最近では、スピッツのカバーバージョンが、テレビ東京の番組「出川哲郎の充電させてもらえませんか?」で使われ、耳にしている方も多いのではないだろうか。
出川が原付で海辺の道をどこまでも走っていく場面で流れる「さすらい」は、思わず「旅に出たいなあ」と感じさせる解放感に満ち溢れている。
奥田民生「さすらい」
さすらおう
この世界中を
ころがり続けて歌うよ
旅路の歌を
「さすらおう この世界中を ころがり続けて歌うよ 旅路の歌を」。曲の最初にサビがきて、一番伝えたいメッセージを歌っている。
「さすらう」とは、あてもなくさまようこと。「さすらいの旅」などと使われる。世界中とは、物理的に世界中のことなのかもしれないし、もっと身近な、私たちの生きている世界のことなのかもしれない。
旅しよう。ころがり続けよう。押しつけがましくないのに、人生を応援されているように感じる。
続く一番のメロディでは、そんなさすらいの旅に出るきっかけが歌われている。
奥田民生の生き方がそのまま表現されているかのような歌詞
まわりはさすらわぬ人ばっか
少し気になった
風の先の終わりを
見ていたらこうなった
雲の形を
まにうけてしまった
周りを見渡してみて、さすらっている人はどのくらいいるだろう?
仕事や家事など、自分の役割にしばられて、余裕のない人ばかりではないか。そんなことが気になる。
川べりの土手に寝転んで、風を感じていたら、その風の先に何があるのか、辿っていくうちに旅に出ていた。
誰もが見過ごす雲の形をよおく見ていたら、いつのまにか旅に誘われていた。そんなきっかけ。
まわりは生活にしがみついているのに、自分は自然に誘われるように旅に出ている。そんな自分に後悔はしていない。
置いてきた人が懐かしくなったら、思い出の歌を歌おう。なんだか、奥田民生の生き方そのものみたいな歌詞だ。
続く二番では、日常からのエスケープが主題になる。
人影見当たらぬ 終列車
一人飛び乗った
海の波の続きを
見ていたらこうなった
胸のすきまに
入り込まれてしまった
残業帰り。反対側の人影のないホームに停まっている終電。自分が乗る電車じゃないのに、誘われるように飛び乗った。
夕暮れの海岸。もう帰らなければいけないのに、波の続きを見ていたくなった。日常にふと、ぽっかり空いた心の隙間。
こういうとき、人は旅に出たくなるのかもしれない。
さすらいとは日常からのエスケープ
誰のための道しるべなんだった
それをもしも
無視したらどうなった
自分の進むべき道しるべ、ひかれたレールを無視したくなるときだってある。
さすらいとは、逃避なのかもしれない。日常からのエスケープ。
でも、もしかしたらそれが、現代を生きる私たちに必要なことなのではないだろうか。
10月には2DAYSの武道館ライブが予定されている奥田民生。
弾き語りスタイルの「ひとり股旅スペシャル@武道館」が開催されるなど、楽しみな内容になっている。
これからもその魅力をいかんなく発揮していく彼を、見続けていきたい。
TEXT:遠居ひとみ