まるで「芥」のような生活を送る主人公
シンガーソングライター『キタニタツヤ』の名で活躍中のボカロP『こんにちは谷田さん』。
『芥の部屋は錆色に沈む』は、そんな彼の初のボカロ殿堂入り楽曲です。
後にセルフカバーも公開され、シンガーとしての注目を浴びるきっかけにもなりました。
自らの感情を押し出して「自分のための曲」として楽曲を制作する面があるという『こんにちは谷田さん』。
はたして、この楽曲にどのような思いが込められているのでしょうか。
始まりの歌詞から見ていきましょう。
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どうしてこんなに、僕の生活は
朝にだって昼にだって夜にだって理不尽に苛まれ
どうにもできない、散らかった部屋の隅で泥水を口に含んでも
≪芥の部屋は錆色に沈む 歌詞より抜粋≫
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どうやら主人公の生活環境はとても酷いもののようです。「泥水を口に含む」という表現からも読み取ることができます。
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「誰が僕を救ってくれるの?」
背後に張り付く視線は、
「彼の目がこちらを見ている」
タバコの煙で顔を隠したって、その視線が僕を貫いて
飽き飽きしてんだ 薄汚れたこの生活から救ってくれ
≪芥の部屋は錆色に沈む 歌詞より抜粋≫
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続く歌詞では主人公自身がこの生活を「薄汚れた」と表現しています。
この生活の酷さを自分でもわかっているようです。
その為か「救ってくれ」と他人に助けを求めるさまも歌われています。
ゴミ、ちり、と言った意味をもつ「芥」のような、汚い生活をしている人物が、この楽曲の主人公のようです。
薄汚れた生活から主人公が抜け出せない理由
2番の歌詞でも主人公の心境が歌われています。----------------
「彼が僕を救ってくれるの?」
紫の煙が泳いで
「もうそろそろ終わらせてくれないか」
目の前が白く染まるのを待っている
少しずつ明日が近づいて、
この生活から抜け出せずに不安の種を芽吹かせている
≪芥の部屋は錆色に沈む 歌詞より抜粋≫
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抜け出せない生活に不安を覚え始めている主人公。
ただ時が過ぎるのを待っているさまが、歌詞から読み取れます。
なぜ主人公はこの生活から抜け出す事ができずにいるのでしょうか。
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このどうしようもない日々の傷口から溢れ出した灰色の夢
これが何者にもなれない僕らが見ている未来
≪芥の部屋は錆色に沈む 歌詞より抜粋≫
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「どうしようもない日々」というのは、主人公自身の現状。
その「傷口」というのは、生活の苦しさを指しているのかもしれません。
そんな中で見る「灰色の夢」。
これは次のフレーズの「未来」に繋がる言葉だと思われます。
「何者にもなれない」と歌うさまからも、主人公が何者かになりたがっていた可能性が想像できます。
もしかしたら主人公には何か叶えたい夢があり、その夢に囚われ過ぎた結果、今のような生活を送る羽目になっているのかもしれません。
さらに灰色というのは、タイトルの「錆色」にも関連する言葉になります。
錆色と言われると赤茶色の鉄錆を思い浮かべるかもしれませんが、実際の錆色というのは「本来の色合いを灰みにくすませた色」の事を形用するそうです。
また灰色の夢占いは「停滞・不安」を意味します。
このことから「灰色の夢」とは、停滞した主人公の夢、すなわちそれに捉われ続けた生活を送る主人公自身の事を指していると考えられます。
歌詞に隠されたある男の姿
これらを踏まえた上で、この楽曲にはある男の姿が浮かび上がってくるのをご存知ですか。
その男というのが太宰治です。
この楽曲の中には彼に関連すると思われる歌詞がいくつか歌われています。
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斜陽さす小さな窓、206号室で途方に暮れている
街が錆びついていく、子供の声が遠くに聞こえた
ここに生まれてしまったこと、醜い姿に育ったことを、書き遺しておく
≪芥の部屋は錆色に沈む 歌詞より抜粋≫
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冒頭の歌詞は太宰治の中編小説『斜陽』、後半の歌詞は誰しもが一度は耳にしたことがある『人間失格』が連想できる内容になっています。
さらに太宰治は芥川龍之介に憧れていたという話も有名です。
とすると、憧れの芥川賞を受賞する夢を捨てきれずに停滞する彼の一生を、この楽曲は歌っているのかもしれません。
憧れに手が届かない苦しみというのは、誰もが一度は味わった事のある苦しみなのではないでしょうか。
先のサビではこのように歌われていました。
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これが何者にもなれない僕らが見ている未来
≪芥の部屋は錆色に沈む 歌詞より抜粋≫
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「僕」ではなく「僕ら」という複数人を指す人称。
これは、彼のような苦しみは決して他人事ではないと訴えかけているようです。
どんな時代のどんな立場の人間であれ、どうしようもない苦しみを抱える可能性があるといったメッセージ性が、詰め込まれているように感じずにはいられません。
TEXT 勝哉エイミカ