愛への情熱と、自己保身との葛藤
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あなたの4分の3まででもいいから知りたい
失敗するよりさよならするほうが私は苦手
家庭訪問 今日は大丈夫 話をしたい
似ているようで似てないね ぼくたち
だから抱き合って
≪ゆくえ 歌詞より抜粋≫
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好きな人のことを知りたい。恋をしている人間のこの願望は、おそらく普遍的なものだと思う。
しかし知るということは、とても恐ろしいことである。知ることによって相手をより好きになることもあれば、かえって嫌いになってしまうこともある。
それは相手にも言えることで、知られたことで生じる問題がないとも限らない。それらの危険性を考慮してもなお、相手を知りたいという欲求は抑えられないものだ。
家というのはその人自身を表すと言われる。家にあるもの、家具の配置、雰囲気。目に見えるもの全てを情報として捉えることができる。
好きな人の家に行くというのは、簡単そうで簡単でない。好きな人に対して少しでも歪んだ心を持っていれば、見える世界全てを悪い方向に捉える可能性がある。その中で家に行くのは、強い覚悟が必要だ。知らないことを知ってしまう不安に駆られながらも、話をせずにはいられない。
愛しているが故の情動による衝動。幸か不幸か分からない不安定な感情が滲み出ているこの数行に胸が締め付けられる。
愛していても秘密はある
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愛する人へも 秘密はあるだろう
抱き合う服の皺がぶつかる交差点が
すてきだよ 違うことを考えて
≪ゆくえ 歌詞より抜粋≫
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愛する相手に知られたくない秘密もあれば、相手が隠している秘密もきっとあるだろう。完全に知ることはできないと心に保険をかけてもなお、知らないという不安が押し寄せてくる。
けれど、愛する人の温もりを感じられる瞬間だけは安心できる。愛しているという想いで繋がっている。
しかし、温もりを感じている時でも、お互い何を考えているかなんて分からないだろう。
服の皺を数えているなんて、相手は思うはずがないだろう。本当は同じことを考えていてほしいけれど。
離れているときは相手を求め、近くにいる時は相手以外の物事を求める。近くにいたい想いと、相手に依存したくないという想いが交錯する。愛しているという想いの中で燻る、相手に関する無知という疑念や不安。相手を愛していたいと思う情熱が強すぎる故の、諦めにも似た自己保身。
対極にある2つの感情の中で生きる、不安定な生活の『ゆくえ』を模索しているさまを、見事に言葉で紡いでいる。
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のびのびしたい 都会の真ん中
ほんとうはしたい 街中口づけ
ぼくたち動物なんのために
生きるかなんて 今日決める
≪ゆくえ 歌詞より抜粋≫
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恋は盲目としばしば言われる。それはいいことなのか、悪いことなのかは分からない。
人は歳を重ね大人になるにつれ、物事は多角的に捉えることが多くなる。それは恋に関しても同じで、好きという感情だけで動くことは難しい。将来、『ゆくえ』をどうしても考えてしまうからだ。
恋をしながら生きる、一人の生きざまとしての『ゆくえ』
人間は動物だ。好きな人のことだけ考えて、生きるために食べて寝るだけでいいではないか。
このような思いがある中でも、逃れられない社会性を持った人間としての性。恋を通した一人の人間としての葛藤が、カネコアヤノの歌声をもって心に重く響いてくる。
『ゆくえ』はどうなるか分からない、不安定要素ばかりの恐ろしいものだ。自分がどうなるかなんて分からない。生きていけるかも分からない。
不安は生きていくうえで常につきまとい、感情を不安定にする。けれどこの『ゆくえ』という楽曲では、この不安定なものを肯定的に捉えて言葉が紡がれているように感じる。不安定さを楽しむこと、それが『ゆくえ』を案じる上で大切なことである。
不安定な人生を生きる人々に、共感だけではない、大切なことに気づかせてくれるという希望を、魅力的な歌声にのせて感じさせてくれる力、それがカネコアヤノの魅力なのだと思う。
それは2014年にデビューしてまだそれほど日が経っていない中で、不安定ながら刺激的な毎日を送っている彼女自身だからこそ出せる魅力であるとも思う。これから先の人生で、どのように楽曲が変わっていくのか、おそらく誰にも分からない。
その不安定さが、多くの人が、カネコアヤノの楽曲、そしてカネコアヤノ自身の虜になってしまう一つの要因であると思う。
TEXT 夕樹