今回対談をするお2人
nishi-ken
数々のアーティストの楽曲制作、サウンドプロデュースを手掛ける音楽プロデューサー。また、キーボーディストとしての一面も注目を集める。
土橋安騎夫(REBECCA)
REBECCAのキーボーディスト、作曲家。2018年現在、Live、DJ、Produce、劇判音楽の制作などジャンルにこだわらない幅広い音楽活動を展開中。80年代、90年代の音も自分なりに消化している所強みなんじゃないかなって
──お二人はどれくらいのお付き合いになるんでしょうか?土橋安騎夫:一番最初は、ウツさん(宇都宮隆)のコンサートのときだよね。
nishi-ken:そうですね。
土橋安騎夫:ウツさんの周りで絡んでいたりしていて、凄腕ミュージシャンがいるって話を聞いていたんですよ。それで、これがnishi-kenか!って思ってツイッターとかではお互いにフォローしていたよね。でもその時はまだ会ってないんですよ。でも、ウツさんのライブで初めて会う機会があって、それからになります。
──お互いの初めての印象はいかがでしたか?
nishi-ken:僕は本物だ!って思いました。(笑)
土橋安騎夫:僕は、これがnishi-kenなんだ!って。最初nishi-kenっていう名前ってどういう事なのだろう?と思っていたんですけど、西田 憲太郎の略だったので割と普通だなって思いました。(笑)
──お二人はプライベートでお会いしたりはしないのでしょうか?
nishi-ken:ライブが終わったあとに飲みに行ったりはするんですけど、それがプライベートの感覚に近かったりします。
土橋安騎夫:そうだね。
nishi-ken:一応、仕事というか現場からの流れではあるんですけど。
土橋安騎夫:以前、開催されたイベント『SynthJAM』の帰りにキネマ倶楽部の近くのお店に入ったんですよ。適当に選んで入ったんですけど、そこが結構良くて。派手なミュージシャン?でもOKで、その日二階が空いていたので貸切状態だったんですよね。自分がシールドを忘れるっていう日でもあったけど…。
nishi-ken:あの日は初めてゆっくり飲んで話したと思います。何年前でしたっけ?
土橋安騎夫:2013年かな。5年前。
──土橋さんから見たnishi-kenさんの印象はどうですか?
土橋安騎夫:意外と柔軟性があるんですよ。俺はこれしかやらないんだ!っていう感じではないんですよね。サウンド的にもこだわりが強そうな音だなって思うんですけど、意外と先輩方にもついていける感じなんですよ。ツアーしても打ち上げがなくてそのままホテルに帰っちゃうっていうタイプではなくて、割とみんなで酒飲んでギャーギャーしたりとか。オープンマインドな人だなって思います。
──音楽表現に関してはいかがでしょうか?
土橋安騎夫:僕からするとある一面は師匠ですよ(笑)
nishi-ken:いやいやいや…(笑)
土橋安騎夫:感覚的なものっていうのがあるんですよ。マニアックな話になりますが、レコーディングの方法で、彼はハードディスクやコンピューターから入っているじゃないですか。僕等ってアナログテープの時代から始めているんですよ。そうすると色々支障があるんです。アナログの時の考え方を持ちながらハードディスクレコーディングをすると、前の古い考えを持ち込んでしまったりするんだけど、彼はそういうのがないんです。発想的に音の作り方とかも、凄いなって。自分が発想する部分とは違う強力な音の組み立て方があります。それはnishi-kenに限らず、外国でも若いミュージシャンの音はそういうのが多いんだけど、nishi-kenの凄い所は80年代、90年代の音も自分なりに消化している所が新しいし、強みなんじゃないかなって思います。
僕の中で80年代は新鮮だし、一番カッコいいと思えるジャンルなんです
