DA PUMPってどんなアーティスト?
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2018年にリリースした『U.S.A.』の大ヒットによって、16年ぶりのNHK紅白歌合戦出場やさいたまスーパーアリーナでのライブを果たしたDA PUMP。
彼らの魅力は、高い歌唱力とダンスの技術、ヒップホップからしっとりした曲までをカバーする幅広い曲調です。
ボーカルISSAの透き通った高音ボイスは、たとえ踊りながらでもぶれることはありません。
また、他のメンバーはダンスで数々の賞に輝いている超実力派ばかりです。
現在は自身の楽曲だけでなく他のアーティストの演出や振り付けも手がけ、様々な方面で大活躍しています。
名前の由来
「DA PUMP」というグループ名は、英語のスラングからきています。「DA」はもともと黒人英語やアイルランド英語での「the」の発音で、今ではSNSを中心に用いられているスラングです。
そして「PUMP」はカタカナ英語で「ポンプ」。
噴出する、タイヤに空気を入れるといった意味のほか、ポンプの動きから連想して「上下運動する」、「強める」など、スラング的に用いられる単語です。
そこから派生して「jump」の意味も取り入れられ、グループ名は「音楽に乗って飛び跳ねる仲間」を表しています。
DA PUMPのメンバープロフィール
現在は7人で活動しているDA PUMPですが、そのメンバーは年齢も出身地もバラバラで経歴も非常に個性的。しかもダンスの世界大会優勝者や上位入賞者など、実力者揃いなんです。
彼らのことを知れば知るほど、その魅力にハマっていくこと間違いなしですよ。
それでは、DA PUMPメンバーのプロフィールを見ていきましょう。
ISSA
本名 | 邊土名一茶(へんとないっさ) |
生年月日 | 1978年12月9日 |
出身地 | 沖縄県沖縄市 |
メンバーカラー | 赤 |
グループ最年長のISSAは、DA PUMPで唯一デビュー当初から活動していて、メインボーカルとグループリーダーを務めています。
バラエティ番組に出演したり俳優や声優としても活躍しているので、馴染みのある方も多いのではないでしょうか。
ISSAはアイリッシュ系アメリカ人を祖父に持つクォーター。
6人兄弟の長男で、兄弟全員の名前には沖縄の縁起物である「茶」が入っています。
仮面ライダーとお酒が大好きで、几帳面で綺麗好きな一面もあるそうですよ。
2018年に結婚を発表し、今では1児のパパです。
DAICHI
本名 | 加藤大地(かとうだいち) |
生年月日 | 1988年12月4日 |
出身地 | 栃木県 |
メンバーカラー | ピンク |
DAICHIはグループ最年少メンバーでダンスを担当。
ファンの間では天然キャラの末っ子として愛されています。
モデルや俳優を数多く輩出してきた「ジュノン・スーパーボーイ・コンテスト」の決勝まで進んだ端正なルックスの持ち主で、笑顔がとても印象的ですね。
実家はダンススクールで、10歳の時には全米のダンス大会「CO.DANCE COMPETITION」で金賞を受賞。
それから毎年のように全米で1位を獲り続け、ケツメイシの全国ツアーにもダンサーとして参加したことのある素晴らしい実力の持ち主です。
2020年に一般女性と結婚を発表したことも話題になりました。
KENZO
本名 | 中村朋揮(なかむらともき) |
生年月日 | 1985年1月21日 |
出身地 | 福岡県宮若市 |
メンバーカラー | ベージュ |
ダンスの世界大会で8年連続優勝し、国内外合わせて60以上のタイトルを持つKENZO。
世界的なダンサーとして各国の主要都市でパフォーマンスをしながら、振付師や審査員、演出家としても活躍しています。
そして、大人気となったあの有名な『U.S.A.』の振り付けは、彼と次に紹介するTOMOが担当しました。
コロナウイルスによる自粛期間には、オンラインでのダンスレッスンやライブ動画を配信するなど精力的に活動。
本名からかけ離れた名前はブランドの「KENZO」に由来するそうですよ。
TOMO
本名 | 谷口知広(たにぐちともひろ) |
生年月日 | 1981年2月2日 |
出身地 | 愛知県 |
メンバーカラー | 黄色 |
ダンスのみならずラップも担当するTOMOは、DA PUMPのライブのロゴマークや衣装のデザインも手がけています。
『U.S.A.』でのいいねダンス(シュートダンス)を取り入れたのがTOMOです。
地元である愛知県をこよなく愛し、名古屋弁とドレッドヘアがトレードマーク。
