よみ:ちょうへんかようろうきょく「おきたそうじ」
長編歌謡浪曲「沖田総司」 歌詞
友情
感動
恋愛
元気
結果
- 文字サイズ
- ふりがな
- ダークモード
剣けんに 剣けんに生いきると 決きめたなら
熱あつい思おもいを たぎらせて
ゆくぞ嵐あらしの 只中ただなかへ
誠まことの道みちを まっしぐら
総そう司じの闘志とうしは 燃もえ上あがる
時ときは幕末ばくまつ。京きょうの都みやこでは、尊王攘夷そんのうじょうい、倒幕とうばくを目指めざす人々ひとびとの動うごきが活発かっぱつとなり、
徳川とくがわ幕府ばくふは、それを抑おさえるために新あたらしい力ちからを必要ひつようとした。
そして文久ぶんきゅう三さん年ねん、「新選組しんせんぐみ」が誕生たんじょう。局長きょくちょう・近藤こんどう勇いさみ、芹沢せりざわ、新見にいみ。
副長ふくちょう・土方ひじかた歳三としぞう、山南やまなみ。「誠まこと」一字いちじの旗印はたじるしのもと、結束けっそく固かたきこの集団しゅうだんの
中なかで、一いち番ばんの剣けんの使つかい手てこそ、沖田総司おきたそうじその人ひとであった。
「名乗なのろうか。私わたしは、新選組しんせんぐみ副長ふくちょう助じょ勤きん、沖田総司おきたそうじだ」
歳としは二十歳はたちで目元めもと涼すずしく、姿すがた凛々りりしく美うつくしく。
江戸えどに生うまれて九ここのつで、近藤こんどうの家いえの道場どうじょう・試衛館しえいかんに入門にゅうもんし、十じゅう年ねんの内うちに免許めんきょ
皆伝かいでん、師範しはん代だい。皆みなに好すかれた人柄ひとがらは、まことに明あかるく朗ほがらかで。壬生みぶの屯所とんしょの
近所きんじょの子供こどもたちとは鬼おにごっこ。
「では、今度こんどは私わたしが鬼おにだ。さぁ、十じゅう数かぞえるうちに逃にげるんだぞ。よいか」
優やさしい心こころの持もち主ぬしなり。
新選組しんせんぐみ誕生たんじょうの翌年よくねん、大おおきな事件じけんが起おきる。池田屋いけだや事件じけんである。
あるとき、新選組しんせんぐみは、尊王攘夷そんのうじょうい派はの企たくらみを知しる。彼かれらは、京きょうの町まちに火ひを放はなち、
御所ごしょに押おし入いり、天皇てんのうを長州ちょうしゅうに連つれ去さるという。
また、近々ちかぢか、彼かれらが宿屋やどや・池田屋いけだやに集あつまることを知しる。総司そうじは憤いきどおった。
「町まちじゅうに火ひをつけられたら、多おおくの人ひとが家いえや身内みうちを失うしなうことになる。許ゆるせぬ。絶対ぜったいに阻止そししなければ!」
斯かくて、新選組しんせんぐみは池田屋いけだやへ。その夜よる、六ろく月がつ五日いつかは祇園ぎおん祭まつりの宵山よいやまで。
日ひが暮くれかかり、鉾ほこや山やまに灯ひがともり、祇園ぎおん囃子ばやしが鳴なり響ひびく。
新選組しんせんぐみのその日ひの出いで立たち、鎖帷子くさりかたびら、胴衣どういに鉢金はちがね、
浅葱あさぎの羽織はおりに山道やまみちダンダラ白しろき木綿もめんの袖印そでじるし。沖田総司おきたそうじは筋金入すじがねいりの鉢巻はちまき締しめて、役者やくしゃのような姿すがたなり。
目指めざす池田屋いけだや。近藤こんどう勇いさみは、総司そうじ、永倉ながくら、藤堂とうどうと、試衛館しえいかん仕込じこみの三さん名めい引ひき連つ
れ、まっすぐ二に階かいを目指めざしたり。敵てきの二十数にじゅうすう名めい抜刀ばっとうす。沖田総司おきたそうじの燃もえる刀かたな
