20周年の記念に制作した「Story」
──なるほど。今回の20周年の記念に作られたというこの「Story」ですけども、ストレートに表現されてるところと詩的に表現されているところの両面がありますよね。特にBメロの始め、「幸せと悲しみが 交差して思い出こじらすけど」とか2番の「虚しさと情熱が 寂しさを生み出し 僕を染める」のような感性的な歌詞って、どんな感覚でどんな状況のときに書かれたフレーズなんでしょう?青木:1つの感情しか出てこないなんてこと絶対的にないじゃないですか。両方持ち合わせて何かが成立するから、そこを忘れないようにというか。悲しみがなければ幸せなんか感じれないし。幸せがなかったら悲しみだって起こらないし。だから僕は原点に帰ったときにそんなことも思って、書いた部分ですね。
──やっぱり帰るべきは原点。
青木:そうですね、そこがあるから多分頑張れることもあるだろうし、この人たちがいるから今の自分が成り立ってるしっていう詞ですかね。今こんなに戦ってるけど、やっぱり原点に立った時に一緒にいた人とか、子どもの頃周りにいた人とかがふとよぎったり。「俺何のためにここ来たんだ」っていう。こいつらに啖呵切って出てきてなんで俺こんな悩んでるんだみたいな。
──啖呵切って出てきた、ですか!
青木:(笑)。要は“こいつらがいるじゃんか、待ってくれてんじゃんか”っていう。「自分はこうなるから!」って言って出てきたのにしょぼくれて帰ってこれない。
だからこの人たちのためにも頑張んなきゃいけないし、この人たちがいるから頑張れるしっていう。
──20周年という節目でこういった曲を書かれるのとかすごく分かる気がするんですけど、何が具体的にきっかけがあったりとか、こういうテーマで曲を書こうって筆を執った理由っていうのがあったんですか?
青木:理由は本当にもうさっきと一緒で、何か20周年の記念になるものを作りたいなと思って、内容どうしようかなってなったときにやっぱ初心に帰ったら親父とお袋いなかったら自分誕生してないですし、地元でずっと何も言わんとずっと一緒にくっついて遊んでくれてた友だちだったりとか、あとは僕はおじいちゃんが、17歳のときにのど自慢に出たときに他界しちゃったんですけど、そういう思いもありますし、そういう方たちに向けてこう1曲作れないか、もちろん今応援してくださってるファンの方に向けてもそうなんですけど。
──常に心の中に誰かがいることを忘れないでいないと、進めるものも進めないし、成功するものも成功しないんですよね。
青木:そうですね。若いときは「感謝しなさい、感謝しなさい」とか言われても「何言ってんの」って。「分かったもう、分かったもう、何回も聞いた、何回も聞いた」ってなってたのが、やっぱりこの年になってきてつくづく「そうだよなぁ、それ1番大事だな」みたいな(笑)
自分がそう思い始めてきたからやっぱりこの歌が作れたかなっていうのが。
──今だから書ける歌詞ですね。やっぱり聴く世代によって感じ方が異なる曲になると思います。
青木:でしょうね。多分お父さんお母さんからしたらこれ息子娘が言ってくれてるような感じで聴こえるでしょうし、娘息子からしてみたらお父さんお母さんたちにとか友だちにとかで捉えてくれるでしょうし。
──対象が限定されてないからすごい幅広い方に当てはまる曲ですよね。
青木:そうですね。だから結婚式で歌ってほしいですね。
──いいですね!
青木:(笑)
──でもこれ、歌える人なかなかいないと思います(笑)、結構キー高いですよね。
青木:高いです。高いけどこれでも落としたんですけどね。
──さすがです。女性でも割と頑張らないと。アレンジに関して、青木さんの方からリクエストというのは?
青木:やっぱりこんな感じでやってくれっていうふうにお願いをするんですけど、僕も別にギターで作るとかっていうよりも鼻歌で全部やっちゃうんです。
だから鼻歌で全部録ってそれを送って「音つけてください」って言ってバック来たのに対して「こここうしたほうが、こうがいい」っていうやり取りをしながら作っていってますね、いつも。
──ギターのポロンポロンした感じで始まるのがすごいいいなって思ったんですよね。
青木:そうですね。僕ら世代の子どものころとか、お父さまお母さま方の若いときみたいなときのそのフォーク感みたいな。ちょっと懐かしさが出るような感じがいいかなと。
──青木さんってご自身がナチュラルにお好きな音楽ってどういう音楽なんですか?フォークソングみたいなところですか?
