”思想犯”に込められた意味とは
公式からの発表によれば、本楽曲タイトルと歌詞の内容は”オマージュである”とされています。つまり、ヨルシカの『思想犯』には元ネタがあるということです。
タイトルと歌詞のオマージュ先は同一のものではありません。
タイトルと歌詞の結びつきを考察する前に、それぞれのオマージュ先とその内容を明らかにしていきましょう。
まずタイトルの『思想犯』とは、イギリスの作家であるジョージ・オーウェルの小説『1984』からの引用です。
『1984』は1948年に執筆され翌年に出版されたディストピア小説です。
全体主義国家によって分割統治された近未来を舞台としており、監視社会の恐怖を描いた当時の世界情勢を危惧する内容となっています。
作品の舞台となる架空の国家”オセアニア”では思想や言語、恋愛などあらゆるものが統制されており、生活は屋内外問わず盗聴され、ほぼすべての行動が監視されています。
この社会には、一般的な警察とは別に”思考警察”という組織が存在し、社会体制や国家の在り方に疑問を抱いている人間は”思想犯”として、どこかへ連れ去られていくのです。
楽曲タイトルである『思想犯』は、この”思想犯”をオマージュしています。
さらに”思想犯”の意味を現代風に噛み砕いて捉えると”多くの人が持たない考え方を持ったり、人とは違った生き方を望むような人”となります。
つまり、これが楽曲タイトル『思想犯』に込められた意味となるのです。
尾崎放哉と「思想犯」の歌詞
次に歌詞がオマージュされた元ネタを確認しましょう。
この楽曲の歌詞は、大正時代の俳人である尾崎放哉の俳句と彼の人生をオマージュしています。
安住の日々を求めて、流浪の生活をした彼は”漂泊の俳人”と呼ばれ、自由律俳句の著名な俳人の一人として知られています。
しかし、彼が高い評価を受ける俳人になるまでには険しい道のりがありました。
彼は東京帝国大学を卒業後、エリートとして社会に出ますが、人間関係や自身の酒癖の悪さに悩み、職を転々とします。
会社に適応出来ず、妻に離婚され、病にも犯され、社会で生きていくことは不可能だと悟った時、彼の中に残ったのは俳句だけでした。
社会から逸脱した深い孤独は彼に苦しみを与えましたが、同時に世を忍ぶ無常感が俳句の才能を冴え渡らせ、俳人として飛躍的に成長するに至りました。
先に書いた”思想犯”を思い出してみると、彼は”思想犯”と言えるのではないでしょうか。
彼は一生を通し多くの人が持たない感情や考えを覚え、人とは違った生き方を選んだ。
つまり、この楽曲は『1984』の”思想犯”をテーマに、尾崎放哉の人生と俳句からインスピレーションを受けた作品ということになります。
では、実際に『思想犯』の歌詞を見ていきましょう。
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他人に優しいあんたにこの心がわかるものか
人を呪うのが心地良い、だから詩を書いていた
朝の報道ニュースにいつか載ることが夢だった
その為に包丁を研いでる
≪思想犯 歌詞より抜粋≫
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『思想犯』はなんとも不穏な歌詞から始まります。
「詩を書いていた」からわかるように、彼の人生をオマージュし、現代版にアップデートしたものでしょう。
ただし「人を呪うのが心地良い」とありますが、彼が実際にこのような物騒なことを考えていたわけではなく、刺激的な人物像を作り上げた結果の歌詞だと思われます。
「包丁を研いでる」という歌詞は彼の俳句からの引用ですが、その意味は大きく異なります。
この歌詞の文脈から考えると「包丁を研いでる」とは、ニュースで報道されるような暗い事件の準備を示唆しているように見えます。
対して、彼の俳句には危うい意味はありません。
『層雲雑吟』と題された未発表句稿集の6番目に当たる句稿の「木槿(ムクゲ)の葉のかげで包丁といでいる」からの引用です。
彼がどんな気持ちをこの句に込めたのかは不明ですが、この一節は日常の風景として描かれているので、歌詞中のような意味ではないでしょう。
このことから『思想犯』の歌詞は、彼の俳句を引用はしているものの、句の意味はあまり捉えずに字面だけを借りているようです。
そこに”思想犯”としての自己解釈的”尾崎放哉”を憑依させたものと考えられます。
美しい無常感が与える独自性
『思想犯』の歌詞は、尾崎放哉の生涯を独自の視点で解釈したものであり、実際の彼とはズレがあると書きました。しかし、彼の俳句に込められた美しい”無常感”は、そのまま反映されているようです。
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硝子を叩きつける音、何かの紙を破くこと、さよならの後の夕陽が美しいって、君だってわかるだろ
≪思想犯 歌詞より抜粋≫
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「さよならの後の夕陽」が、美しいのはわかりやすいですが「硝子を叩きつける音」「何かの紙を破くこと」これらを美しいと感じることはないですよね。
このように、普通に生活をしていた場合には得られない感受性は、彼の俳句が持つ視点と近しいものを感じます。
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烏の歌に茜
この孤独も今音に変わる
面影に差した日暮れ
爪先立つ、雲が焼ける、さよならが口を滑る
≪思想犯 歌詞より抜粋≫
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サビの歌詞にも”尾崎放哉観”は反映されています。
「烏の歌に茜、この孤独も今音に変わる」
完全な孤独を経験したからこそ、聞こえる音がある。
そう言っているように思える歌詞です。
これに続く詞も、孤独を経験し得た感受性を発揮したような表現ですね。
このように『思想犯』の歌詞には美しい独自性を感じます。
その独自性は、社会から逸脱した”尾崎放哉”をオマージュしたものであり、テーマはジョージ・オーウェルが描く『1984』における”思想犯”から着想を得ています。
この二つを結びつけたオマージュは秀逸であり、両者が持つ特性を見事に昇華させていると言えるでしょう。
これらを踏まえた上で、ヨルシカ『思想犯』を”思想”を張り巡らせながら聴いてみてはいかがでしょうか。
この楽曲のMVは、普通ではあり得ないほど横長のアスペクト比で描かれています。
歌詞と同様に独自性を持ったMVは、感受性を刺激してくれることでしょう。
TEXT 富本A吉