が唸うなりを上あげて最初さいしょの一人ひとりを一刀両断いっとうりょうだん。それが口火くちびで、大だい激闘げきとう。
新選組しんせんぐみは勝利しょうりした。
と、その時とき、総司そうじの体からだに異変いへんが起おきた。
総そう司じは喀血かっけつをした。
然しかるに、この池田屋いけだや事件じけんをきっかけとして、新選組しんせんぐみの名なは世よに轟とどろき、
幕府ばくふも大おおいに認みとめた。新選組しんせんぐみは一層いっそう活躍かつやくを続つづけた。
「総司そうじ、体からだの具合ぐあいはどうだ。咳せきがまだ続つづいているんだろう」
「土方ひじかたさん、いやだなぁ、咳せきなんかしてませんよ。大丈夫だいじょうぶです」
「ま、とにかく医者いしゃに行いけ。なんなら、俺おれが付ついて行いってやる」
「あ、いえいえ、医者いしゃに行いくのは気きが進すすみませんが、
ちゃんと一人ひとりで行いけますから」
医者いしゃにかかって見立みたてられたは、労咳ろうがいで、命いのちはあと二に年ねん。
言いわれて総そう司じも観念かんねんして、医者いしゃの元もとへと通かよううち、折おりしも出会であった医者いしゃの娘むすめ
に、恋こいをした。けれど、なんで言いえようこの思おもい。
「好すきだと打うち明あけたところでどうなる。私わたしの命いのちは長ながくない。
私わたしは・・・、私わたしは、人ひとを恋こいしてはいけないのだ」
生涯しょうがいたった一度いちどだけ、胸むねにともした恋こいの灯ひを、総司そうじは自みずから吹ふき消けした。
そして、時代じだいは激はげしく移うつり変かわってゆく。
総そう司じの体からだは次第しだいに次第しだいに悪わるくなり、剣けんの時代じだいも終おわりゆく。
菊きくは栄さかえて葵あおいは枯かれる。歴史れきしの流ながれは止とめられず。
慶応けいおう三さん年ねん、将軍しょうぐん・徳川とくがわ慶喜よしのぶは朝廷ちょうていに大政たいせいを奉還ほうかんし、王政おうせい復古ふっこの大だい号令ごうれい。
それからほどなく、近藤こんどう勇いさみは鉄砲てっぽうにより狙撃そげきされて傷きずを負おい。
明あくる慶応けいおう四よ年ねん、新選組しんせんぐみは「鳥と羽ば伏見ふしみの戦たたかい」で新しん政府せいふ軍ぐんに敗やぶれたり。
この合戦かっせんで共ともに戦たたかえなかったことを、総司そうじは深ふかく悲かなしんだ。
やがて総そう司じは、敵てきに見みつかるのを避さけるため、江戸えどは千駄ヶ谷せんだがやの植木うえき屋や平五へいご
郎ろうの家いえの離はなれに移うつり住すむ。
そこは、総司そうじの終ついの棲家すみかとなる。
新選組しんせんぐみは、その後ごの戦たたかいでも敗やぶれ、近藤こんどう勇いさみは捕縛ほばくされ、処刑しょけいされた。
そのことを総そう司じは知しらず、そのふた月つきのち、総司そうじは誰だれにも看取みとられず、
ひとり、死出しでの旅路たびじのその間際まぎわ、幻まぼろしを見みていた。
「あ、近藤こんどう先生せんせい、土方ひじかたさん、来きてくださったんですか。
総そう司じは、きょうまで、力ちからの限かぎり生いきました…」
慶応けいおう四よ年ねん五ご月がつ三十さんじゅう日にち
沖田総司おきたそうじは、この世よを去さった。
傍かたわらには、愛あい刀とう・菊きく一文字いちもんじ則宗のりむねがあった。
強つよく生いき、儚はかなく散ちったその命いのち。
享年きょうねん、二十五にじゅうご歳さいであった。
巡めぐり 巡めぐり合あわせた運命うんめいを
ただまっすぐに生いき抜ぬいた
