君と魅朕の関係性
『ボッカデラベリタ』と言えば、迫力のある女の子がかなり印象的ですよね。彼女の名前は、魅朕(ミサキ)。『ボッカデラベリタ』の主人公です。
絵・動画担当のWOOMAが魅朕のキャラクターデザイン情報をTwitter上で公開し、その名が判明しました。
鋭い眼光に人間離れした手。不気味な表情ではありますが、なぜか引き込まれる魅力があります。
また名前にある「朕」という漢字は、天皇や帝王の一人称として使われていたことから魅朕はどうやら位の高い存在のようです。
後の歌詞に出てくる「高貴のあたし」にも繋がります。
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アイアイアイヘイチュー な な な な なんですの
君は軽薄 くたびれ だらけ
あたしいい子じゃいられない
それは常にひしひし
≪ボッカデラベリタ 歌詞より抜粋≫
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次に「君」との関係性について考えてみます。
冒頭に出てくる歌詞に「君がいなけりゃあたしは無い」とあることから、「君」と魅朕は切っても切れない存在。
つまり、表裏一体な関係なのではないでしょうか。
「君」は現実世界を生きる生身の人間。魅朕は「君」が作り出したもう1人の自分。
しかし彼女は「あたしいい子じゃいられない」と言っており、「君」とは正反対であることがわかります。
また作詞・作曲を担当した柊キライが動画について「どうにも幼さが溢れる歌です」とコメントしていることからも、魅朕は感情表現豊かな性格のようです。
ここから推測するに彼女は「君」の本当の気持ちのような存在なのでしょうか。
自分の気持ちを無視している=魅朕を無視していることから、「君は軽薄」と言っているように思えます。
彼女が何度も繰り返す「アイアイアイヘイチュー」は、「君」が自分自身に向けた言葉なのかもしれません。
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あなたワイワイドンチューノー てんでだめですの
意味があるなら言葉にせずに
ただし態度で示さなきゃ全てが伝わらないままになる
≪ボッカデラベリタ 歌詞より抜粋≫
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現代の社会では自分の感情をうまくコントロールできる人が理想とされ、逆に自分の気持ちを正直に表現する人は幼稚なイメージを持たれてしまいます。
良好な人間関係を築いていくためには、お世辞や建前も必要です。
大人になっていくにつれて必要な場面が増えていき、知らず知らずのうちに口にしてしまうことも。
しかし魅朕は変に意味を含ませた言葉を吐くのではなく、態度で気持ちを示さないと本当の意味で相手に伝わらないと諭します。
ここでいう「あなた」とは、「君」の周囲にいる人たちなのでしょう。
当たり障りのない態度で本心を隠しながらに近づく「あなた」に「てんでだめですの」と一刀両断。なかなか辛口です。
壊れてしまった真実の口
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アイアイアイヘイチュー な な な な なんですの
君がいなけりゃあたしは無い 無い
はい はいそうですね その通りです
喉を過ぎればそれは真実
≪ボッカデラベリタ 歌詞より抜粋≫
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「喉を過ぎればそれは真実」という歌詞は、タイトルに関係していると思われます。
『ボッカデラベリタ』は「Bocca dellaVerità」とも表記され、イタリア語で「真実の口」という意味。
真実の口とは、ローマの教会にある石の彫刻のことで、ギリシャ神話に登場する海神オーケアノスの顔が描かれています。
口に手を入れると心に偽りのある者は手を切り落とされたり、抜けなくなってしまうという伝説が有名です。
そして「喉を過ぎればそれは真実」という歌詞。
これは真実の口に掴まれないようにうまく嘘をつき通せれば、偽りの心を持っていても善良な人間になれるということを意味しているのではないでしょうか。
「君」は魅朕という無慈悲で傲慢な性格を内に飼っていながらも、それをうまく隠すことで善良な人を演じているようです。
いい人であろうと思うがゆえに、自分の感情を喉の奥へ押し込んでいきます。
「君」の中にある真実の口はもはや、飲み込みすぎて判断力が麻痺した状態。
MV動画内の口を塞ぐ✖も、真実の口が機能していないことを表しているのではないでしょうか。
そして喉を通過して落ちてくる感情が、彼女の存在をさらに奥へと押し込んでいきます。
紫が表す意味と魅朕の最期
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かなり アイアイアイヘイチュー な な な な なんですの
やはり軽薄 高貴のあたし
乾いた底へ引きずるの
君がいなきゃ今頃高嶺なの
≪ボッカデラベリタ 歌詞より抜粋≫
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『ボッカデラベリタ』のイメージカラーである紫色。
この色は、高貴や崇高を表す一方、ナルシストや現実逃避という意味も持っています。
高貴でありながらも、幼さが溢れる魅朕の性格を表しているかのようですね。
また人間味を失った紫は、無慈悲や独裁を表すイメージになります。
本来ならば、表の人格として生きられたはずの魅朕。
しかし「君」が抑え込み、奈落の底へ落とされてから立場は一変します。
その恨みから、「君」を彼女と同じように奈落の底へ引きずりこもうとしているのではないでしょうか。
「乾いた底へ引きずるの」という歌詞からも、「君」を恨む彼女の気持ちが伝わります。
元々は同じ人格であったにも関わらず、引き離され奥へ押しやられてしまう彼女。
「君」が押し込めなかったら「今頃高嶺なの」と怒りを露わにします。
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トップシークレット 肺に滲んだ衝動が喉を火傷させる
シークレット シークレット 今にあああああああああ
出てこないで
≪ボッカデラベリタ 歌詞より抜粋≫
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素直に感情表現することは、いいことばかりではありません。
特に怒りや悲しみなどのネガティブな感情は、トラブルになりやすくできれば隠しておきたいもの。
平凡に生きたい「君」も同様に所かまわずネガティブな感情を溢れさせてしまう魅朕は、隠しておきたい存在なのでしょう。
冒頭に出てきた「トップシークレット 明かさないように」にも繋がりますね。
シークレットシークレットと繰り返して感情を何度も飲み込む「君」。
飲み込んだ感情は、そのまま火種となりやがて抑えきれないほどの衝動へと変化します。
喉を火傷させるほどの熱さで魅朕の体は蝕まれていき、「君がいるからあたしが痛い痛い」と叫びます。
しかし彼女はどうすることもできず「なんですの」と悲痛な雄たけびを挙げながら、最後は黒く朽ちて果ててしまいます。
自分自身を失ってしまう前に
真実の口はいつも自分の中にあり、その裁量も自分自身にあります。
内から湧き出る感情を無視し続けていては、判断力が鈍りいつしか本当の自分さえ失ってしまうことに。
感情とは、自分を守る一つの手段。
時には自分の気持ちに素直になることも必要なのかもしれません。
自分をわかってあげられるのは自分だけなのだから。
柊キライの7作目である「オートファジー」や8作目の「エバ」も主人公がそれぞれ自分自身の感情に触れていたことから、もしかしたら関係性があるのかもしれません。
『ボッカデラベリタ』を聴いた後に聴き直すとまた違った解釈が生まれるのではないでしょうか。
聴く人の感情に問いかける『ボッカデラベリタ』。その深い世界観を味わいながら聴いてみてください。