ファンに愛されるコアな名曲
新藤晴一は、歌の世界観を作り出すことに非常に長けています。
まるで小説を読んでいるかのように、目の前に風景が見えてくるような世界観を創り出してくれます。
独特な言葉選びで、ポルノグラフィティ「らしさ」を作り上げてきた一人でもあります。
そんな彼が手がけた曲の中でも、異色の存在なのが『カルマの坂』。
派手な曲が少ないアルバムの中でもひときわ存在感を出しているのは、曲が持つ圧倒的な世界観のせいでしょう。
イントロから引き込まれ、物語の世界にのめり込んでしまいます。
まるで物語の一部を切り取ったかのようなストーリー性と登場人物の背後に見える景色。
曲が終わった時、一冊の物語を読み終えたような感覚は、他の曲にはない魅力です。
ライブでの演奏回数も決して多くありませんが、ファンに愛される名曲だといえます。
一人きりで生きる少年の覚悟
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ある時代ある場所、乱れた世の片隅
少年は生きるため、盗みを覚えていった。
醜く太った大人達などには
決して追いつけはしない風のように
今、空腹を満たすのがすべて
是も非も超え、ただ走る。
≪カルマの坂 歌詞より抜粋≫
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昔話風の語り口調で始まるのは、ある少年の物語。
今より何十年、何百年前でしょうか。どこの国かも分からないその場所で生きた、一人の少年がいました。
孤独な少年が生き抜く術は、盗みを働くこと。
「醜く太った大人」と対比される少年の身軽さ。
「生きるため」という純粋な理由で罪を犯す子供と、私利私欲のために時に罪を犯す大人との対比にもつながっています。
まるで、大人を揶揄するような表現が、新藤晴一らしいですね。
大人になるほどに純粋さが失われ、知らず知らずに汚れていく心。
少年はまだ心がきれいであるが故に「生きるため」というシンプルな理由で、道を外れていきます。
見捨てられた子供たち
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清らかな、その心は穢れもせず罪を重ねる。
天国も地獄さえも、ここよりマシなら喜んで行こう。
「人は皆平等などと、どこのペテン師のセリフだか知らないけど」
≪カルマの坂 歌詞より抜粋≫
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少年の心は、大人のように醜く汚れることはないまま、罪を重ねます。
そこには、上手く生きようとか、甘い汁を吸いたいなどという邪な気持ちはありません。
ただ、目の前にある現実よりもいい場所なら、そこが天国だろうが地獄だろうが喜んで行く。
それくらい、現実に絶望し、光を見出せずにいるのです。
「人は皆平等などと、どこのペテン師のセリフだか知らないけど」と、平等を謳う人に対する痛烈な批判。
これこそが、少年の目から見た世の中なのです。
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パンを抱いて逃げる途中、すれ違う行列の中の
美しい少女に目を奪われ立ちつくす。
遠い町から売られてきたのだろう。
うつむいてるその瞳には涙が。
金持ちの家を見とどけたあと
叫びながら、ただ走る。
≪カルマの坂 歌詞より抜粋≫
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世の中から見捨てられているのは、少年だけではありません。
2番では、思わず足を止めて見入ってしまうほどの美少女が登場します。
しかし、美しい少女の顔は悲しみに包まれ、向かう先は裕福な家。
貧しいながらも美しい少女が、裕福な家でどんな目に遭うのか。
それを察した少年が叫んだのは、何もできないもどかしさと、世の中への強い恨みだったのではないでしょうか。
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清らかな、その身体に穢れた手が触れているのか。
少年に力はなく、少女には思想を与えられず。
「神様がいるとしたら、なぜ僕らだけ愛してくれないのか」
≪カルマの坂 歌詞より抜粋≫
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少年の心が清らかなまま罪を重ねるように、少女の美しい身体は、汚い大人によって穢されます。
人間皆平等というのも嘘なら、神様がいるのも嘘。
「神様がいるとしたら、なぜ僕らだけ愛してくれないのか」
少年のセリフは、深い絶望や憎しみと共に吐き出されます。
「カルマの坂」が意味するもの
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夕暮れを待って剣を盗んだ。
重たい剣を引きずる姿は、
風と呼ぶには悲しすぎよう
カルマの坂を登る。
≪カルマの坂 歌詞より抜粋≫
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己の欲のままに生きる大人たちに絶望し、自らの手で少女を助け出すことを決意した少年は、今度は食べるためではなく、人を殺めるための剣を盗みます。
しかし、風のように走れる少年も、剣は重くて引き摺ることしかできません。
引き摺る剣の重さは、これから犯そうとしている罪の重さとも重なります。
「カルマ」とは、自分の行いに応じて結果が返っている、因果応報と結びつくものを意味します。
要するに良い行いをすれば良い結果を得られ、悪い行いをすれば、それはいずれ悪い結果として自分に返ってくるという考えです。
「カルマの坂」が因果応報を表しているかは分かりませんが、少年が重たい身体を引き摺って上る坂は、その先に待っている未来が決して明るくないことを暗示しているように思えます。
剣の重みと坂を上る足取りの重みはすべて、少女のために犯す罪の重さではないでしょうか。
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怒りと憎しみの切っ先をはらい、
血で濡らし辿り着いた少女はもう、
こわされた魂で微笑んだ。
最後の一振りを少女に。
≪カルマの坂 歌詞より抜粋≫
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少年が放った怒りと憎しみは、果たして少女を救えたのでしょうか。
現実は残酷で駆けつけた時にはすでに、少女は壊されたあとでした。
彼女の清らかな身体も、美しい心も、醜い大人によって無残に踏みにじられてしまったのです。
壊された少女を救うただ一つ残された道は、彼女を葬り去ること。
少年は、少女の命を奪い、自らも命を絶ったのでしょう。
悲しみよりも空腹という、生に直結する感覚を思い出した少年は、人の死を悼むような正常な心は失っていたのかもしれません。
ただ一つ、痛みだけは麻痺した少年の心にも届いたようです。
少女を守るために人を殺めるという重罪を犯した少年は、自分の命をもって罪を償ったのかもしれません。
「お話は、ここで終わり」という歌詞が、読み聞かせのような雰囲気を漂わせています。
「ある時代ある場所」のお話。結末は、どうなったのでしょうか。
歌詞の中に句読点を多用しているところも、物語風の楽曲によく合っています。
細かいこだわりによって、重厚な物語が成立している『カルマの坂』。
読み終えたあとの感想を、人と共有したくなるような、文学的な楽曲です。
物語を編むような楽曲は他にも存在
このあと、少年がどうなったのか?
物語の続きを知りたくなってしまうようなツァイガルニク効果を与える『カルマの坂』。
一度耳にしただけで虜になってしまうほど、強烈なインパクトを与える楽曲です。
しかし、新藤晴一の作詞曲には他にもパンチの強い楽曲があります。
それは、7枚目のアルバム『ポルノグラフィティ』に収録された『鉄槌』。
冤罪をテーマに描いた、ずっしりとした重量感のある楽曲です。
耳で聴くだけでなく、頭でも考えさせられる、非常に深く、重い歌詞が特徴的。
ポルノグラフィティは、時として社会の闇に光を当てるような楽曲も作り出します。
人間の表ばかりではなく裏側を描き出す鋭い目線。そこれそがポルノグラフィティが持つ独自性なのかもしれません。
彼らが投げかける重たいメッセージを受け取り、自分の頭で考えてみるのもよいのではないでしょうか。
TEXT 岡野ケイ