圧倒的なディテールで描く情景
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新宿駅の西陽差すホーム
ひとり白線の内側 立っていた
足元のスニーカー 白に重ねた汚れと
視界の脇でふわり揺れた 耳飾り
一瞬なにか思い出したような気がしたが
通過列車が遮った
≪葵橋 歌詞より抜粋≫
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こんな一節で始まるのが、2020年5月に発売されたシンガーソングライター・さユりのニューシングル『葵橋』です。
都会を生きる現代人の心境を鋭く描いた作品を多く発表している彼女。
今回の作品も「新宿駅」という都会を象徴するようなキーワードから幕を開けます。
「新宿駅」「西陽」といったキーワードから聴き手に想起させるのは、オレンジの色彩がプラットホームを包むようなちょっぴり早めの仕事帰りの時間帯。
歌詞の主人公である「僕」も一人で列車を待っています。
疲れが体に溜まっているのでしょうか、ややボーッとした状態で目に入ってきたのは「スニーカー」と「耳飾り」。
横目にちらっと入ったその情報だけでも、「僕」は何かを思い出したようです。
まるで差し込む西陽のようにぼんやりとしたその気づきを、やがて通過する列車の音がかき消します。
その様子は、まさに日々を生き抜く現代人の姿。
多くの人の心に鮮明なイメージを描くような情景描写のうまさが光ります。
思いを伝えられない「僕」
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君を待っていた バイト終わり
言えなかった話しがある
そして繰り返した 同じ挨拶を
≪葵橋 歌詞より抜粋≫
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続く一節では、より細かい主人公の思いが綴られます。
歌詞からバイトをしていることがわかる「僕」。
サラリーマンなどのいわゆる社会人ではなく、学生を主人公にしているのでしょうか。
そして登場する「君」の存在が、「僕」にとってかなり大きいものであることがわかります。
おそらく「君」に密かに思いを寄せている「僕」。
思い切った言葉がどうしても口を出ずに、いつも通りの会話をしてしまったことを頭の中で繰り返し後悔しています。
先ほどまで描かれていた「ぼーっとした」ような感情は、おそらくこのエピソードが要因となっているのかもしれません。
誰しもがきっと経験のある「思いを伝えられない」もどかしさ。
そんな普遍的な感情を美しいメロディに載せて歌い上げることによって、ひとつの情緒的な物語に仕上げています。
流れゆく季節にしがみつき、生き抜く
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僕らは季節を耕し続ける
赤、青、どれほど綺麗だったのでしょう?
僕らは季節を耕し続ける
この旅の果てに何を見るのでしょう?
≪葵橋 歌詞より抜粋≫
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続く歌詞では、移ろいゆく季節に思いを馳せる主人公の心情が鮮やかに描かれます。
「季節を耕す」という表現は非常に秀逸ですね。
流れゆく時間の流れを一歩ずつ前に進みながら、様々なことを経験して毎日それぞれに違った思い出を「植えて」ゆく。
ただ時間を貪るように過ごすだけではなく、毎日の一瞬一瞬を真剣に生き抜くような一生懸命さが「耕す」という表現から受け取れます。
そうして経験してきた毎日の色彩は、とても鮮やか。
「赤」「青」といった、それぞれ全く異なる色が日々の記憶とともに思い出されます。
そしてその輝かしい毎日をどれほど綺麗だったのかと歌っています。
人生は、まるでひとつの「旅」のようでもあります。
様々な人に出会い、時には助け合う。
時にはたった一人で苦難の道を進まなければいけない時もあるでしょう。
そんな「旅の果て」に何を見るのかは、まだ私たちにはとうていわかりそうもありませんね。
個人的な感情から一気に描写を跳躍させ、人生の雄大さまでもを描いてみせる。
そんな歌詞の力強さに、きっと多くの人が勇気づけられていることでしょう。
TEXT ヨギ イチロウ