話題曲でTHE FIRST TAKE出演、キタニタツヤとは
アーティストの実力を肌で感じることができると評判の「THE FIRST TAKE」をご存知ですか。
ライブ感あふれる一発撮りの演奏をおさめたYouTubeのアカウントで、今話題の人気コンテンツです。
2020年7月、プライベートスタジオにて収録を行う派生企画「THE HOME TAKE」にキタニタツヤが出演。
自身のアルバム『DEMAGOG』に収録のリード曲『ハイドアンドシーク』を披露し、大きな話題となりました。
同年8月現在、YouTubeでの動画再生回数は130万回を突破し、コメント欄では「声が綺麗」「歌詞に中毒性がある」といった高い評価が寄せられています。
勢いをぐんぐんと強め、ファンを増やし続けているキタニタツヤ。
その活動が広く知られるきっかけとなったのは、ネット音楽シーンを中心に一大ムーブメントを起こしたバンド「ヨルシカ」への参加ではないでしょうか。
ベーシストとして参加した彼は、他にも自身の音楽活動と並行して『こんにちは谷田さん』名義のボカロPとしても知られています。
今回は、そんなキタニタツヤの話題曲『ハイドアンドシーク』の歌詞に注目し、紡がれたメッセージを考察します。
今を生きる大切さに気づく
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向こう岸のことやら、くだんないことばかり恐れて
ありもしない正しさの奴隷さ
≪ハイドアンドシーク 歌詞より抜粋≫
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楽曲の幕開けを飾るのは、力強い言葉遣いが印象的なこちらの一節です。
「向こう岸」というキーワードからは、ハードな世界観が描かれたMVの印象も相まって「三途の川」などの死後を暗示したイメージが浮かびますね。
歌詞の主人公は、そういったことに対する恐れを「くだんない」と一蹴します。
加えて、その恐ろしさに右往左往する人に対して「ありもしない正しさの奴隷」と断言しています。
この一節で描かれているのは、主人公の「死生観」ではないでしょうか。
死ぬことを恐れ、慌てふためいて今生きている人生を無駄にしてしまっては、本末転倒。
そんな想いが表れていますね。
また「奴隷」という言葉が表しているのは、おそらく盲目的な信仰心のみを支えに生きている人々のこと。
宗教や信仰は、上手に付き合えば心の大きな支えになってくれるものですが、周りが見えなくなるほどに入れ込んでしまい、我を失ってしまう人も少なくありません。
主人公は、どれが正しい宗教で、どれが間違った宗教といった論争も、決して絶対的な結論に辿り着くことはなく、「正しさ」の基準はないと考えているのでしょう。
あくまで自分の選んだ道に自信を持つことが大事なのだ、というメッセージが、早くも歌詞から浮かび上がってきます。
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チャチな走光性 夏の夜の火に身を焦がして
音も立てずに散って逝く、あの羽虫のように終わりたいんだ
追えば追うほどに逃げてしまう
あの太陽へと近づいて、羽根の溶ける音を聴く
≪ハイドアンドシーク 歌詞より抜粋≫
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「走光性」とは、虫が光に集まる習性のことです。
こちらの一節では、自身が理想とする人生の在り方を「羽虫」に例えています。
なんだかロマンチックな響きをもつ「夏の夜の火」というキーワード。
これは「愛の感情」や「恋のドキドキ」といった、本能的な喜びや楽しみを「羽虫」の本能にうまくマッチさせた表現でしょう。
体が燃え尽きようが、自分の行きたい方へ素直に進んで、一度きりの人生を楽しめればそれこそが幸せだ。
そんな哲学的なまでに深みをもった主人公の人生観が、聴き手の心にも伝わってきますね。
「自意識」にとらわれない生き方
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丸々と肥えた自意識で臆病な僕らが身を隠したって無駄
彼は天井から見ている
すぐに見つかってゲームは終いさ
≪ハイドアンドシーク 歌詞より抜粋≫
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続く一節でも、宗教や哲学といったモチーフを巧みな言葉遣いで演出しています。
「自意識」が肥大化し「臆病」になっている、と自らや周りの人々を指摘する「僕」。
自分を守ろうとする意識ばかりが風船のように膨れ上がり、積極的な攻めの姿勢を失っている姿について語っているのではないでしょうか。
そして同時に、「彼」が天高く自分たちを見下ろしていることにも気づいています。
ここでの「彼」は、神様のように絶対的な力を持つ存在のことでもあり、逃れられない「運命」や「死」といったものの「たとえ」と捉えることもできるでしょう。
凝り固まった考え方や、過度な不安感だけに囚われて機敏に動くことができない人間は「ハイドアンドシーク」。
つまりかくれんぼというゲームに勝つことはできない、と結論づけています。
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逃げ切れなくなって僕ら
騙されていく 騙されていく
≪ハイドアンドシーク 歌詞より抜粋≫
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自分が生み出した意識に縛られて「逃げ切れなく」なってしまった「僕ら」の結末は、「騙されていく」ことだけ。
ここまでの歌詞で、主人公である「僕」が、とにかく自分らしい生き方にこだわって人生のゴールを探していることがわかってきますね。
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見せかけの太陽に皆
喰われちまって 壊れちまって
正しさはもうどこにもないんだ
≪ハイドアンドシーク 歌詞より抜粋≫
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そんな「僕」の願いに反して、周りの人々は「見せかけの太陽」によって人生を狂わされています。
そして「正しさ」がわからなくなってしまった世界でただひとり、その結末を見届けているのです。
この状況は、実際の身の回りの状況にも置き換えることができるでしょう。
「見せかけの太陽」が表しているものといえば、過剰に演出されたコマーシャルやネット上の根も葉もない噂などが挙げられます。
そして大量の情報があまりにも速いスピードで行き交う現代社会において、何が本物で何が偽物かを見分けるのが難しくなってきています。
盲目的に信じて良いものなどどこにもなく、全ての情報は自分で選び取っていかなければならない。
そんな現代社会を強く生き抜くためのルールが、歌詞を通して浮かび上がってきます。
聖書をモチーフに世界を描く
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どうして天の賜った言葉の導くままに歩めないのか?
