ソロコンサート回数驚きの4364回、日本一のシンガーソングライターのエピソードとは! 今回の人生最高レストランは「精霊流し」で大ヒットしたさだまさしの数々の名曲の裏側を紹介していきたいと思います!
さだまさしのコンサートのエピソード
さだまさしと言えばコンサートでトークの割合が多く、落語のような語り口で多くのファンを魅了する独特の歌手です。
トークライブと言われるほどのコンサートの素晴らしさは、落語の修行で「さだまさしのコンサートに行って勉強してこい」と言われるほど。
さだまさし自身も高校と大学では落語研究会に所属していた経緯を持っているため、話の盛り上げ方、歌のつなぎに入れるなど飽きの来ない構成を作るのが非常にうまいです。
さだまさしは「静かな曲3曲続くと寝る人出てきますから」と語りサバンナ高橋は「そこをトークで目を覚まさせるんですね」と相槌を入れ「そうそう」と同意を得ていました。
しかしコンサートでは歌を聴きに来る人が大半なのにどうしてそうなってしまったのかを今回さだまさしは語ってくれました。
さだまさしは多額の借金をしていた
さだまさしはドキュメンタリー映画「長江」にて28億円もの借金をするに至りました。日本の原風景を探しに行ったと語るさだまさしは明るい顔で語っていましたが、その代償は常人では耐えられないほどの重さです。
あまりのスケールの大きさに高橋も「ブルゾンちえみのフレーズですよ」と笑うしかないような現状でした。
しかし「人の笑顔を見るのが好き」と語るさだまさしは「借金を返すにはコンサートするしかない」と前向きに考えたそうです。
1年間に180本近くコンサートを行ったさだまさしは「毎日のようにやるから声を痛めてファルセットなんか出やしない。本当どうやって責任取ろうと思いました。それでトーク磨きましたよ」と語りました。
「トークでお客さんが笑ってくれると今日は許してくれたって気持ち」と語るさだまさしに徳井は「じゃあ借金が無かったらあのトークは生まれなかった?」と聞くと「するかい! って感じだよね」と笑い話になっていました。
他にも「歌うのもあんまり好きじゃない。他に歌う人がいなかったから仕方なく歌った」と言っているように、元々作曲家として活動したかったような節も見られました。
だからこそ、トークがフルで入っているような特殊なライブビデオが出来上がったのかもしれません。
「精霊流し」名曲誕生の裏側
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去年のあなたの想い出が
テープレコーダーから こぼれています
≪精霊流し 歌詞より抜粋≫
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独特な歌詞回しの多いさだまさしに対して徳井は「ちょっとラップっぽい」と語りさだまさしも「僕もラップだと思います。日本で最初にラップしたのは僕です」と語り『ねこ背のたぬき』という曲を紹介しました。
色んなミュージシャンが集まって悪ふざけしながらノリで出来上がった曲だと語ったさまさしは他にも同じように出来上がった曲を紹介しました。
さだまさしは「俺歌ってて自分の曲飽きるんだけど」とグループの相方の吉田政美にぼやいた所「歌詞覚えやすいからじゃないか。自分でも覚えられないような歌詞書いてみろよ」と言われて出来たのが『精霊流し』だと語りました。
独特の歌詞で覚えづらい歌詞でしたが「音楽教育を受けた人間としては出来るだけ美しくこじつけてでもメロディにしたい」と無理矢理に作り上げたようです。
それでも名曲にしてしまうさだまさしの音楽に対する努力と才能は流石としか言いようがありません。
「北の国から」誕生秘話
さだまさしは原作脚本を手掛けた倉本聰から「札幌コンサートが終わった次の日の予定ある?」と聞かれ、特に予定がなく空いていたため打ち合わせの予定を入れました。
さだまさしが自宅に着くと、いきなりテレビの前に座らされ音楽も何もない状態の北の国からを見せられ感想を求められました。
「先生これ素晴らしい。これ絶対当たるよ」というと「じゃあお前音楽やれ。今作れ」と無茶振りをされるに至りました。高橋はその話を聞くと「そんなん恫喝やん」と笑いながらツッコミを入れました。
「ここでお前の声が欲しいんだ」と倉本に言われ、そのシーンを何度も見せられながらさだまさしは考えました。
イントロも決まっていなかったので相談すると「マイナーじゃねえな」という意見になり、さだまさしは手癖でGのコードを弾き「あ~あ~」と歌いました。
そうすると「それだよ! まさし」と大絶賛。
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アーア アアアア アーアー
アアー アアアア アー
≪北の国から 歌詞より抜粋≫
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思考錯誤の末ではなく1発で出来上がったそのイントロ部分は「明るくて良いよ!」と褒められ、何度も何度もやりながらどんどん形になっていったそうです。
歌詞をどうするか聞かれた時にさだまさしと倉本は「言葉が無くても良い」という結論になりましたが、倉本は「フジテレビがよぉ、歌詞付けてヒット曲にしてくれって言ってんだよ」と言いました。
しかし歌詞は無いほうが良いと2人とも思っていたのでさだまさしは「先生、フジテレビの圧力に屈するなよ」と言い、倉本は「お前ヒット曲の誘惑に負けるなよ」と息の合った掛け合いをしていたそうです。
借金の始まった時期だったそうですが「歌詞があったらここまで歌われなかったと思う」と語り後悔はなさそうでした。
まとめ
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ねこ背のたぬきがね
………。
おこぜのサシミをね
≪ねこ背のたぬき 歌詞より抜粋≫
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さだまさしの名曲秘話いかがでしたでしょうか。
有名であり凄い人物であることは知っていましたが、名曲がこんな風に出来たというのは知らなかった人は多かったと思います。
「北の国から」だけでなく「精霊流し」そして日本初ラップである「ねこ背のたぬき」などいろいろな裏話を披露してくれました。
セルフカバーアルバムなどまだまだ活動もしているさだまさし。これからの活躍にも期待です。
TEXT こがさいし