彼らが走り抜けた平成は、彼らの青春でもあった。数々の名曲のなかから、今回は名盤「pure soul」に収録された『May Fair』をご紹介したい。
“GLAY時代”を象徴するアルバム
『May Fair』が収録されている「pure soul」は、1998年7月29日にリリースされたGLAYのメジャー4作目にあたるオリジナルアルバムである。
1998年といえば、まさにGLAYの人気絶頂期にあたる。
前年にリリースした「口唇」「HOWEVER」の大ヒットに続き、同年4月には「誘惑/SOUL LOVE」をリリース。
翌99年には「GLAY EXPO '99 SURVIVAL」で音楽史上最大の20万人を動員。まさに、世はGLAYの時代を迎えていた。
当時を知る者で、ここに挙げた楽曲を口ずさめない者はいない。いるはずがない。
そんな時代に放たれたアルバム「pure soul」は一般層にも知名度が高く、多くの人々から愛された名盤だ。
いや、もはや当時のGLAYには「一般層」などいなかったかもしれない。それほど、誰もがGLAYに熱狂していた。
それらは決して過去の話ではない。今なおGLAYは輝き続け、チャレンジャーであり続けている。
TAKUROの描く青春
GLAYの楽曲には、青春の岐路が多く描かれている。『May Fair』も同じく、旅立ちの曲だ。
輝いていた日々に馳せる想いと、ほんの少しの後悔。若き日の自分と想い人、旅立ちを決めたあの日のこと…目を細めて懐かしむような、優しさと切なさが交差する楽曲だ。
----------------青春とは、心のシャッターを切り続ける日々なのかもしれない。二度と訪れない「今」を忘れないよう、無意識に心の奥に焼き付ける日々。
心踊らせては
駆けだす君を見てた
額の汗が落ちる
その僅かな時
幼い恋心 痛んで・・・
≪May Fair 歌詞より抜粋≫
----------------
だからこそ色褪せない記憶となり、鮮明に思い出せる「瞬間」がある。TAKUROの書く詞はそういう「瞬間」を切り取った歌詞だ。
巧みな情景描写と、対象への想い。まるでカラー写真を見るかのように、歌詞の世界がありありと目に浮かぶ。
投げやりともとれる表現が深い
----------------「虹色の明日なんてもの」「愛も夢も希望とやら」。投げやりともとれる歌詞が印象的だ。
誰よりも僕らは
この胸に映した
虹色の明日なんてものを
信じてた
記憶を辿る岐路に
あの日の空
君と太陽を
近くに感じていた
≪May Fair 歌詞より抜粋≫
----------------
過去の自分の幼さ、信じていたもののもろさ、大人になるにつれ知っていく現実、そういった「リアル」への嘆きのようにも感じる。
なんだってできると思っていた、永遠はあると信じていた、そんな自分を皮肉るような、けれど愛おしむような秀逸な表現だ。
「片道のチケット」が示す恋の結末
----------------『MAY FAIR』の切なさを際立たせるキーワード、それは「片道のチケット」だ。
新しい旅立ち
住みなれた街並
きっと大丈夫
愛も夢も希望とやらも
ポケットにつめ込んで
・・・そして
片道のチケットを
握りしめた
≪May Fair 歌詞より抜粋≫
----------------
距離とはつまり恋の終わりだと心のどこかで感じながら、住み慣れた街並に別れを告げ、夢を追って上京する。
「きっと大丈夫」と言い聞かせるように、不安や迷いなど打ち消すように、チケットを握りしめる。
そんなストーリーを想像させる。
叶わなかった恋
----------------彼は戻らなかったのだろう。
今では仕事帰りの
車窓の向こうに
佇む 遠き夢よ・・・
住みなれた街並
行く先は違うけど
きっと大丈夫
≪May Fair 歌詞より抜粋≫
----------------
きっと終わってしまうことがわかっていた恋と、愛と、夢と、希望。未来へと持ってゆくものすべてをポケットに詰め込んで、大切な思い出を置いてきたあの街。
大人になった彼の瞳には、どのように映るのだろう。
----------------叶わなかった恋ほど、色褪せないものはない。けれどこんなふうに、優しく切なく思い出せる恋ならば…
誰よりも僕らは
誰よりも切なく
恋愛の真似だってきっと
理解っていた
それでも心なぞる
5月の風
涙流れても優しくて
≪May Fair 歌詞より抜粋≫
----------------
たとえ叶わなくとも、これもひとつのハッピーエンドの形なのだろう。
そんなふうに思う。
TEXT シンアキコ