DA PUMPで一番の長身で、実はドラマへの出演経験があったり女子力が高くて「テラスハウス」や韓国ドラマが大好きという可愛い一面もあります。
KIMI
本名 | 近藤公貴(こんどうきみたか) |
生年月日 | 1983年4月14日 |
出身地 | 神奈川県横浜市 |
メンバーカラー | 黄緑 |
もともとISSAの大ファンで、ダンスを始めたきっかけは15歳の時に見たDA PUMPのコンサートだというKIMI。
ライブではMCや進行役を務めることも多く、グループの盛り上げ担当です。
KEN脱退後のラップ担当をつとめ、ラップ未経験からのスタートで相当なプレッシャーを感じながらも、今やグループで欠かせない存在になっています。
派手な見た目とは裏腹にビビリの一面も持っていて、フジテレビ「ドッキリGP」でのリアクションが「面白すぎる」と話題になりました。
また、TOMOが中心となって結成したダンスチーム「KAMIKAZE CLOWNZ」のメンバーでもあります。
YORI
本名 | 不明 |
生年月日 | 1980年2月9日 |
出身地 | 広島県 |
メンバーカラー | 青 |
DA PUMPではISSAに次いで年長のYORIは、若い頃から多くのダンスコンテストで優勝しており、2018年には日本代表として「HIPHOP INTERNATIONAL」にも出場するなどの実力者。
もともとはGACKTのバックダンサーを務めており、彼の後押しもあってDA PUMPに加入する決心をしたそうです。
2019年には胸椎類骨骨腫で活動休止していましたが、2020年にはライブ復帰を果たしています。
U-YEAH
本名 | 谷本裕也(たにもとゆうや) |
生年月日 | 1983年9月17日 |
出身地 | 東京都 |
メンバーカラー | オレンジ |
KIMIと同じく、中学生の頃にDA PUMPの影響を受けてダンスを始めたというU-YEAH。
“U-YEAH”という名前は、かつて共にダンスユニットを結成して活動していた現EXILEのNAOTOが命名しました。
映画や数々のプロモーションビデオに出演し、雑誌のモデルも務めるかたわら、ダンスのインストラクターやグッズデザイン、イラストの発表も行っています。
DA PUMP脱退メンバー
1997年のデビュー以来、約20年間にわたって活動を続けているDA PUMPですが、シングル『if...』以降は3人の初期メンバーが脱退。低迷期を経て“新生DA PUMP”として活動を始めた2009年以降にも1人が脱退しています。
しかしケンカ別れというわけではなく、現在のメンバーとも連絡を取り合う仲だとか。
ここからは、彼らの脱退の理由や現在の活動を紹介します。
SHINOBU(宮良忍)
DA PUMPの結成時のメンバーでもあるSHINOBUは、2006年4月に公式HPで脱退を発表しました。現在は沖縄にある実家の民宿「宮良」を経営しながら音楽活動も行っています。
特に民泊は、1日3組までのこじんまりとした規模ながら、行き届いた丁寧なサービスで多くの旅行客から愛されているとか。
現メンバーとの交流も盛んで、ライブやCDの告知も積極的にしているそうですよ。
YUKINARI(玉城幸也)
同じく結成時のメンバーで、2008年に脱退したYUKINARI。2017年から2018年にかけて「ライザップ」で18kgものダイエットに成功し、CMにも出演。
きついダイエット期間中には『U.S.A.』のヒットに背中を押されたとも語っていました。
現在は地元沖縄で子育てをしながら、日本の「祭」「踊」をテーマにしたお祭りイベントスペース「Festa Okinawa」をプロデュースしています。
KEN(奥本健)
メンバーチェンジを経て9人体制で新たに出発した矢先の2009年に脱退したKEN。本人は「思想や音楽の方向性の違い」が脱退の理由だと語っています。
グループが大きな変化を迎えた時だからこそ、自分の道がよりはっきり見えたのかもしれませんね。
脱退後は地元の沖縄には戻らず、ダンススクールの講師や振付師、演出家やアーティストなど、多岐にわたって活動。
また、彼が担当していたラップ部分は、現在TOMOが担当しています。
KAZUMA(山根和馬)
もともと俳優やモデルとしていたKAZUMAは、2008年に“新生DA PUMP”に加入しましたが、2014年にグループを離れました。個人としての活動をもっと飛躍させたいという思いからの前向きな決断なので、公式サイトでのコメントも「脱退」ではなく「卒業」となっています。
メンバーとは現在も交流があり、俳優やダンサーとして活躍しています。
DA PUMPメンバーの歴史を徹底解剖!
