ジブリ映画の前に、完成していた『風立ちぬ』があった
『風立ちぬ』と聞いて思い出すのは、ジブリ映画。飛行機と「生きねば」という縦書きのキャッチコピーで覚えている人も多いだろう。
実在の人物である堀越次郎をモデルに彼の半生を描いた作品は、堀辰雄の同名小説からの着想を盛り込んだ内容で知られている。
この『風立ちぬ』がジブリ映画になる5年前に、同じ小説から楽曲が生まれていることをご存じだろうか?それも、ゲゲゲの鬼太郎から。
「ゲゲゲの鬼太郎 千年呪い歌」はウエンツ瑛士を主演に迎え実写映画化した「ゲゲゲの鬼太郎」の続編である。若い女性の失踪事件と、1000年前に起きた人間と妖怪の許されざる恋を絡めてストーリーは展開されていく。
主要キャストが前作と続投のほか、ヒロインに北乃きい、緒方拳も出演、韓流スターのソ・ジソブも加わり、豪華なメンバーで実現した作品であった。
▲風立ちぬ / PV
そんな映画の主題歌を担当したのは、中村中。彼女は性同一性障害をカミングアウトしており、第58回NHK紅白歌合戦では戸籍上は男性ながら女性歌手として初出場を果たした。女性の穏やかな声音と力強い男性的な声が持ち味で、楽曲ではその歌唱力を存分に発揮している。
PVでは、影絵を合わせたような不思議な世界で風に煽られる髪もそのままに歌い上げ、他を寄せ付けない冷たい美しさで視聴者を魅了した。
風立ちぬ
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見送ってくれなくても 良かったのに
また会えると信じてる 貴方は無邪気な人
明日が来なければいいのになんて 貴方を困らせたりして
わざと子供ぶったりした
私を許して
≪風立ちぬ 歌詞より抜粋≫
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と、いう風に歌詞内容から見る『風立ちぬ』は実にしおらしい女性風味。
「見送ってくれなくて良かったのに」なんて、私だったら言えません。乙女心としては、好きな人にはずっと見ていて欲しいもの。
どうして彼女はそう言うことができるのか、その気持ちををよく表すのが次の歌詞。
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遠ざかる その背中 私の夢と重ねた
まだ寒い 空の下 貴方は振り向かないでいて
≪風立ちぬ 歌詞より抜粋≫
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前を見て進む彼の姿が好きだからこそ、寂しさも我慢できる。
私を顧みなくていい、振り向かず前を向いていて欲しいという一途な気持ちは、彼に惚れ込んでいるからこそ。そんな彼を守りたいという逆告白まであり、ただ守られるだけではない女性の強い一面が伺える。
最初と最後には真逆のイメージを持つ女性が歌われていることになるが、中村中はそこを上手く歌い分けており聴き応えは十分。声音の変化は非常に面白く、彼女の底力を感じることができる。
映画制作サイドから楽曲を依頼された時、テーマは主人公である鬼太郎と作中ヒロイン楓の絆だった。この2人は妖怪と人間、別世界の住人であり、絆を深めても最後には離ればなれになってしまう運命である。
そんな彼らの絆を、中村中は明るいテイストにはせず『風立ちぬ』に込めている。
お互いを支えに生きていく。
「どんな孤独の中にいても生きていかなくてはいけない」
中村中は堀辰雄の小説を読み、この作品をそう解釈し楽曲に同じタイトルを付けた。
いつか離れてしまっても、お互いを支えに生きていく。中村中の描く絆は、そんな逞しいメッセージを伝えているのだ。
TEXT:空屋まひろ