吉澤嘉代子「残ってる」
「残ってる」を聴いたことがある方ならわかると思うが、これは朝帰りの曲。でもこの曲、吉澤嘉代子自身の体験を元にしたわけでは必ずしもないってこと、知っていただろうか?【動画】「残ってる」のMVを見てからコラムを読みたい
誰からも共感されるような女の子の物語
吉澤が友達と話している時、「この前、駅にいかにも朝帰りっぽい女の子がいた」というのを聞いて、その子の曲を書こうと思ったんだそう。秋寒駅前のコンコース、街ゆく人が厚着をしだすなかで、ただひとり昨日の夏服のままの女の子が思い浮かんだという。最近のシンガーソングライターのイメージだと、自身の体験で曲を書く方も多い。
けれど、吉澤のやり方は、影響を受けているとされるユーミンこと松任谷由実に近いものがあるのかもしれない。そのへんにいそうな、でも誰からも共感されるような、そんな女の子の物語を曲にしている。
夜の燃えるような情事を経て…
――――駐輪場で鍵を探すとき
かき氷いろのネイルがはげていた
造花の向日葵は私みたい
もう夏は寒々しい
――――
情景がすごく浮かんでくる部分。赤だろうか、それとも水色や黄色をしたかき氷いろのネイル。ネイルが剥げ、夜の燃えるような情事を経て、気が抜けてしまったのだろう。着飾っているけど、くたびれた私は、夏に取り残された女の子。
吉澤がつくりたい音楽は、主人公がいて、物語がある。いわゆるフィクション。それを聞く人が疑似体験をして自己を投影する、小説のような機能をもった音楽をつくりたいとインタビューで語っている。この駐輪場のくだりは、小説の情景描写にあるような詳細さで、聴く人を物語の世界に入り込ませる。幼い頃に読んだ、数々の物語に救われてきたという吉澤。同じようにして、自身も聴く人に寄り添いたいという思いがあるのだ。
フィクションのなかにノンフィクション
――――まだ あなたが残ってる からだの奥に残ってる
ここもここもどこかしこも あなただらけ
でも忙しい朝が 連れて行っちゃうの
いかないで いかないで いかないで いかないで
私まだ 昨日を生きていたい
――――
ただ、この曲が全部作り物かというと、それも疑わしい。吉澤は、先ほどのインタビューで、“感情の部分はいつでも本物じゃないと曲が輝かないと思っている”と言っている。つまり、この曲で描かれた女の子の思い、それこそが吉澤の原体験なのではないだろうか。朝帰りをした経験のある方なら、「残ってる」感じや、なんとなく昨日に引きずられる感覚、身に覚えがあると思う。フィクションのなかに、ノンフィクションを封じ込める吉澤嘉代子。その並外れたストーリーテリングには、目を見張るものがある。
彼女独自の世界観は、唯一無二
余談だが、私のなかでどうしても、この曲はアダルトなイメージがある。それは、歌詞が純愛というよりも、どちらかというと身体の関係を思い出させてしまうから。Youtubeのコメント欄にも、不倫をしていたり、肉体関係だけを持った人が、この曲に共感しているコメントがいくつかある。清純な椎名林檎とも言われる吉澤だが、似ていたのは「地獄タクシー」の頃の歌い方ぐらいで、彼女独自の世界観は、唯一無二だ。物語を描いて歌う人、吉澤嘉代子。今後の活躍がますます楽しみな歌手である。
【動画】地獄タクシーの唯一無二の世界観
TEXT:毛布