青木:僕それもよく聞かれるんですけど、本当に幅が広すぎてしまって、いろんな音楽をやっぱり聴くんですよね。多分子どものときに親父が聴いてたものを引っ張り出して聴いてたのがものまねもそうなんですけど、自分の歌にも繋がってったんじゃないかなとは思いますね。いろんな歌を聴いてたことによっていろんな感受性を持てたというか。
──うらやましいです、そういう環境に育ってきたことが。
青木:でもいいものはいいっていう感覚の窓口が、ちょっと僕は広い。だからそこも感謝に繋がりますよね。親父のそれがあったから。
──いいですね。全ての繋がりに感謝を持てたら、人生が豊かになりそう。サビではかなりストレートにその感謝を述べられていますね。
青木:そうですね。
ショーパブで働いていた経験も
── 2番では「ありがとう 愛すべき街よ」だったり、「果てしなく続く旅は 僕らの街に帰るstory」とありますが、青木さんの思う街っていうのは出身地の神奈川?青木:そうですね。全然奥地なんですけど。
──例えばご出身の場所以外で、思い出深かったり好きな場所ってありますか?
青木:3、4年、茨城の土浦ってところのショーパブみたいなところで働いてたんですね、ものまねの。そこですかね第2のふるさとは。そこが僕のものまねを作ってくれたというか、そこに出てなかったら多分何も完成されてなかった。
──そこは、ものまねだけをやってらっしゃるショーパブなんですか?
青木:そうです。
──そこはどんなところなんですか?
青木:100人ぐらい入るんですかね。それを1日3回回しでやるんですけど。1人10分15分とか。それをほぼ週4、5ぐらい出て。出てればやっぱりネタも増えてくし完成度も上がってくし。だからここに出てなかったら本当、全く無理だったんじゃないですかね。
──そこのお客さんとかリスナーの方、ファンの方からのリクエストで新しくものまねのネタの幅、人の幅を広げるとかってこともあったりするんですか?
青木:あります。だから、ずっといてくれるお客さんもいたり、1部から3部まで。そうするとやっぱり同じことやっても飽きちゃうから毎回変えてとか、新しいことやってみようかとか話して。それでできていくものもありましたね、やっぱり。
──でも青木さんが出られてるようなショーパブが、土浦にあるんですね(笑)
青木:そこに一時、4年ぐらいですかね、出て。それで東京戻ってきてひばりさんで皆さんに知っていただけるようになったと。意外と僕ぽっと出って思われてるんですけど。
──そうですか?
青木:そうなんですよ。結構ぽっと出でもない(笑)。
でも本当、いい経験しました。ここでは。最初行ったときもお客さん6人ぐらいしかいなかったし「こんな店なの?」と思って。それで半年ぐらいで全部満卓にして。
──すごい。
青木:それはもうやりましたもん結構外出て、毎日お客さんとしゃべって写真撮ったとか。
──しかも土浦っていう場所でですからね。
青木:すごいですよね、あそこ。
青木:とんでもないです。店出たらフルーツ飛んでくるし、なんだこれはって(笑)。
──フルーツなのがウケる(笑)
青木:ホントですよ、なんだここはって。
──そんな時代も過ごされて現在ものまねアーティストとしても有名な青木さんですが、Faceとしてご自身の曲を歌われる時に、逆にものまねをやってきた経験が邪魔になるっていうことってないですか?私すごい気になってまして。
青木:最初僕そうでした。分かってる人たちはやっぱそれを言ってくるし。「今のところhydeさん入ってるね」とか。
──なるほど(笑)
青木:「今のとこちょっと誰か入っちゃってるね」とか、僕もすごい悩んだんですけど、でも今は逆に「それやってなかったらこの声成立してないじゃん」って思うし。
僕はそれなりに数多くの声質がものまねやったことによって作られていて、どこをどう歌ったらよく聴こえるんだろうとか、ここをこうしたらちょっと桑田さんっぽく歌ったらハマるかなとか、いろんな歌い方が試せる。
──めっちゃかっこいいですねそれ。
青木:ひばりさんも七色の声って言われていて、いろんな声出して歌ってらしたから、絶対成立するはずなんです。ただそのものまねっていうものをやって、そっちでのほうが知られてるから、そう聴かれちゃうと、あれですけど。
ただ何か完成されれば、完結したときにはやっぱりそれはみんな忘れてくれるんじゃないかなと僕は思っていますけど。