為す術なく塔は落ちる、んで馬鹿はいつも悲劇を招く
分断され惑うばかり
≪ハイドアンドシーク 歌詞より抜粋≫
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続く一節に登場する「塔」「分断」といったキーワードから、とある神話・寓話を思い浮かべた人も多いのではないでしょうか。
天まで届く塔を建てようとして神の怒りを買い、人々は言語の壁によって分断されてしまった、という聖書のエピソード「バベルの塔」です。
歌詞でも、天の言葉に従うことをしない結果、「塔は落ち」て「分断され」てしまい「悲劇」を招く人々の様子が描かれています。
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孤独な僕らの怯えた眼、白く濁ってたんだ
燃えるピアノ、破られた絵画
四肢を失くした踊り子が喘いでいる
些細な悪意が群がって、蓮のように醜く爛れた国で
息を潜めて
≪ハイドアンドシーク 歌詞より抜粋≫
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そして、現代社会のメタファーともとれる「悲劇」の中を生きる人間たちの様子をこれでもかというほどに恐ろしく、おどろおどろしい言葉遣いで描写していきます。
ここで気になるのは、先ほどまで語られていた内容との関係性。
正しいかわからないものを「見せかけの太陽」と呼び、それを盲目的に信じる人々を批判していた「僕」でしたが、ここでは一転して「天」の存在を肯定するような視点を見せています。
歌詞の冒頭で「何も信じてはいけない」と言っていたようにも見えるので、聖書をモチーフに世界を語る「僕」に違和感を感じるかもしれません。
しかしおそらく「僕」は、人生を通してさまざまな考え方や教えに触れ、その経験を通して「神」の存在を認めるまでにたどり着いたのでしょう。
誰かの受け売りや押し付けではなく、その信仰の裏には自分だけが持つ圧倒的な「実感」があるはずです。
それを象徴するかのように、「天井」から見張っている「彼」の存在も口にしていました。
絶対的な存在への恐怖感や、畏敬の念を「僕」は実際にひしひしと感じていることがわかります。
それを踏まえて「僕」の言葉を読み返してみると「何も信じない」のではなく、「自分の感覚を信じる」という立場で信仰と向き合っているように感じられますね。
さらにいえば「神」という言葉が象徴するのは「生と死」でもあることも、先ほどの歌詞で語られていました。
「死」そのものへの恐怖と死ぬまでに人生を謳歌できるのかという不安。
そういった、信仰に関係なく誰もが感じる気持ちで胸がいっぱいになっている様子を、「神」や神話に置き換えて表現しているとも考えられます。
どう生きるか、を考えさせられる
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僕らの頭上にずっと
生温い視線が向いている
一人として逃げれやしないんだ
≪ハイドアンドシーク 歌詞より抜粋≫
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『ハイドアンドシーク』では、一貫して「絶対的な存在」のもとで「自分らしい生き方」を目指して努力する「僕」の思考が表現されています。
「僕らの頭上」から「視線」が消えることはなく、その力をはねのけることはできないという事実が、言葉を変えてここでも語られていますね。
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顔を上げて鬼と目が合って
慈しみの罰が下るまで
向こう岸のことやら、くだんないことばかり恐れて
孤立していく僕らは何に縋って生きてゆくのだろう?
≪ハイドアンドシーク 歌詞より抜粋≫
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楽曲は、そんな世界に対する迷いを断ち切ることができないまま締め括られます。
そして、さまざまな人生の形があれど結局は「孤立」していく自分たちの姿を目にし、「何に縋って生きてゆく」のかと問うているのです。
その問いは、まさしく聴き手のひとりひとりに投げかけられたものであり、それぞれが自分なりの答えを探さなくてはならないのでしょう。
「どう生きるのか」という、人生を通して立ち向かわなければならない問題を、歌詞を通して気づかせてくれます。
また、一見難しく見える宗教的なキーワードも、結局は誰の人生にも当てはまる普遍的な要素の言い換えにすぎないことにも気づくのではないでしょうか。
「神」や「鬼」は強烈な不安感や恐れを表し、「向こう岸」は死後の世界といった具合に自分の人生と照らし合わせて読み込んでいくことができるのです。
キタニタツヤが伝えたかった、今を生きる全ての人に対するメッセージ。
今回紹介した内容以外にも、個人の様々な解釈をすることができますね。
まさに、人生は人それぞれ。
歌詞の意味をどのように受け取り、噛み砕いて明日に活かすかは、聴き手自身の心に委ねられているのです。
歌詞が紡ぐ想いを受け取ったあなたは、今という時間をどう生きますか。
「生きること」について考えるきっかけを与えてくれる『ハイドアンドシーク』は、あなたにとって人生を彩る一曲になるかもしれませんね。
TEXT ヨギ イチロウ