よみ:てつどういん
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山やまのふもとの 小ちいさな駅えきに
勤つとめ始はじめて 幾年いくとせたった
ローカル線せんしか 通とおらない
名なもないような 駅えきだけど
ここが私わたしの 生いきてくところ
昔むかしはこの駅えきを通とおる汽車きしゃは、みんな蒸気機関じょうききかん車しゃだったものです。
汽車きしゃが入はいってくると、ホームは煙けむりの匂においでいっぱいに
なりました。白しろい蒸気じょうきを溜息ためいきのように吐はいて止とまる汽車きしゃ。
そしてまた車輪しゃりんの音おと高たかく走はしり出だす汽車きしゃ。遠とおい山肌やまはだにこだま
する汽笛きてき。そんな蒸気機関じょうききかん車しゃが、私わたしはたまらなく好すきでした。
私わたしの死しんだ親父おやじも鉄道員てつどういんだったのです。
いわゆるカマ焚たきという奴やつです。親父おやじの弁当べんとうを持もって、
私わたしはいつも駅えきに行いったものです。
「とうちゃーん」
親父おやじを乗のせたデコイチが帰かえってくると叫さけんだものです。
「おゝおお坊主ぼうずか」
汽車きしゃからおりて来きた親父おやじは、顔かおも手てもススで真まっ黒くろになり
石炭せきたんの匂においをさせていました。
蒸気機関じょうききかん車しゃをこよなく愛あいして死しんで行いった親父おやじ。
その蒸気機関じょうききかん車しゃも、もうみんな消きえていってしまうのです。
春はるは野山のやまに 緑みどりが匂におい
冬ふゆはきびしく 吹雪ふぶきにくれる
一日いちにち何度なんどか 通とおる汽車きしゃ
今日きょうまたむかえて 送おくり出だす
ここは私わたしの 愛あいするところ
この駅えきに来きてかれこれ二十にじゅう年ねん。ここもずいぶん変かわりました。
駅えきもきれいになり、町まちもにぎやかになりました。
シーズンになれば、都会とかいから若わかい人ひとが大おおぜいやって来くる
ようにもなりました。
私わたしの息子むすこも田舎いなかを嫌きらって、今いまは東京とうきょうで働はたらいています。
正月しょうがつなどに、たまに帰かえって来くるとにくまれ口ぐちをききます。
「とうさん、よくあきずにこんな田舎いなかの駅員えきいんをやってるなアー」
「馬鹿ばかいっちゃいけない、とうさんはな、この土地とちと
鉄道てつどうを愛あいして働はたらいているのだゾ」
若わかい時ときは、私わたしもいつかは駅長えきちょうになる夢ゆめを持もっていました
がそれも遠とおい夢ゆめのようです。
でも、好すきな鉄道員てつどういんでこうして元気げんきに暮くらせれば、
こんな幸しあわせなことはありません。
山やまのふもとの 小ちいさな駅えきを
今日きょうも夕日ゆうひが きれいに染そめる
季節きせつはいつしか 移うつりゆき
若わかさも消きえて ゆくけれど
ここで働はたらき 幸しあわせだった
汽車きしゃに乗のってゆく人ひと 降おりてゆく人ひと。いろんな人生じんせいが、
今日きょうも私わたしの前まえを通とおりすぎてゆきます。
明日あしたもまた、小ちいさなこの山やまの駅えきに、明あかるい朝日あさひが
昇のぼるでしょう。
勤つとめ始はじめて 幾年いくとせたった
ローカル線せんしか 通とおらない
名なもないような 駅えきだけど
ここが私わたしの 生いきてくところ
昔むかしはこの駅えきを通とおる汽車きしゃは、みんな蒸気機関じょうききかん車しゃだったものです。
汽車きしゃが入はいってくると、ホームは煙けむりの匂においでいっぱいに
なりました。白しろい蒸気じょうきを溜息ためいきのように吐はいて止とまる汽車きしゃ。
そしてまた車輪しゃりんの音おと高たかく走はしり出だす汽車きしゃ。遠とおい山肌やまはだにこだま
する汽笛きてき。そんな蒸気機関じょうききかん車しゃが、私わたしはたまらなく好すきでした。
私わたしの死しんだ親父おやじも鉄道員てつどういんだったのです。
いわゆるカマ焚たきという奴やつです。親父おやじの弁当べんとうを持もって、
私わたしはいつも駅えきに行いったものです。
「とうちゃーん」
親父おやじを乗のせたデコイチが帰かえってくると叫さけんだものです。
「おゝおお坊主ぼうずか」
汽車きしゃからおりて来きた親父おやじは、顔かおも手てもススで真まっ黒くろになり
石炭せきたんの匂においをさせていました。
蒸気機関じょうききかん車しゃをこよなく愛あいして死しんで行いった親父おやじ。
その蒸気機関じょうききかん車しゃも、もうみんな消きえていってしまうのです。
春はるは野山のやまに 緑みどりが匂におい
冬ふゆはきびしく 吹雪ふぶきにくれる
一日いちにち何度なんどか 通とおる汽車きしゃ
今日きょうまたむかえて 送おくり出だす
ここは私わたしの 愛あいするところ
この駅えきに来きてかれこれ二十にじゅう年ねん。ここもずいぶん変かわりました。
駅えきもきれいになり、町まちもにぎやかになりました。
シーズンになれば、都会とかいから若わかい人ひとが大おおぜいやって来くる
ようにもなりました。
私わたしの息子むすこも田舎いなかを嫌きらって、今いまは東京とうきょうで働はたらいています。
正月しょうがつなどに、たまに帰かえって来くるとにくまれ口ぐちをききます。
「とうさん、よくあきずにこんな田舎いなかの駅員えきいんをやってるなアー」
「馬鹿ばかいっちゃいけない、とうさんはな、この土地とちと
鉄道てつどうを愛あいして働はたらいているのだゾ」
若わかい時ときは、私わたしもいつかは駅長えきちょうになる夢ゆめを持もっていました
がそれも遠とおい夢ゆめのようです。
でも、好すきな鉄道員てつどういんでこうして元気げんきに暮くらせれば、
こんな幸しあわせなことはありません。
山やまのふもとの 小ちいさな駅えきを
今日きょうも夕日ゆうひが きれいに染そめる
季節きせつはいつしか 移うつりゆき
若わかさも消きえて ゆくけれど
ここで働はたらき 幸しあわせだった
汽車きしゃに乗のってゆく人ひと 降おりてゆく人ひと。いろんな人生じんせいが、
今日きょうも私わたしの前まえを通とおりすぎてゆきます。
明日あしたもまた、小ちいさなこの山やまの駅えきに、明あかるい朝日あさひが
昇のぼるでしょう。