映画『汝、星のごとく』は15年にわたる愛と選択の物語
映画『汝、星のごとく』は、凪良ゆうによる同名小説を実写化したラブストーリーです。2026年10月9日に公開予定で、主人公の青埜櫂を横浜流星、井上暁海を広瀬すずが演じます。
監督は藤井道人、脚本は安達奈緒子が担当。
原作は第20回本屋大賞を受賞した人気小説です。
物語の舞台は、美しい海と空に囲まれた瀬戸内の島。
島へ転校してきた櫂と、そこで育った暁海は、ともに家庭の事情から孤独を抱えていました。
似た痛みを持つ2人は次第に心を通わせ、互いがかけがえのない存在となっていきます。
しかし高校卒業後、夢を追って東京へ向かう櫂に対し、暁海は家族のため島に残ることを選択。
愛し合っていても同じ道を歩めない2人には、その後も人生を左右するいくつもの選択が待ち受けています。
17歳から32歳まで、15年という長い年月を通して描かれるのは、単純な恋の成就だけではありません。
「誰かを愛すること」と「自分の人生を生きること」の間で揺れながら、それぞれが自分自身の幸せを選び取ろうとする物語です。
RADWIMPSが手がける主題歌「夕星−ゆうづつ−」の歌詞の一部が明らかに
RADWIMPSが手がける主題歌「夕星−ゆうづつ−」の歌詞の一部が、YouTubeチャンネル『東宝MOVIEチャンネル』にて主題歌入りドラマ予告映像が公開されています。主題歌入り予告
映画のために書き下ろされたRADWIMPS「夕星−ゆうづつ−」は、櫂と暁海の15年にわたる人生と愛に、どのように寄り添っているのでしょうか。
ここからは、予告映像で明らかになった歌詞をもとに、その意味を考察していきます。
「君」の明日を照らす星になりたい
君が明日を生きる
星にわずかでもなれるのなら
何度でも何度でも何度でも
「君が明日を生きる」という言葉から伝わってくるのは、何よりも「君がこれからも生きていくこと」を願う主人公の強い想いです。
特に印象的なのが、「星にわずかでもなれるのなら」というフレーズ。
「夕星」とは、夕方の西の空に見える金星、いわゆる「宵の明星」を指す言葉です。
このタイトルを踏まえると、主人公が願っているのは、君の人生をすべて変えてしまうような存在になることではなく、暗闇の中で進む方向を見失ったときに、わずかでも光を届けられる存在になることなのかもしれません。
これは、映画『汝、星のごとく』にも重なるイメージです。
櫂と暁海は別々の人生を歩みながらも、何度岐路に立たされても互いの存在を求め続けます。
「何度でも」と繰り返される言葉からは、たとえ離れても、傷ついても、それでも君の明日を照らす光になりたいという、揺るがない愛が伝わってくるようです。
正しい選択よりも「君」を選びたい
地球の裏側はまだ昨日だから 今走れば間に合うかな
昨日のあの言葉を破り捨てて 君を掴まえにいくよ
君が理由なら 何万回だって間違えてみたい
「地球の裏側はまだ昨日だから」という、RADWIMPSらしい壮大でユーモラスな発想が印象的な一節です。
もちろん、実際に昨日へ戻ることはできません。
それでも主人公は、昨日口にしてしまった言葉をなかったことにしてでも、もう一度「君」のもとへ向かいたいと願っています。
ここで注目したいのが、「間違えてみたい」という言葉です。
一般的に人生では、できるだけ失敗せず、「正しい選択」をすることが求められます。
しかし主人公は、「君が理由なら」たとえ間違いであったとしても、その選択を受け入れたいと歌っています。
つまりここで描かれているのは、世間から見た正解を選び続ける人生ではなく、自分自身が信じられるものを、自分の意思で選ぶ生き方なのではないでしょうか。
このテーマは、楽曲を制作したRADWIMPS・野田洋次郎のコメントとも重なります。
野田は映画について、生まれる場所や環境を選べなくても、自分自身の幸せは自分で決められるという希望を受け取ったとコメント。
さらに、杓子定規な「正しさ」や「正論」が重視される時代だからこそ、不器用で無様に見える生き方の側からしか気づけない美しさを選びたいという想いも明かしています。
櫂と暁海が歩む道にも、いつも分かりやすい正解が用意されているわけではありません。
だからこそ「君が理由なら 何万回だって間違えてみたい」という言葉には、間違わないことよりも、自分が選んだ愛に責任を持とうとする覚悟が込められているように思えます。
誰にも奪えない「君が信じた愛」
大丈夫だよ
君が信じた愛は誰にも奪えやしない
それをただ伝えるために生まれてきたのだとしても
僕はいいよ
それでいいよ
むしろそれがいいの
いいの
ここでは、それまでの切迫した言葉から一転し、主人公が「君」を優しく肯定するような言葉が続きます。
注目したいのは、「僕たちの愛」ではなく「君が信じた愛」と歌われている点です。
主人公が守ろうとしているのは、自分と君との関係そのものだけではなく、「君自身が愛だと信じた気持ち」なのではないでしょうか。
たとえ誰かに認められなかったとしても、世間から正しいと言われなかったとしても、自分が確かに愛したという事実まで他人に奪われることはない。
そんな力強い肯定のメッセージが、この言葉には込められているように感じます。
そして、「それをただ伝えるために生まれてきたのだとしても」と続く歌詞からは、自分が君の人生の中心になれなくても構わないという、深い愛情も読み取れそうです。
「僕はいいよ」「それでいいよ」「むしろそれがいいの」と受け入れる言葉を重ねる姿から感じられるのは、相手を自分のものにすることではなく、その人が自分らしく生きていくことを願う愛です。
映画『汝、星のごとく』が描くのも、ただ一緒にいることだけをゴールとした恋愛ではありません。
愛する人を想いながら、自分自身の人生をどう選んでいくのか。
「夕星−ゆうづつ−」は、そんな櫂と暁海の物語に、「君が信じた愛も、自分で選んだ人生も、誰にも奪うことはできない」と語りかける楽曲なのかもしれません。
RADWIMPS「夕星−ゆうづつ−」は“自分で選ぶ愛”を優しく照らす歌
RADWIMPS「夕星−ゆうづつ−」に描かれているのは、ただ一緒にいたいと願うだけではない、相手の人生そのものを肯定するような愛です。「君」の明日を照らす小さな星になり、たとえ間違いながらでも、自分が信じた道を選んでいく。
映画『汝、星のごとく』を観たあとには、櫂と暁海が歩んだ15年と重なり、この歌詞の一つひとつがさらに違った意味を持って響いてきそうですね。
今回は予告映像で公開された歌詞を中心に考察しました。
今後フルバージョンの歌詞や楽曲が公開された際には、改めて全体の歌詞考察をお届けします!