ゲス乙女を“もう一度”の意味とは?
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キラーボールをもう一度
もう懐かしくならないように
湯掻いた魂でもう一度だけ
どこまでも行けるような歌を
≪キラーボールをもう一度 歌詞より抜粋≫
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「キラーボール」という、聴き覚えのあるキラーフレーズがリスナーの耳を捉えるこの曲は、ゲスの極み乙女。が2019年12月3日に配信リリースした『キラーボールをもう一度』。
この楽曲を配信シングルとしてリリースした当日に、東京・国際フォーラムホールAにてワンマンライブ『変人大集合』を開催した。
さらに、そこで2020年4月にニューアルバム『ストリーミング、CD、レコード』を発売することを発表。
アルバムの発売を記念してワンマンツアー『ゲスの極み乙女。をもう一度』を開催することも発表した。
ゲスの極み乙女。は、2013年にミニアルバム『踊れないなら、ゲスになってしまえよ』をリリース。
同アルバムの一曲目に収録されている『キラーボール』はTBS系の音楽番組「COUNT DOWN TV」の12月度エンディングテーマとして採用されたことでも話題になった。
『踊れないなら、ゲスになってしまえよ』を皮切りに、ゲスの極み乙女。というバンドは日本の音楽業界を席巻していくことになる。
2012年にバンドを結成したゲスの極み乙女。は、現在に至るまで様々な楽曲を発表し、多くのリスナーの心を震わせてきた。
またゲスの極み乙女。のメンバーはこれまで、バンドの枠を超え、一人一人が精力的に音楽活動に留まらず多方面で様々な活動を行ってきた。
そんな彼らが、『ゲスの極み乙女。をもう一度』というフレーズを引っ提げて、『キラーボールをもう一度』を歌う意味とは何なのか。その歌詞を掘り下げ、考察していく。
“もう一度”踊りたい音楽を
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遠回りして息切れしそうなミュージック
早まりそうで早まらない人生
ふとした瞬間スローでダイジェストになった
錆びついて
≪キラーボールをもう一度 歌詞より抜粋≫
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私達は現代を生きる中で、世の中に溢れるほど存在する情報に溺れながら生活している。
日々、スマートフォンの画面から新しい情報が次々と私達の目に飛び込んでくる。
そんな飽和状態の世界で、ふとした瞬間に虚無感に襲われることがないだろうか?
その虚無感に気が付いたとき、一瞬立ち止まると次の瞬間には時代の流れに取り残されてしまう。
自分の中を流れる時間が、世界に取り残されていく感覚をこの曲では「錆び付いて」と表現しているのだ。
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安い女
だから
たわむことなかれと
優しいリリック
身近なロック
全て狙い目
全て撃たれた
≪キラーボールをもう一度 歌詞より抜粋≫
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早すぎる時代の流れは、現代日本の音楽業界にも共通して言えないだろうか。「優しいリリック」を紡ぐ音楽は、以前よりも格段に「身近」に聴けるようになった。
毎日多くの楽曲が発表され、ストリーミングという形で一瞬にして消費されていく。
しかし、十数年前の私達はどうだっただろう。
CDを購入し、ワクワクしながら開封して、歌詞カードを見ながら心待ちにしていた音楽を聴いてはいなかっただろうか。
もちろん現代の楽しみ方が間違っているわけではない。
しかし、まだ記憶の中に残っている心踊る楽しみ方をもう一度、とノスタルジーを感じる当時の聴き方、踊り方に夢を見てしまう。
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こんなんじゃダメって
2000時間前から思ってた
自覚を持って傷付いてみないと
踊れないぜ
昔の様な無防備じゃ軽過ぎて
≪キラーボールをもう一度 歌詞より抜粋≫
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そんな時代の中で楽曲を作るアーティスト達の心持ちや意識も、もしかしたら変化してきたのかもしれない。
楽曲が短期間で大量に消費される世の中で、できるだけ多くの楽曲を短いスパンで発表し続けるアーティストに、分かりやすく価値を見出してしまうことは容易に想像がつく。
しかし、その世の中で「優しいリリック」でも「身近なロック」でもない音楽をもう一度放ちたい、と考えているアーティストももしかしたら存在するのかもしれない。
快進撃の狼煙は「キラーボールをもう一度」
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キラーボールでもう一度
騒がしい日々と手を取り合って
暮らした音には唯一の感謝と
踊り方変える許しを
≪キラーボールをもう一度 歌詞より抜粋≫
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『キラーボール』という楽曲をきっかけに音楽業界を席巻してきたゲスの極み乙女。が、これまでの音楽とこれまでの活動を背負った上で、新しいフェーズに立ち新しい音楽を奏でていく。
『キラーボールをもう一度』の歌詞からは、そんな決意めいたメッセージが感じられる。
『ゲスの極み乙女。をもう一度』というツアータイトルもそんな意図か込められているのではないだろうか。
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愛愛愛愛愛されながら
ランランランと踊りましょう
愛愛愛愛愛されたなら
間違えてはないってことだから
≪キラーボールをもう一度 歌詞より抜粋≫
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『キラーボール』の歌詞から引用してくる形で、『キラーボールをもう一度』の最後に紡がれるこの歌詞は、『キラーボール』とは違った意味で聴くことができるだろう。
愛されてきたこれまでの楽曲を否定して変化していくのではなく、愛されてきたこれまでを「間違えてはない」と言い切って未来へ進んでいく。
ゲスの極み乙女。の快進撃の序章を告げる『キラーボールをもう一度』には、そんなメッセージが込められているのだろう。
『ゲスの極み乙女。をもう一度』と銘打って始まる彼らの猛追に、一瞬たりとも目を離すことができない未来が、きっとすぐそこまで来ている。
TEXT DĀ