2015年にデビューしたSuchmosが時代の寵児となるのに時間はかからなかった。シティポップが10年代の音として存在感を強め、かつて渋谷系と呼ばれたアーティストが再評価される機運もあって、アシッドジャズの影響下にあるSuchmosが評価されるための基盤は整っていたといえる。
1stアルバム「THE BAY」はそんな彼らの名刺代わりといえる作品だった。Suchmosの音楽に漂う陽光をたっぷりと浴びたナチュラルな空気とボトムの太いベースラインが全体を支配し、その上でYONCEのフロウが自在に泳ぐという構造はすでにこのアルバムで完成の域に達している。
塩気のある乾いたボーカルがときにファルセットをまじえながら描くのは、彼らが過ごす日常の光景だ。その言葉は同時に膠着した現状を告発する。
「金は全能か? 無職はゴミか?
お前の気分に 踊らされたくない」("Alright")
ジャミロクワイの名曲からタイトルを借りて歌う徹底してアウトサイダーな視点。それは彼らが横浜で育ったことと無関係ではないだろう。東京を横目に見つつ自分たちのペースで矜持を持って生きる姿がそこには刻まれている。そんな彼らの批評眼は2ndアルバムでさらに研ぎ澄まされている。
「指示待ちの賛歌
不自由な参加
舌打ちのパッション
(中略)
クソ混んだ電車でDona Dona Dona」("TOBACCO")
若くして地に足の着いたスタンスを持っている彼らだが、2ndアルバムではそこにとどまることなく変化しようとする兆しも見られる。そのことは、リードシングルとなったアルバム冒頭の曲にもあらわれている。
「高く飛びたい yeah
青い鳥のさえずりの聞こえないとこ
(中略)
Hi, I’m Fine More Get High」("A.G.I.T. ")
持ちまえの批評性に加えて、まだ見ぬ未来をつかもうとする意思が顕在化したのが現在の彼らのモードなのだ。
情報の洪水にさらされコントロール不可能な世の中で、さりげない日常を見つめようとする機微がシティポップというトレンドの背景にあるとするなら、Suchmosが鳴らす抜けのよいシンプルなサウンドと心地よいグルーヴは、より開放的な空気を身にまとっている。それを一言でいうなら「自由」という言葉になるかもしれない。
軽薄さを絵に描いたような、主体性をなくした人々。YONCEが曲中で唾棄するように歌うのは自由を売り渡した人間の姿でもある。一方で、自身もアウトサイダーとして呼びかける言葉はどこまでも穏やかであり、その視線はリスナーと同一線上にある。「不自由じゃないのか?こっちに来いよ」と。
「周波数を合わせて
調子はどうだい? 兄弟、徘徊しないかい?
空白の何分かだって
その苦悩や苦労を Blowして踊りたい」("MINT ")
自由をなくしつつある時代にSuchmosの存在感が突出しているのは、こんなところに理由があるのかもしれない。
「THE KIDS」というタイトルは彼らが呼びかけようとする相手であり、閉塞した毎日にあらがって生きていた彼ら自身の姿でもある。
自由の境界線でSuchmosは淀んだ日常の空気を撹拌し続ける。そこには海からの風が吹いている。
横浜の街から現れた6人組が日本中を席巻している。
今年の1月に発売された2ndアルバム「THE KIDS」はロングセラーを続け、各地のフェスでメインステージをつとめる彼らからはすでに風格すら感じさせる。ツアーファイナルとなった4月27日には自分たちのレーベル「F.C.L.S.」発足を発表。Suchmosの送り出すアーティストが日本の音楽シーンを変えていくだろうことは想像にかたくない。
公開日:2017年6月13日