──土橋さんの話を受けてnishi-kenさん、いかがですか?nishi-ken:音楽的な話をすると、僕の中で80年代ってヒットチャートがジャンル問わず同じ音色ってイメージなんですよ。例えば、ドラム、シンセベース、エレピ、リバーブやコーラス感だったりがどれも似てて。ここからどうやって新しいものを作っていこうか?というプリセットがある意味整って、フラットになっている時代だと思っていて。僕が「Sky Cruising」を作ったのはそこに行きたくて。漠然と60、70年代って生演奏のダンスミュージックで、80年代から強くシンセサイザーの音色とシーケンスが人のグルーヴに入ってきて音の派手さが明らかに変わってるんですよ。なんか感覚だけでもそこに巻き戻って、自分ならどういう風にここから変化させていくんだろうなっていうタイムマシン感覚です。それが今ものすごく楽しくて。実際80年代は子供だったからリアルタイムに沁みこんでいるのって実は90年代なんですよね。だからこそ僕の中で80年代は新鮮だし、一番カッコいいと思えるジャンルなんです。今、アナログシンセの音にとても近未来を感じてます。
土橋安騎夫:レトロフィーチャーな感じだよね。
nishi-ken:そうです。フィーチャーな感じがしますね。だから80年代のシンセポップを聴くと、今だからこそなのか未来感あって。
土橋安騎夫:バックトゥザフューチャーだね。今となってはあのダサかっこよさ?がいいんですよ。60年代、70年代の流行りはあるんだけど、80年代って何故か飛ばされやすい。それがなぜかっていうと、80年代ってエレクトリックな部分でもある意味黎明期なんです。ドラマーがいなくてもドラムって打ち込めるの?みたいな事もあったし。でも音がダサいんですけど、その喜びに浸っているんですよ。90年代の音ってループとかサンプリングとかが確立して、色んなクラブ系の音楽に広がっていくじゃないですか。さっき実験って言っていたけど、まさに実験段階の時代だったから、80年代は飛ばされるんですよね。みんな80年代をトライはするんだけど、僕が80年代くるよって言っても80年代の人間だから、あんまり説得力がないんです。そのままじゃんってなるし。でもnishi-kenや今の人が80年代をやると、面白い事にこれからなると思いますよ。
nishi-ken:今土橋さんが言ったように、みんな80年代の音楽をやるときって大体90年代手前なんですよ。僕が思う80年代の音楽って80年~85年ぐらいなんです。これって同じ80年代でも全然違う。僕がカッコ良いと思っているのはそっちなんですよ。90年代に近寄れば近寄る程、どんどんそのテイストがユーロビート調になっていくんです。
土橋安騎夫:YMOを代表とするテクノポップが流行ったのは、実は70年代後半から80年代の初めにかけてでした。それはクラフトワークから繫がるもので、無機的な要素を取り入れた音楽が日本でも流行って、それはリズムボックス、シンセドラムだったんです。そこから82、83年はそこに人間の息吹をいれようとするわけですよ。そうするとダサく未完の音になっていく。その時って機械に訓練をさせてる状態だから。nishi-kenが捉えると、そこを上手くやっていける感じがしますね。
クリエイターが秘めているアーティスト性っていうのはみんな持っています
──音楽クリエイターさんが秘めているアーティスト性についてお聞かせください。nishi-ken:表に立つ存在と裏の存在の違いって単純に表に出るか出ないかで。音楽を制作する意味ではものすごくフラットな立ち位置だし。今、何気にこの人は何者?っていう事がものすごく問われていて。なのに無名のクリエイターが大きなコンペを勝ち獲ったとしても名前が広まる時代ではなくなってしまってる。例えばこのご時世に売れた名曲を誰が作ったかなんて世の中はおそらく知らない訳で。曲についてクリエイターが語るべきなんですよきっと。今はとにかく居ないに等しい扱いの時代になってる。それってクリエイターからすると、ものすごく雑な扱いをされているって思うんです、世の中に対して。でもそんなのは誰かがクリアにするとかって待ってても変わるものでもなくて。それなら自分発信で自分の音楽をクリエイターだろうがバンドだろうがユニットだろうがDJだろうが、やりたい形式で表に出していく方が良いと思っていて。僕は自分が良いと思う音楽をアーティスト活動で発信してくって感じです。そんなマインドが今後現れるクリエイターの基準になったらいいなって思っています。
土橋安騎夫:作っている人が色々発信すればいいよね。
nishi-ken:そうなんですよ。確実に言えてないです。