総そう司じの心こころに 曇くもりなし
誠まことを尽つくした その姿すがた
語かたり継つごうぞ いつまでも
熱あつい思おもいを たぎらせて
ゆくぞ嵐あらしの 只中ただなかへ
誠まことの道みちを まっしぐら
総そう司じの闘志とうしは 燃もえ上あがる
時ときは幕末ばくまつ。京きょうの都みやこでは、尊王攘夷そんのうじょうい、倒幕とうばくを目指めざす人々ひとびとの動うごきが活発かっぱつとなり、
徳川とくがわ幕府ばくふは、それを抑おさえるために新あたらしい力ちからを必要ひつようとした。
そして文久ぶんきゅう三さん年ねん、「新選組しんせんぐみ」が誕生たんじょう。局長きょくちょう・近藤こんどう勇いさみ、芹沢せりざわ、新見にいみ。
副長ふくちょう・土方ひじかた歳三としぞう、山南やまなみ。「誠まこと」一字いちじの旗印はたじるしのもと、結束けっそく固かたきこの集団しゅうだんの
中なかで、一いち番ばんの剣けんの使つかい手てこそ、沖田総司おきたそうじその人ひとであった。
「名乗なのろうか。私わたしは、新選組しんせんぐみ副長ふくちょう助じょ勤きん、沖田総司おきたそうじだ」
歳としは二十歳はたちで目元めもと涼すずしく、姿すがた凛々りりしく美うつくしく。
江戸えどに生うまれて九ここのつで、近藤こんどうの家いえの道場どうじょう・試衛館しえいかんに入門にゅうもんし、十じゅう年ねんの内うちに免許めんきょ
皆伝かいでん、師範しはん代だい。皆みなに好すかれた人柄ひとがらは、まことに明あかるく朗ほがらかで。壬生みぶの屯所とんしょの
近所きんじょの子供こどもたちとは鬼おにごっこ。
「では、今度こんどは私わたしが鬼おにだ。さぁ、十じゅう数かぞえるうちに逃にげるんだぞ。よいか」
優やさしい心こころの持もち主ぬしなり。
新選組しんせんぐみ誕生たんじょうの翌年よくねん、大おおきな事件じけんが起おきる。池田屋いけだや事件じけんである。
あるとき、新選組しんせんぐみは、尊王攘夷そんのうじょうい派はの企たくらみを知しる。彼かれらは、京きょうの町まちに火ひを放はなち、
御所ごしょに押おし入いり、天皇てんのうを長州ちょうしゅうに連つれ去さるという。
また、近々ちかぢか、彼かれらが宿屋やどや・池田屋いけだやに集あつまることを知しる。総司そうじは憤いきどおった。
「町まちじゅうに火ひをつけられたら、多おおくの人ひとが家いえや身内みうちを失うしなうことになる。許ゆるせぬ。絶対ぜったいに阻止そししなければ!」
斯かくて、新選組しんせんぐみは池田屋いけだやへ。その夜よる、六ろく月がつ五日いつかは祇園ぎおん祭まつりの宵山よいやまで。
日ひが暮くれかかり、鉾ほこや山やまに灯ひがともり、祇園ぎおん囃子ばやしが鳴なり響ひびく。
新選組しんせんぐみのその日ひの出いで立たち、鎖帷子くさりかたびら、胴衣どういに鉢金はちがね、
浅葱あさぎの羽織はおりに山道やまみちダンダラ白しろき木綿もめんの袖印そでじるし。沖田総司おきたそうじは筋金入すじがねいりの鉢巻はちまき締しめて、役者やくしゃのような姿すがたなり。
目指めざす池田屋いけだや。近藤こんどう勇いさみは、総司そうじ、永倉ながくら、藤堂とうどうと、試衛館しえいかん仕込じこみの三さん名めい引ひき連つ
れ、まっすぐ二に階かいを目指めざしたり。敵てきの二十数にじゅうすう名めい抜刀ばっとうす。沖田総司おきたそうじの燃もえる刀かたな
が唸うなりを上あげて最初さいしょの一人ひとりを一刀両断いっとうりょうだん。それが口火くちびで、大だい激闘げきとう。
