『たとえどんな人間にんげんだって
心こころの故郷こきょうがあるのさ
俺おれにはそれがこの街まちなのさ
春はるになったら細ほそい柳やなぎの葉はが出でる
夏なつには雀すずめがその枝えだで啼なく
雀すずめだって唄うたうのさ
悲かなしい都会とかいの塵ちりの中なかで
調子ちょうしっぱずれの唄うただけど
雀すずめの唄うたはおいらの唄うたさ』
銀座ぎんざの夜よる 銀座ぎんざの朝あさ
真夜中まよなかだって 知しっている
隅すみから隅すみまで 知しっている
おいらは銀座ぎんざの 雀すずめなのさ
夏なつになったら 啼なきながら
忘わすれものでも したように
銀座ぎんざ八丁はっちょう 飛とびまわる
それでおいらは 楽たのしいのさ
『すてばちになるには
余あまりにも明あかるすぎる
この街まちの夜よるこの街まちの朝あさにも
赤あかいネオンの灯あかりさえ
明日あしたの望のぞみにまたたくのさ
昨日きのう別わかれて今日きょうは今日きょうなのさ
惚ほれて好よかれてさようなら
後あとにはなんにも残のこらない』
春はるから夏なつ 夏なつから秋あき
木枯こがらしだって 知しっている
霙みぞれのつらさも 知しっている
おいらは銀座ぎんざの 雀すずめなのさ
赤あかいネオンに 酔よいながら
明日あしたののぞみは 風かぜまかせ
今日きょうの生命せいめいに 生いきるのさ
それでおいらは うれしいのさ
『たとえどんなtatoedonna人間ningenだってdatte
心kokoroのno故郷kokyouがあるのさgaarunosa
俺oreにはそれがこのnihasoregakono街machiなのさnanosa
春haruになったらninattara細hosoいi柳yanagiのno葉haがga出deるru
夏natsuにはniha雀suzumeがそのgasono枝edaでde啼naくku
雀suzumeだってdatte唄utaうのさunosa
悲kanaしいshii都会tokaiのno塵chiriのno中nakaでde
調子choushiっぱずれのppazureno唄utaだけどdakedo
雀suzumeのno唄utaはおいらのhaoirano唄utaさsa』
銀座ginzaのno夜yoru 銀座ginzaのno朝asa
真夜中mayonakaだってdatte 知shiっているtteiru
隅sumiからkara隅sumiまでmade 知shiっているtteiru
おいらはoiraha銀座ginzaのno 雀suzumeなのさnanosa
夏natsuになったらninattara 啼naきながらkinagara
忘wasuれものでもremonodemo したようにshitayouni
銀座ginza八丁hatchou 飛toびまわるbimawaru
それでおいらはsoredeoiraha 楽tanoしいのさshiinosa
『すてばちになるにはsutebachininaruniha
余amaりにもrinimo明akaるすぎるrusugiru
このkono街machiのno夜yoruこのkono街machiのno朝asaにもnimo
赤akaいiネオンneonのno灯akariさえsae
明日ashitaのno望nozoみにまたたくのさminimatatakunosa
昨日kinou別wakaれてrete今日kyouはha今日kyouなのさnanosa
惚hoれてrete好yoかれてさようならkaretesayounara
後atoにはなんにもnihanannimo残nokoらないranai』
春haruからkara夏natsu 夏natsuからkara秋aki
木枯kogaraしだってshidatte 知shiっているtteiru
霙mizoreのつらさもnotsurasamo 知shiっているtteiru
おいらはoiraha銀座ginzaのno 雀suzumeなのさnanosa
赤akaいiネオンneonにni 酔yoいながらinagara
明日ashitaののぞみはnonozomiha 風kazeまかせmakase
今日kyouのno生命seimeiにni 生iきるのさkirunosa
それでおいらはsoredeoiraha うれしいのさureshiinosa