伝説のブルースギタリストとして、現在も語り継がれているStevie Ray Vaughan(スティービー・レイ・ボーン)。
彼に憧れるギタリストも多く、影響を受けたアーティストも少なくありません。
また、音作りや使用機材も特徴的なので、真似したいと思っている人も多いでしょう。
この記事のもくじ
スティービー・レイ・ボーンの凄さ・生い立ち
伝説のギタリストとして有名なスティービー・レイ・ヴォーンですが、その才能はいつごろから開花し始めたのでしょうか。
また、数々の有名ミュージシャンとの出会いも、彼の音楽人生に起きな影響を与えました。
ここでは、スティービー・レイ・ボーンがギターに出会ったきっかけや、成功までの道のりを紹介します。
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兄ジミーに憧れた幼少期
スティービー・レイ・ボーンは、1954年10月3日アメリカ・テキサス州のダラスという地に生まれました。
両親はともに音楽好きで、兄のジミー・ボーンに憧れてさまざまな楽器を経験したスティービーは、7歳の誕生日に初めてのギターを買ってもらいます。
それからはブルースやロックのギタリストを耳コピする日々が続き、ギターの腕を磨きました。
兄のバンド仲間も絶賛のプレイング
4歳年の離れた兄・ジミーも凄腕のギタリストで、バンド活動をしていました。
ある日、ジミーのバンド仲間が家を訪ねると、当時12歳だったスティービー・レイ・ボーンがギターを弾くのをたまたま目にします。
恥ずかしがって手を止めたスティービーに、兄のバンド仲間は「上手だね」と演奏を褒めてくれました。
初めて自分のギタープレイを褒められたスティービー・レイ・ボーンは、その時の記憶を強烈に覚えているそうです。
兄とカバーバンドを結成
60年代半ばになると、兄・ジミーとカバーバンド「ペンダラムズ」を結成し、ダンス曲を中心にカバーしていました。
高校を中退してクラブの専属バンドになると、ブルース界の大物アーティストとのセッションを経験しています。
しかし、そのころはまだ兄のジミーの方がギタリストしての評価は高く、スティービー・レイ・ボーンは「テキサス州のローカルギタリスト」という立場でした。
伝説のバンド「Double Trouble」結成
その後は数々のバンドを経験し、脱退や解散を繰り返す中、1970年代後半にルー・アン・バートンと「Double Trouble(ダブル・トラブル)」を結成しました。
オリジナル曲を作り、バンドは上手く軌道に乗り始めていましたが、1979年末に突然ルー・アンが脱退してしまいます。
結果、スティービー・レイ・ボーンがギターとボーカルを兼任し、ベースのジャッキー・ニューハウス、ドラムのクリス・レイトンの3人で活動していくことになりました。
ジャズフェスティバルに出演
そんなダブル・トラブルの大きな転機となったのは、スイスで開かれた「モントルージャズフェスティバル」に出演したことでした。
ジャズファンの集まるこのフェスでブルースを演奏したDouble Trouble(ダブル・トラブル)は、観客からブーイングされてしまいます。
しかし、彼らの演奏に感動したジャクソン・ブラウンは、スティービー・レイ・ボーンと朝までセッションし、ロスにあるレコーディングスタジオを無料で貸し出す約束をしました。
デヴィッド・ボウイとの出会い
その後、スティービー・レイ・ボーンは、ジャクソン・ブラウンだけでなく、デヴィッド・ボウイとの出会いも果たします。
デヴィッド・ボウイは、別の場所でライブをしているスティービー・レイ・ボーンに感動して、ライブやレコーディングに参加させることにしました。
そして、Double Trouble(ダブル・トラブル)は1983年3月にエピックレコードと契約。
その直後、スティービーがレコーディングに参加したデヴィッド・ボウイの「レッツ・ダンス」がリリースされ、全米1位を獲得します。
念願のメジャーデビュー
しばらくはデヴィッド・ボウイのツアーギタリストとしてライブに同行しますが、次第にスティービー・レイ・ボーンにも取材が殺到するようになります。
そして1983年6月、Double Trouble(ダブル・トラブル)は「テキサス・フラッド~ブルースの洪水~」をリリースし、メジャーデビューを果たしました。
同アルバムの売れ行きは好調で、ブルース史に残る名アルバムとして有名になります。
さらに、2枚目のアルバム「テキサス・ハリケーン」は100万枚を超える大ヒットとなりました。
不慮の事故による突然の死
「テキサス・ハリケーン」以降も大ヒットを飛ばしていたDouble Trouble(ダブル・トラブル)。
しかし、大金を手にしたことによってスティービー・レイ・ボーンはドラッグに手を染めてしまい、1986年にはついに倒れてしまいました。
4枚目のアルバム「In Step」で復活を果たしますが、1990年8月、乗っていたヘリコプターが墜落し、そのまま命を落としてしまいます。
20日後には兄・ジミーと初の共作アルバムを発売予定だった中での事故死であり、デヴィッド・ボウイやエリック・クラプトンなど、多くのミュージシャンから惜しまれました。
スティービー・レイ・ボーンの使用機材
スティービー・レイ・ボーンは何本ものギターを使用し、ライブでは楽曲によってギターを持ち替えることも珍しくありません。
また、それぞれのギターには思い入れのある名前を付けたり、ネックやピックガードなどさまざまなパーツを交換しながら大切に使っていました。
ここからは、スティービー・レイ・ボーンが愛用していたギターやアンプ、エフェクターについて紹介します。
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使用ギター
#1(ナンバーワン)
フェンダー社のストラトキャスター「#1(ナンバーワン)」は、スティービー・レイ・ボーンの愛用ギターとしてもっとも有名なギターです。
