ かくかくしかじかと言われましても
下には下がいるって 喜びゃいいの?
僕は僕の悲しみも 憂いちゃいかんとさ
≪狭心症 歌詞より抜粋≫
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世界に蔓延る数々の悲劇に比べたら、日常を生きる中で生まれる悲しみは、もしかしたら些細なことなのかもしれません。
しかし、「もっと悲しい人がいる」という相対化は、本当の慰めではありません。
「僕は僕の悲しみも憂いちゃいかんとさ」という言葉には、たとえ小さくても自分の悲しみを軽視したくないという、繊細な葛藤が見えます
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泣いちゃいけないなら 僕がいけないなら
涙腺など とうに切っといてよ
生まれた時にさ へその緒の前にさ
ついでに口 横に裂いといてよ
したら辛い時や 悲しい時も
何事もないように笑えるよ
そうでもしないと とてもじゃないけど
僕は僕をやってられないんだよ
≪狭心症 歌詞より抜粋≫
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涙すら許されない世界なら、いっそ笑うしかない。
「口を横に裂いといてよ」という表現には、感情を押し殺して笑わなければならない社会への、痛烈な風刺が込められています。
溢れかえる悲しみや痛みと、それでも続く世界
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今日もあちらこちらで 命は消える
はずなのにどこを歩けど 落ちてなどいないなぁ
綺麗好きにも程があるよほんとさ
なんて素晴らしい世界だ ってなんでなんだか
≪狭心症 歌詞より抜粋≫
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戦争、事件、事故。
確かに毎日命は消えているのに、世界は何事もなかったかのように美しい。
情報に溢れすぎた世界では、一つ一つの悲しみに、いつまでも焦点を当てることはありません。
「綺麗好きにも程があるよほんとさ」というフレーズには、死や悲しみが見えないほど、常に上書きされていく社会への違和感が滲みます。
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そりゃ 色々忙しいとは思うけど
主よ雲の上で何をボケっと突っ立てるのさ
子のオイタ叱るのが務めなんでしょ
勇気を持って 拳を出して
好きなようにやっちゃって
≪狭心症 歌詞より抜粋≫
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この一節は、人知の及ばない存在への問いかけです。
「なぜ悲しみを放置するのか」と怒りながらも、その背後には救いを求めたい心が見え隠れします。
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見なきゃいけないなら 僕がいけないなら
目蓋の裏にでも貼っといてよ
生まれた時にさ へその緒の前にさ
そうまでして逆らいたいなら
僕が嬉しい時も 気持ちいい時も
瞬くたび突き落としてよ
だってじゃないとさ 忘れてしまうから
僕の眼は二つしかないから
≪狭心症 歌詞より抜粋≫
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いっそのこと、目を閉じても悲しみから逃げられないようにしてほしい。
「忘却」がなければ生きられないと言いながらも、世界中の悲しみを、いつでも思い出させてほしい。
他所の悲しみまで受け止めることを強制してくる、社会への皮肉が描かれています。
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この耳が二つだけでよかったなぁ
世界の叫び声がすべて 聞こえてしまったら
僕は到底息ができないから
僕は僕を 幸せにする機能で
いっぱい いっぱい いっぱい いっぱい
いっぱい いっぱい いっぱい いっぱい
≪狭心症 歌詞より抜粋≫
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1人の人間として抱え込める、感情の限界を再び描きます。
続く「僕は僕を 幸せにする機能で いっぱい」というフレーズ。
冒頭で「僕は僕の悲しみで 精一杯なの」と歌う「僕」が、幸せにする機能で満ちているとは考えにくいでしょう。
つまり、ここで歌われているのは願望。
自分自身を幸せで包み込みたいという切実な願いが表れています。
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見ちゃいけないなら 聴いちゃいけないなら
僕らの下にも次の命が
宿った時には へその緒の前にさ
そのすべての世界の入り口を
閉じてあげるから 塞いだげるから
僕が君を守ってあげるから
逃がしたげるから その瞳から
涙が零れることはないから
≪狭心症 歌詞より抜粋≫
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世界の痛みを知らずに生きられるなら、それは幸せかもしれない。
しかしそれが不可能だと知っているからこそ、次に生まれてくる命を、世界中の痛みから守りたい。
そんな優しさと絶望が交錯する、胸を締めつけるラストです。
RADWIMPS「狭心症」が映し出す、痛みと優しさ
他人の痛みに無関心になることでしか、自分を守れない現代社会。「狭心症」は、そんなどうしようもない「心の狭さ」を抱えながら生きる僕らの姿を痛烈に描き出した楽曲です。
『Dear Jubilee -RADWIMPS TRIBUTE-』は、2025年11月19日(水)にリリース予定。
この楽曲が放つ「人間の痛み」は、再び新たな形で語り継がれていくでしょう。