新選組しんせんぐみは勝利しょうりした。
と、その時とき、総司そうじの体からだに異変いへんが起おきた。
総そう司じは喀血かっけつをした。
然しかるに、この池田屋いけだや事件じけんをきっかけとして、新選組しんせんぐみの名なは世よに轟とどろき、
幕府ばくふも大おおいに認みとめた。新選組しんせんぐみは一層いっそう活躍かつやくを続つづけた。
「総司そうじ、体からだの具合ぐあいはどうだ。咳せきがまだ続つづいているんだろう」
「土方ひじかたさん、いやだなぁ、咳せきなんかしてませんよ。大丈夫だいじょうぶです」
「ま、とにかく医者いしゃに行いけ。なんなら、俺おれが付ついて行いってやる」
「あ、いえいえ、医者いしゃに行いくのは気きが進すすみませんが、
ちゃんと一人ひとりで行いけますから」
医者いしゃにかかって見立みたてられたは、労咳ろうがいで、命いのちはあと二に年ねん。
言いわれて総そう司じも観念かんねんして、医者いしゃの元もとへと通かよううち、折おりしも出会であった医者いしゃの娘むすめ
に、恋こいをした。けれど、なんで言いえようこの思おもい。
「好すきだと打うち明あけたところでどうなる。私わたしの命いのちは長ながくない。
私わたしは・・・、私わたしは、人ひとを恋こいしてはいけないのだ」
生涯しょうがいたった一度いちどだけ、胸むねにともした恋こいの灯ひを、総司そうじは自みずから吹ふき消けした。
そして、時代じだいは激はげしく移うつり変かわってゆく。
総そう司じの体からだは次第しだいに次第しだいに悪わるくなり、剣けんの時代じだいも終おわりゆく。
菊きくは栄さかえて葵あおいは枯かれる。歴史れきしの流ながれは止とめられず。
慶応けいおう三さん年ねん、将軍しょうぐん・徳川とくがわ慶喜よしのぶは朝廷ちょうていに大政たいせいを奉還ほうかんし、王政おうせい復古ふっこの大だい号令ごうれい。
それからほどなく、近藤こんどう勇いさみは鉄砲てっぽうにより狙撃そげきされて傷きずを負おい。
明あくる慶応けいおう四よ年ねん、新選組しんせんぐみは「鳥と羽ば伏見ふしみの戦たたかい」で新しん政府せいふ軍ぐんに敗やぶれたり。
この合戦かっせんで共ともに戦たたかえなかったことを、総司そうじは深ふかく悲かなしんだ。
やがて総そう司じは、敵てきに見みつかるのを避さけるため、江戸えどは千駄ヶ谷せんだがやの植木うえき屋や平五へいご
郎ろうの家いえの離はなれに移うつり住すむ。
そこは、総司そうじの終ついの棲家すみかとなる。
新選組しんせんぐみは、その後ごの戦たたかいでも敗やぶれ、近藤こんどう勇いさみは捕縛ほばくされ、処刑しょけいされた。
そのことを総そう司じは知しらず、そのふた月つきのち、総司そうじは誰だれにも看取みとられず、
ひとり、死出しでの旅路たびじのその間際まぎわ、幻まぼろしを見みていた。
「あ、近藤こんどう先生せんせい、土方ひじかたさん、来きてくださったんですか。
総そう司じは、きょうまで、力ちからの限かぎり生いきました…」
慶応けいおう四よ年ねん五ご月がつ三十さんじゅう日にち
沖田総司おきたそうじは、この世よを去さった。
傍かたわらには、愛あい刀とう・菊きく一文字いちもんじ則宗のりむねがあった。
強つよく生いき、儚はかなく散ちったその命いのち。
享年きょうねん、二十五にじゅうご歳さいであった。
巡めぐり 巡めぐり合あわせた運命うんめいを
ただまっすぐに生いき抜ぬいた
総そう司じの心こころに 曇くもりなし
誠まことを尽つくした その姿すがた
語かたり継つごうぞ いつまでも