1970年代初期にオースティンの楽器店で出会い、このギターに一目ぼれしたスティービー・レイ・ボーンはその場で自分のギターと物々交換しました。
トレモロユニットは左利き用に付けられており、フェンダー社のギターとは思えないほどのパワフルなサウンドが特徴です。
Lenny(レニー)
「Lenny(レニー)」はスティービー・レイ・ボーンの妻「レノラ」にちなんで名づけられたフェンダー・ストラトキャスターです。
初めて地元の質屋で見た時は値段が高くて断念しており、それを見た妻のレノラがお金を工面し、誕生日にプレゼントしました。
その時に作った「レニー」という曲をライブで演奏する時は、必ずこのギターを使うほど思い入れがあったようです。
Charlie(チャーリー)
「Charlie(チャーリー)」は、スティービー・レイ・ボーンが親しかったギターショップの店長の名前にちなんで名づけられたギターです。
このギターはチャーリーが作ったカスタムギターであり、チャーリーが亡くなった時には「Life Without You」という曲が捧げられたほど親しい関係でした。
他のギターと比べると、クリアで抜けの良いサウンドが特徴です。
MAIN(メイン)
「MAIN(メイン)」はハミルトン製のカスタムギターで、ZZ Topに在籍していたビリー・ギボンズから贈られました。
指板に大きく入った「Stevie Ray Vaughn」の文字が目を引きます。
ストラトタイプのギターですが、半音下げのチューニングに合わせた長めの弦長や、スルーネック構造になっているのが特徴です。
使用アンプ・エフェクター
FENDER / 65 SUPER REVERB
フェンダー社の「65 SUPER REVERB」は、スティービー・レイ・ボーンが愛用していたアンプの復刻版として有名です。
現在入手できるのは10インチスピーカーが4つ搭載されており、出力は45wなのでライブハウスでギターを弾くのにぴったりでしょう。
ストラトキャスターとの相性も抜群なので、ストラトを愛用しているギタリストに特におすすめです。
Ibanez / TS808
Ibanezの「TS808」は、スティービー・レイ・ボーンのギターサウンドには欠かせない「チューブスクリーマー」と呼ばれるエフェクターです。
「チューブスクリーマー」はオーバードライブなどと同じ歪み系エフェクターで、きらびやかな高音域とまろやかな中音域で優しいサウンドになります。
スティービー・レイ・ボーンは音質を補正するためにアンプ前に1つ、ブースターとしてもう1つの2種類を使い分けていました。
Ibanez / TS9
「TS9」はTS808の後継機種で、同じく「TS系」と呼ばれるチューブスクリーマーです。
TS808よりややあっさりしてざらついた中音域で、現在ではチューブスクリーマーのスタンダードモデルとされています。
1998年に復刻版の「TS9DX」が発売されており、より近代的なサウンドのモデルも入手可能になりました。
スティービー・レイ・ボーンの音作り
スティービー・レイ・ボーンは、彼特有のセッティングで唯一無二のサウンドを鳴らしていました。
彼の音作りを真似することは非常に難しく、四苦八苦している人も多いでしょう。
チューニングや弦のセッティングなど、彼のサウンドに近づけるためには何を意識すればいいのでしょうか。
最後に、スティービー・レイ・ボーンの音作りについて紹介します。
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半音下げチューニング
スティービー・レイ・ボーンは全ての弦のチューニングを半音下げにしていました。
弦のチューニングを下げることによって弦の張力を弱め、弾きやすくしていたと考えられます。
彼が憧れていたジミ・ヘンドリックスも全弦半音下げチューニングにしていたため、その影響もあったのでしょう。
とても癖のあるチューニングなので、普通の人にはあまり向かないかもしれません。
極太の弦
スティービー・レイ・ボーンはギターに極太の弦を使用していたことでも有名です。
1弦と6弦のみ太くて硬い弦に変更し、弦高も高くしていたので、彼にしか弾けないような仕様でした。
本人もこの仕様によって指にダメージを負っており、演奏する際は指先に瞬間接着剤を塗っていたそうです。
それでもチョーキングなど指先を酷使するテクニックを使っていたので、かなり強靭な指先をしていたのでしょう。
大きな手
スティービー・レイ・ボーンのサウンドはセッティングや使用機材だけでなく、その大きな手による影響が大きいといわれています。
とあるギタリストがスティービー・レイ・ボーンと共演した時、全く同じセッティングでギターを弾いたところ、鳴った音は全く違う音でした。
スティービー・レイ・ボーンのサウンドを真似たいのであれば、機材だけでなく弾き方や手の動きにも注目しましょう。
スティービー・レイ・ボーンはブルース史を変えた伝説のギタリスト!ギター好きなら名盤は必聴
スティービー・レイ・ボーンといえば、ブルース界の歴史を大きく変え、後のギタリストにも大きな影響を与えました。
ブルース以外にもR&Bやロック、ダンスミュージックなど、さまざまな音楽の要素を含んでいるので、他のジャンルのギタリストも彼の演奏は必聴です。
名盤「テキサス・フラッド~ブルースの洪水~」の他にも、ライヴアルバムや映像も残っているので、スティービー・レイ・ボーンのギタープレイに注目して聴いてみてくださいね。
この記事のまとめ!
- 幼少期は兄に憧れてギターを始め、10代の頃から才能の片りんを見せていた
- 「ダブル・トラブル」でフェスに出演すると、デヴィッド・ボウイやジャクソン・ブラウンと出会う
- 1983年に念願のメジャーデビューを果たし、4枚のアルバムをリリース
- 愛用ギターには思い入れのある名前を付けていた
- 彼のサウンドは、全弦半音下げチューニングや極太の弦が特徴