DA PUMPといえば「最近ブレイクしたグループ」というイメージがある人も多いかもしれませんが、彼らのデビューはなんと1997年。20年を超えるキャリアを持つグループなんです。
しかし、彼らの道のりは決して平坦なものではありませんでした。
先述の通り、メンバーの脱退や数々の苦難を乗り越えて現在に至っているのです。
ここからは、そんなDA PUMPの歴史を徹底的に解剖してゆきます。
結成からブレイクまで
DA PUMPは1996年に4人組グループ「KOOZ」として結成されました。初期メンバーは全員沖縄出身で、安室奈美恵やSPEEDを輩出したことでも有名な沖縄アクターズスクールの卒業生です。
結成の1ヶ月後には「Billy The Kids」に改名し、路上ライブなどで実力をつけて上京。
1997年に「DA PUMP」としてデビューしてからはすぐに多くのファンを獲得しました。
週間チャートTOP10入りやライブに18,000人を動員するなどの活躍を続け、紅白歌合戦に1998年から2002年まで5年連続で出場するまでに至りました。
特に、2000年発売の『if...』は大ヒット。
同曲が収録されたベストアルバムはミリオンヒットを達成するなど、日本を代表するグループへと進化を遂げました。
低迷期と脱退
しかし、『if...』のヒット以降はCDの売上が振るわず、ここからDA PUMPの長い低迷期が始まります。2003年に発売した『Circle Of Life』で3年ぶりにTOP10入りを逃し、2006年には初期メンバーのSHINOBUが脱退。
2007年にはライブのリハーサル中にISSAが右足を骨折、さらにYUKINARIも脱退し、DA PUMPは絶体絶命の状況に追い込まれます。
それでも諦めることなく、ISSAが自らメンバーをスカウトして“新生DA PUMP”として再スタートを切ります。
KENの脱退やファンクラブの終了を経ながらも、ショッピングモールでの無料ライブを敢行するなど地道に活動し、現在の7人体制に至ります。
現在の7人体制
不屈の精神で活動を続けてきたDA PUMPに転機が訪れたのは2018年。6月にリリースした『U.S.A.』が大ヒットしたのです。
PVの再生回数は2020年12月現在、2億回を突破しており凄まじい旋風を巻き起こしたことが伺えます。
dTVでISSAを除いた6人のレギュラー番組「OH舞!DA PUMP!」もスタートし、「2018年の顔」として同年の紅白歌合戦にも16年ぶりの返り咲き。
さらに2019年には『U.S.A.』がテーマ曲のダンス番組「DA DAダンス」の放映やファンクラブの復活、極め付けには武道館ライブの開催と、嬉しいニュースが続きました。
完全復活を果たした彼らのこれからの活動にも期待大ですね。
DA PUMPおすすめ楽曲3選
高い技術の歌とダンスに加え、幅広い曲調が魅力のDA PUMP。彼は20年を超える歴史の中で常に成長を続けており、ボーカル・ラップ・ダンスというスタイルは、様々なアーティストにも影響を与えてきました。
ここでは、そんなDA PUMPのおすすめの楽曲を3曲紹介します。
if…
初期のDA PUMP最大のヒット曲でもある『if…』は、CMのタイアップ曲としても使用されていたこともあり、誰もが一度は耳にしたことがあるはず。
電子音が織り成す切ない曲調にマッチする、ISSAの美しく澄んだ歌声と決意に満ちた歌詞、力強いラップが印象的な曲です。
未だに国内外のアーティストによってカバーされており、名実ともに名曲と言えるでしょう。
U.S.A.
先述の通り、DA PUMPにとって再起のきっかけともなったのが『U.S.A.』。
思わず体が動いてしまいそうなアップテンポの曲調に合わせて繰り出される「C’mon, baby アメリカ」という鮮やかなサビは、1度聴いたら忘れられません。
何より、親しみやすいダンスは真似をした人も多いのではないでしょうか?
また、「ノリのいいメロディに深そうで深くない楽しい歌詞、キレキレの面白ダンスがハロプロに似ている!」というハロプロファンからのコメントが多く寄せられていたのも印象的です。
Dragon Screamer
『Dragon Screamer』は2002年にリリースされ、アニメ『キャプテン翼』のオープニング曲にも起用されました。躍動感があり、ドラゴンからの連想なのか、中国などのエキゾチックな雰囲気も感じられます。
また、作詞に元メンバーのYUKINARIが参加していることにも注目です。
そして、イントロや間奏で披露される9人体制ならではのアクロバティックなダンスは必見。
曲だけでなく、映像もぜひ楽しんでもらいたい一曲です。
DA PUMPのメンバーはデビューから20年経った現在でも大人気!再ブレイクした彼らから目が離せない
華々しいデビューやブレイクから一転、メンバーの脱退や売上の低迷など、多くの危機を経験してきたDA PUMP。ボーカルのISSAはあるインタビューで「今考えると失敗も成功もすべてが未来に進むために必要なことだった」と語っています。
どんな喜びも苦悩も糧にして2018年に再ブレイクを果たした彼らの活躍は、とどまるところを知りません。
20年以上のキャリアで確立された彼らならではのスタイルと個性的なメンバーの確かな実力で、これからも私たちを楽しませてくれることでしょう。
TEXT 和島咲藍