土橋安騎夫:まず調べようとしないと思うんですよ、今の時代は。「この曲誰が作ったんだろう?」って昔は調べたりしたと思うけど、今はそういう事をしなくてもクリエイターよりも先に曲が耳に入って来ちゃうし,次から次へと情報が溢れるので、忘れてしまうんですよね。だけど、nishi-kenが言うようになんでこの音楽を作っているのかとか、本当は面白いわけじゃないですか?そういう話を発信した方が良いと思う。じゃないと使われて捨てられるだけになるしね。
nishi-ken:本当にそういう感じになってきちゃっているから、やばいなって思う。もっとピックアップされるためにクリエイターが表に出るようなやり方をやっておきたい。好きな音楽を作ってそれが評価されて、その人がピックアップされて誰かに曲を提供しますっていう感じ。土橋さんはまさにそれで。REBECCAがあって、そこからプロデューサーとして成長して、僕の中ではこれがお手本で。僕はバンドでデビューした訳でもなく、裏方からキャリアをスタートをして順序は逆を辿っているんだけど、今だからこそできる事はあるなって思って今回に到ます。
土橋安騎夫:クリエイターとしても表に出て色々なものや人と接していかないとダメですね。自分だけで曲って出来ちゃうからどうしても内にこもりがちだけど。それよりも、なんでこうなんだろう?って常に疑問を持って、勉強というか、そういう努力をした方が良いと思います。
nishi-ken:僕はクリエイターでありながらクリエイターに対して意識改革しなきゃいけないと思うことがあって、それは次があると思っていること。この感覚を裏方だけで留めてるクリエイターは捨てた方が良い。だから表に立ってやってみろ!っていう話なんですよ。その時に提供っていう事の重さが本当の意味で解ると思うんです。そういうのを全部踏まえて、先頭切って座標になりたいです。作詞家もそうだと思う。
土橋安騎夫:作詞家ってもっと不思議ちゃんじゃないとね(笑)
nishi-ken:(笑)。そういう見え方をもっと増やせたら良いです。そういう意味でクリエイターが秘めているアーティスト性っていうのはみんな持っています。
──nishi-kenさんの新曲『Sky Cruising』をお聞きになってどうでしたか?
土橋安騎夫:音の粒が太いんですよね。それは企業秘密だから彼は言わないと思うけど。
全員:(笑)
土橋安騎夫:それを踏まえた上で80年代の音楽をやると、カッコいいんですよね。ただそれが80年代の焼き直しではなく、nishi-kenがやるからああいう音になるんだなって。一つ思ったのが、毎回曲が良いんですよね。80年代とか関係なく、とにかくメロディーメーカーとして凄いなって。
nishi-ken:それは嬉しいですね。相当嬉しい。
土橋安騎夫:かなり良くない?
nishi-ken:嬉しいです。実はメロから作ったんですよ。
土橋安騎夫:FO(フェードアウト)だしね。80年代になんでFOが多いか知ってる?
nishi-ken:わかんないです。
土橋安騎夫:80年代はみんなレコード作ってライブやって、レコード作ってライブやってを繰り返してた。それが一般的なやり方だったんだけど、そうすると考え方が完璧に分かれてくる。レコードにエンディングなんてライブのリハの時に考えればいいってなるわけ。結局そんな時間もなくてFOが多いんだよ。のっけからエンディングを考えてないんです。
nishi-ken:感覚がスケッチだったって事ですか?
土橋安騎夫:そう。今は余裕があるけど、昔はそういう感覚がないからとりあえずFOなんだよ。打ち込みもFOばっかだしね。
nishi-ken:なるほど。僕のイメージは、ドラムフィルもギターソロもめっちゃ盛り上がってるときにフェードアウトしちゃうから「え!」っていう(笑)
土橋安騎夫:急にびゅーって終わる。人力でやっているから。僕も今自分のアルバムを作っているんですけど、全部FOです。(笑)
nishi-ken:僕の新曲の構成をチェックして欲しいんですよね。A、B、C、B、Cしかないんです。それで3分内でとどめるっていう。
土橋安騎夫:いいね。
nishi-ken:今の構成はこんぐらいかなって思ってます。