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DAOKO×米津玄師が歌う、淡い夏の思い出「打上花火」の歌詞世界

すっかり日本の夏の定番曲の一つとなったDAOKO×米津玄師の『打上花火』。誰の心にもノスタルジックで甘酸っぱい情景を映してくれるその歌詞の意味を、改めて見ていきたい。
“夏といえばこの曲!”という方も多いのではないだろうか。アニメ映画『打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?』の主題歌として知られる『打上花火』。2017年の発表から、今に至るまで継続して人気を誇る名曲だ。

 シンプルで分かりやすい言葉ながらも、非常に繊細な描写で表現されているこの曲。心のアルバムのページをめくっていくような歌詞には、どんな感情が込められているのだろうか。

夏の花火は限られた時間の象徴





“このまま時間が止まれば良いのになぁ”と、一瞬でも考えたことの無い人は、おそらくいないだろう。

大切な誰かと共にいた浜辺だろうか。その情景は、今もはっきりと思い出せるほど記憶に刻まれている。しかし、それは夕焼けからあっという間に日が落ちていくような、ほんの短い時間だ。

波にさらわれた「何か」が一体何であるのか、この頃の自分は分かっていない。



記憶のアルバムの次のページを飾るのは、花火。その景色が目の前にあった当時は、その永遠を願っていた。

もちろん、そんな事が叶うわけがない。それでも、純粋に側に居たかった。同じ時間を可能な限り共有したかった。

そんな刹那の感情の代名詞が「夏」の「花火」なのだろう。

時の流れは止められない





なんとなく純粋に側にいることだけを望んでいた彼らも、ほんのわずかな間に少しずつ成長していることを感じさせる。

時間は止められないし、本来なら戻ることは出来ない。そんな中残された時間、自分が相手に何をしてあげられるかを必死に考える。

向き合いたくない現実と、何とか向き合おうとする二人の姿が目に浮かぶのだ。

映画の中で何度も時を遡り「もしも」という展開を繰り返す中で、少しずつ、少しだけ男らしくなっていく主人公・典道の姿を象徴するフレーズにも思える。

望まない形でも、未来はやってくる



そんな淡い思い出も、今ではもう記憶のアルバムの中。もしかしたらそれも失われてしまう時が来るのかもしれない。



記憶の上塗りの繰り返しで、どんどん薄れていく光。それでも、ふとしたことでそれは心に甦り、何度でも輝く。

今でこそ現実を受け入れ、未来を見つめることができる。しかし、あの頃の自分にも確かに未来はあった。手を伸ばせば届きそうなところにあったのに、あの頃はそうしようとしなかったのだ。

永遠に止まって欲しかった瞬間がある。しかし、過ぎ行く時を受け入れて手に入れた未来=今がある。

一夏のように、花火のように、短く淡い思い出。あなたが思い浮かべたそれはどんな記憶だろうか。

この曲を聴きながら、たまにゆっくり思い出してあげると良いだろう。そうすることで、それは心の片隅にずっと光輝くことができるかもしれない。

▲DAOKO × 米津玄師『打上花火』MUSIC VIDEO

TEXT 島田たま子

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