椎名林檎の代表曲「歌舞伎町の女王」とはどんな曲?
『歌舞伎町の女王』は、椎名林檎が1998年9月に発売した2枚目のシングルカット曲です。一説には彼女が19才の時にたった30分で作り上げたともいわれています。独特な世界観を持つ歌詞に、シンプルなコード進行が見事にマッチしており、一度聴いただけですぐに口づさんでしまうくらいの仕上がりです。
ドラムスを椎名林檎自身が叩いているところも注目すべき点で、これは、曲の完成時にドラムを叩く女の子のイメージが頭の中を過ったためです。
「歌舞伎町の女王」は椎名林檎の体験談ではなかった!
歌詞の内容は、彼女自身の体験談ではありません。よって、歌詞の中に登場する「あたし」や「母」はまったく架空の存在となりますので安心してくださいね♪
なお、この、歌詞がフィクションという部分は、椎名林檎の数ある曲の中では珍しい曲といえます。
シンプルなストーリーの歌詞である「歌舞伎町の女王」
歌詞のストーリーも非常にシンプルです。主人公が過去の自分を思い出すくだりから始まり、現在、歌舞伎町の女王となっている自分はいかにしてその地位を掴むまでに至ったのかを綴っています。
出てくる言葉も強烈な表現のオンパレードです。
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蝉の声を聴く度に
目に浮かぶ九十九里浜
皺々の祖母の手を離れ
一人で訪れた歓楽街
≪歌舞伎町の女王 歌詞より抜粋≫
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主人公は、夏の季節におばあちゃんの元を離れて一人で新宿に向かったのでしょう。
「皺々の祖母の手」という表現がなんとも言えずに見事です。
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誰しもが手を伸べて
子供ながらに
魅せられた歓楽街
≪歌舞伎町の女王 歌詞より抜粋≫
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「女王」の娘という立場で歓楽街に魅せられて育つ少女の描写が見事に表現されています。
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十五になったあたしを
置いて女王は消えた
毎週金曜日に来てた
男と暮らすのだろう
≪歌舞伎町の女王 歌詞より抜粋≫
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人間を表す表現が見事ですね。もはやお母さんではなく「女王」でしかありません。
相手の男性も「毎週金曜日に来てた男」、つまり客でしかないのです。
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消えて行った女を
憎めど夏は今
女王と云う肩書きを
誇らしげに掲げる
≪歌舞伎町の女王 歌詞より抜粋≫
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この「憎めど夏は今」が、曲の歌い出の「蝉の声を聞く度に」と同じ季節としてつながる部分です。夏という季節が、母を求めて九十九里浜を飛び出した自分を思い出しているシーンを見事に連想させてくれます。
椎名林檎らしい表現です。
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女に成ったあたしが
売るのは自分だけで
同情を欲した時に
全てを失うだろう
≪歌舞伎町の女王 歌詞より抜粋≫
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こんなにストレートでインパクトのある歌詞は見たことがありません。
一度聴いたら耳から離れないキーワードだらけで見事です。
「歌舞伎町の女王」/椎名林檎の歌詞の世界観
『歌舞伎町の女王』のおおまかなストーリーは以下の解釈としました。農村で生まれた女の子。
ママは自分を置いて行ってしまった。
おばあちゃんと漁村で暮らしていたが、1人で新宿の歌舞伎町までママに会いに出てきた。
ママはこの町の女王様だった。
そこで魅せられた大人の世界…。
そして、私が十五才になったとき、ママは消えた。
これからは私ひとりで自分を売って生きていく。
新宿駅東口の歌舞伎町は私の庭。
そして、今夜から、私がこの町の女王…。
歌舞伎町で働く女性、おそらくホステスであろう水商売の女性を赤裸々に語った歌です。どこかに昭和のレトロ感がにじみ出ており、それがこの曲に登場する「歌舞伎町」という町をさらに引き立てます。
強烈なインパクトの「歌舞伎町の女王」のストレートな歌詞を楽しもう!
新宿歌舞伎町という日本一の歓楽街を歌った曲のため「なんらかの社会的なメッセージが含まれているのでは?」と想像した人もいるかもしれません。しかし、この曲にメッセージ性は一切含まれていません。あまりにもストレートな曲のため、逆に強いインパクトの曲に仕上がっているのです。
この曲を聴き終わると、まるで、風俗嬢を主人公にした映画をまるまる観終わったような、そんな気分になります。
椎名林檎の『歌舞伎町の女王』をまだ聴いていない人は、ぜひこの機会に聴いてみてください。
TEXT 猫あられ